ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

定年の切なさ

私のいる事業所の取引先は、これを読んでいる人もそうでない人も等しく、利用者で間違いないそんなとてつもない規模の会社です。
その会社で権力を持ち、長年弊社を贔屓にし、一方で様々な無茶や要望を通してきたNさんが、3月いっぱいで再雇用も終わります。
弊社に、そのコネや顔を生かすことが出来るから再雇用してもらえないか、と打診してきています。


もちろん否、が弊社としての答えでした。
表向きは、65歳を過ぎた人は雇わない。しかし、リモートワークで作った資料を送りつけてくるNさんは、もはや迷惑メールとすら呼ばれ、定年になった途端に元いた部署から追い出され、部下に大いに嫌われた結果干されるような格好で。
私はそれを蚊帳の外から見てながら、ご本人の顔すら知らず関わりもなく、けれど辛いと思っています。



人の価値って何なのでしょう。
伯父は、常務として仕事をこなし付き合いも幅広く、リーマンショックで早期退職に手を上げて驚くような退職金を貰いました。再就職先は見つかりませんでした。伯母は、伯父といると体調を崩し、離婚も拒否し、彼は不仲だった父親のいる実家へ帰りました。そこでもやはり不仲は続いており、その後我が家へ居候をしていました。私が中学生の頃です。
競馬をし、それなりに楽しそうではありましたが、お金があった頃の生活が抜けず、自慢話が多いことは関係しているのかしていないのか仕事は見つかりませんでした。
会社でどんなに偉くても、辞めてしまったらただの人でした。

一昨年、役職者が何人も定年になりました。役職者の、肩書きが変わり責任者でなくなりました。
皆一気に元気がなくなりました。窓側の席だったのに平社員と同じ席になったのはずっと支店長をしてきたような人で、背中がしぼんで見えました。
大きな声で「他の会社に務めてのんびりするよ」と語っていたはずが「家から近くの事業所に行くよ」になり、その事業所から拒否された人は遠くの事業所勤務とリモートワークを余儀なくされ、一週間に何度もお気に入りの女の子へ電話を掛け続けています。
席も同じ、仕事もほとんど同じながら責任者でなくなった、一見ほとんど待遇が変わらない参与ですら、勢いというものがなくなって見えます。



私たちには、実感が必要なのでしょう。自分の価値というものが欲しいのでしょう。
社会の、他人の役に立っているという実感が。
それはほとんど仕事で賄っている人が多数だから、特に男の人はそうだから、こんなに寂しくなってしまうのだと思います。
私も、きっとそう。社会との交わりの中で、生きていくのは苦しいけれど、無くなるのはもっと苦しい。

私はどんな定年を迎えるのだろうか。そんなことに胸を切なくしながら、今年度が終わります。