ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

4月の寂しさ

先日、腸炎になりました。
痛くて辛くて点滴と入院もしました。
そんな風になったのは8年ぶりで、私は、私に今ストレスがかかっていることを実感しました。私の体は、思ったよりもストレスを感じていたようです。


なかなか休みも自由に取れる風潮ではなくなってしまっているので、まだ体調が……と無理にズル休みをもぎ取って、ディズニーシーに行きました。楽しかったです。食べ歩きもたくさんしました。
楽しかったけれど、やっぱり何か寂しかったです。


旅がしたいです。
誰も私のことを知らない町、知らないことしかない町、食べたことがないもの、聞いたことがない言葉。
何もかもどうでも良くなる、ただ時間を無駄にしているようなあの感覚が欲しいのです。
最近国内をふらふらフラフラ出掛けてしまっているのは、国外に行けないものをどうにかして発散しようとしているのでしょう。


縛られている気がします。
東京の空気は、孤独の味が濃いような気がするのです。


私が神と崇める中島みゆき氏が、いつになっても東京にいるのは旅をしているような気がすると語っていたのを読んだ時、まさかそんなと思いました。
けれど今、あれから何年も経った今、私もここは暮らす街とは思えていないのです。
大学に通っていた時、こんな気分になったことはなかったのに。あの街のことは本当に大好きで、暮らしていると思えていたのに。
東京は暮らす場所じゃないと言っていた、すれ違った人の言葉が痛いほど分かるのです。



孤独の味を癒やすには、どうすれば良いのでしょう。
孤独をきちんと噛み締めて、自分の味方にするには、どうすれば良いのでしょう。
寂しくてけれど誰とも話したくない時は、どうすれば良いのでしょう。

生きていくのは、死へ向かっていくのは、寂しいことなんだと最近考えるようになりました。
寂しくないなんて言う人は、ただ、寂しさに向き合っていないだけなのだと思います。生きていくのは死と隣り合わせで、そのどちらもがきっと寂しさを内包している。



夜は危ないです。週末の夜はもっと危ない。
寂しさに押しつぶされそうになって、罰みたいに食べ物を身体に詰め込みそうになります。アルコールで、何もかもを忘れたくなります。
何に追われているわけでも、何を責められているわけでもない。それでもどこかが苦しい。
自由と引き換えの孤独は、誰といたってなくなる訳ではないのに、一人でなければ目を逸らせるから誰かを贄にしたくなります。


仕事に疲れて、ストレスにやられて、ただぐったりしているだけだった4月。忙しくても孤独と寂しさは忘れられなかった。それでも何とか乗り越えました。
こんな夜、また5月が始まりました。