ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

愛される才能

仕事が出来る出来ないというのは、上司や職場によって簡単に変わってしまうものだと思っています。

上司のやり方や評価軸が違うだけで、同じ人間への評価が半年足らずで180度変わるのを見ました。職場が変わって、それまでお荷物扱いだった人が表彰されるのを見ました。

「仕事が出来る」はその上司の理想により近くあるだけであることが多々あり、「仕事が出来ない」は考え方や理想がやや違うであるとかその仕事に向いていないだけであるように思います。

だから、他人の主観である仕事の出来不出来など、あまり気にするに値しないと考えるようにしています。

 

 

 

けれど一つだけ、いつの世でもどこに行っても通用する才能がある。

おそらくは世界共通で、きっと生きていく上で一番価値のある才能。それは、愛される才能だと思います。

 

 

 

一人だけ、あぁこの人は愛される才能を持っている人だなぁと感じる人がいます。

Iさんです。

ポカが多くて仕事は出来ない方かもしれないけれど、穏やかで優しくて誰からも愛される、そんな人です。

事業所は同じでも違う業務を担当するようになって席が変わった時、それでも皆Iさんの席まで話し掛けに行くことにびっくりしました。

K次長も毎日一緒にタバコを吸いに行くことを気晴らしにしているし、Wさんも仕事中に雑談のメールを飛ばしたり話に行ったりしているし、Fさんは業務中に無駄話を楽しみすぎてこちらがヒヤヒヤする位です。

他の人と話をしていても、Iさんを庇ったり気に掛けたりする人が多くて驚くくらい。

そういうあれこれを見ていると、仕事が出来るよりずっと大切なことはこういうことなのではないかと理屈でなく感じるのです。

 

 

 

仕事をしているのであるから嫌われても良い、そんな人もいると思います。

しかし、嫌われるか好かれるか、他人から助けてもらいやすくなるか否か、で言えば、皆後者を選ぶのではないでしょうか。

少なくとも私は、皆が気に掛けていて助けようとしていていつだって笑顔が生まれる、Iさんをとても羨ましいと思います。

 

 

 

はじめの頃、Iさんの凄さに思い至らなかった自分を悔いています。愛されることの凄さを知らなかった自分を恥ずかしく思います。

でも、それを自力で学んだだけ、成長したようでちょっと嬉しいです。

Iさんみたいになりたい、なんて言ったら本人は苦笑するでしょうが、今の事業所に来て一年ちょっとで、軽口を交わせるようになったのも嬉しいのです。

私たちは社会を作る動物だから、コミュニケーションなしには生きていけない。そう考えると、愛される才能を持つ個体の価値は、とても高いのではないしょうか。

愛される才能を持つことは諦めるにしても、出来れば気付き続ける自分でいたいです。

 

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