ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

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出会わなければよかった人などないと笑います。

聞こえてはいけない

考想化声。
この言葉をご存知でしょうか。

自分の思考が声として聞こえる、という症状で統合失調症の典型的な症状なのだそうです。
私は今朝この言葉を知ってぞっとしています。

私は、私の耳には、私の考えや読んだ文章が、音として届いているのです。

tyuruyuuka.hatenablog.com

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昔から、私は思考が止まることがありません。
他の人には、頭の中が無音だったり何も考えていない瞬間があると知った時、とても驚きました。
私の場合、意識がある限り、常に何かを考えています。目に入ったもの耳に聞こえるものへの感想、休日をどう過ごすか、仕事の段取り、友達にいつ連絡するか。
そしてそれらの思考は声として私の頭の中に響いているのです。頭の中でずっと考え続け、その考えは声として聞こえ続けているのです。
これはもうずっとずっと、私の中に「意識」というものが芽生えてから変わらなくて、それなのに、普通のことではなかったなんて。



文章を読んでいる時も、正確には私は「聞いている」のです。目が追っている文章が声として私の耳の中に響いてくる。それを聞いて私は文字を理解しています。それによって読むのが遅くなるということはなくて、むしろ早い方です。
この文章を書いている時も、私は私の書きたいことを文字の打ち込みと同時に読み上げています。聞き取って書いている、という表現が近いでしょうか。
音楽が頭の中で流れている時は、並行して自分の思考も声として聞こえます。
歌う時は、頭の中に声やバックコーラスや伴奏が流れていてそれに合わせています。



そしてこの記事を読みました。
頭の中で常に考えていて、そしてそれが声として聞こえるというのは、やはり、健常ではないらしいです。

小島慶子さんがADHDの薬を服用し、驚いた感覚。「みんなこんなシーンとした世界に暮らしているの?」(withnews) - Yahoo!ニュース



しかるべき病院で検査を受けたら、私は病気か発達障害なのかもしれません。
けれど変わった人間であると言われながらも面白がられ、それなりに会社でも評価をしてもらい、コミュニケーションに長けていると言われる私にとっては、どうも納得がいきません。
これは私の性格が良かったのか環境が良いのか育ち方が良かったのか単に軽度なのか。いずれにせよ幸運なことには間違いありません。



とりあえず、この思考と共に今日も生きていかなくては。
気が向いたら、検査を受けてみてもいいかもと思っています。

道のりが遠く

コロナというウイルスが出現して以来、私も知らなかった私のことを私は知りました。
外出が思っていたよりもずっと嫌いなこと、人との関わりは最低限しか要らないこと、職場に向かうのが好きなこと。
そして、親が嫌いかもしれないこと。



記憶には、3種類あるといいます。手続き記憶、意味記憶エピソード記憶
私はこのうちのエピソード記憶が滅法強く、昔の友達にあった時、そんなこと覚えてるのと驚かれることはしょっちゅうです。
昔のことならば小学3年生の時に父親と行ったデパ地下で買ったコロッケの種類、小学校卒業時にタイムカプセルに入れた手紙の内容、直近で言えば2年前の上司が4日間連続で着てきた服装、全て詳細に語ることができます。

そんな記憶力が役立つかと言うと、私はなくなれば良いと思っています。嫌なことも何度も思い出して、あまり自分のためにはならないからです。



そして、それらの記憶にはもちろん親のことも多く含まれていてます。
言われた嫌なこと、されて嬉しかったこと、されて憎んでいること、言われて喜んだこと、喧嘩したこと。
親自身も忘れている事細かなことを、私は全部憶えてしまっているのです。


私の親はいわゆる毒親というやつでもなんでもなく、むしろ私は大切にされた方だと思っています。
でも許せないされたことや言われたことを私は忘れられなくて、好きと断言言えるほどではなくて、それでも嫌いにはなりきれなくて、帰省が毎回億劫なんです。
コロナを理由に帰れない今の日々はとてもおだやかで、どこかほっとしている自分がいます。
酷い親であれば嫌いとはっきり言えるのに、良い人たちだから、そんな自分がとても悪い人間だと思えてきて辛いです。



皆どこかで折り合いをつけて生きられているはずなのに、私は記憶力のせいにして向き合わないままでいる。
これらの感情をどう名付けたら良いのか私には分からなくて、コロナを理由に背を向けています。

帰りたい、ではなくて帰りたくない。
帰れなくてごめん、ではなくて帰らなくてごめん。


まだ私には、実家は遠すぎるのです。

踏み台の卵

タンパク質を摂るためにゆで卵を食べるようになりました。コツをマスターし、いつだって完璧なゆで卵が作れます。
ただ、食べている時の罪悪感がすごいんです。
卵一個=命一個だから、しかも生まれる前の限りない未来で。それを栄養価のためだけに茹でて食べてしまう自分。
ごめんなさい、私は生きている。



最近、外食をしてもあまり美味しいと思わなくなりました。以前までは何を食べても美味しかったのに。
高級な、口コミで大評判のお店のお寿司よりも自分で作ったキャベツ炒めの方が美味しいなんて、自分でもどうかしているんじゃないかと思います。
けれどここ最近、どんなお店で試してみても満足感は得られなくて。それは独りで食べているせいなのでしょうか。



食べることは生きることです。
食べ物は、シンプルに体を作っている。そう思えるようになったのは、砂糖断ちをしてからでした。
砂糖を摂らないことで肌荒れがなくなり、睡眠時間は減りました。
そうして、食べ物って体に直結しているんだという当たり前の事実を実感した時から、私は高い調味料を躊躇なく買うようになりました。
きっとゆで卵を毎日食べている私の体は、さらに変わっていくことでしょう。間食が減って痩せやすくなり、筋肉も付きやすくなるかもしれない。
それは、幾つもの命と引き換えであって、私の体は私のものだけれど、私一人のものではないのかもしれません。



生きることは、いつだって残酷なことなんだと、ゆで卵を見ながら思います。
食べることは、自分を生かすことだと、冷蔵庫を開けるたびに思います。
私は命を踏み台にして、死なない限り生きていきます。

蕁麻疹と

蕁麻疹が出ました。
私の身体は、心は、何が気に食わなかったのでしょうか。



年度末を前に新たな仕事が移管され、バタバタと忙しい日々を送っています。
まだ仕組みも流れも決めている最中で、担当の都合上私の業務が増えています。
それは、とても楽しいけれど心のどこかで負担になっていることは確かで。

だから、病院でストレスの心当たりは?と聞かれた時には胸を張ってありませんなんて答えられませんでした。



けれども仕事を任されることは楽しくて、特に一つの仕事が形になっていくのを見るのは初めてだからなおさらで、でも大変なことも多くて。
これが仕事なのかっていう実感を持ちながら残業するのも、程々なら悪くありません。



それよりも、最近ずっとイライラしていて。
何が理由とかではなく、とにかくイライラするんです。
小さなことが気に食わず、辺り構わず喚きたくなる衝動。まだ自分が子どもだと、なんとなく安心しつつも良くない感情に支配されていることは確かで。
そんな日々に、私の身体がNOを示したのかもしれません。それとも、そんな感情自体がSOSなのか。



電車で隣の席になったお姉さんは、ピアスを数え切れないほど付けてブランドのバッグにブランドのジーパン。特徴的な靴を堂々と履きこなす彼女は、自分を貫く大変さをよく分かっていらっしゃるのだろうなと思いながら、勇気を貰います。
私も、明日こそ、上司に名前で呼ばないでと言えるでしょうか。



サイズの合わなくなった下着をいつ新調しに行こうかと考えながら家に向かう自分を、この症状がおさまったらもっと好きになれる気がします。

2月、贅沢な夜

昨日の夜は自分に贅沢を許しました。
閉店間際のスーパーで、
・アボカド
・カリッこわかめ&ひじき
・堅あげポテトうすしお
を買い、テンション高く家に帰りました。
そしてたまたま貰ったバナナと一緒に、それらを食べる時間の幸せだったことと言ったら。
大好きなアボカドを食べる時、ポテトチップスに載せて食べると美味しそうといつも思っていましたが、わさびを多めに載せて食べると大正解だったことが分かりました。



今日から、仕事がちょっと大変になります。
新しい仕事が増えることには、上司に選ばれたのだという誇らしさと自分に出来るだろうかという不安を覚えます。けれど、きっと未来の私は何とかするだろうという何となくの安心感もあります。
働かないことは好きです。
でも、働くことも好きです。水曜の朝にはずんだ足取りで歩けるくらいには。


その人にしか出来ない事なんてない、そう思っています。
人類のどんなに優秀な誰がいなくても、たぶん私たちは今の生活をしていると思うんです。
でも、だからこそ、私が私のすることに意味を見出だせればそれでいいと思っています。
自分が社会と繋がっているという感覚や自分がいなければ会社の中の誰か一人は大変になるだろうと思えることは、私にとっては豊かで幸せなことです。
出来れば、私がこの会社からいなくなる時に、寂しがってくれる人がいますように。



自分がいつまでこんなことを考えていられるのか、私が不安なのはそんなことです。
かつての私は、もっと足掻き、悪態をつき、踏みしめて、生きていたような気がするのです。
年を重ねるにつれて学生だった頃に考えていたことは遠くなりつつあり、忘れ去っていることが増え、諦めることが増えました。流行りにそもそもの興味を抱けなくなり、自分の中のエネルギー量が減っていっている気がするのです。
いつか老害と言われるようになるのではないのか、それが怖いです。
誰の助けもなく生きたい、それが難しいと年々身に沁みてくる、年を取るのがこんなに大変だなんて知りませんでした。

ただし今日は、目の前の仕事に一生懸命になるしかなくて。
そうして私の2月がまた終わりそうです。

家計簿で振り返る2020年

2020年の家計簿。


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●総出費 ¥1,054,322


●食費 ¥69,674
作り置きやお弁当のための費用のみ。
米は実家から送ってくるのでかかっていない。
食べ物は出来る限り有機栽培のものや調味料もお高めなものを選んでいたので、ここまで少なかったとは。
ただ、一週間のうち2/3は夜ご飯食べていない生活だったのでそれもあって少なめ。


●外食 ¥161,050
●料理 ¥3,368
外食といっても、お菓子代がほとんど。
一人飲みの費用や趣味としての料理はここに含まれる。
料理という項目はごく最近増やしたので、お菓子の中には休みの日に作った唐揚げやビーフシチュー、カレーや餃子などにかかった代金が含まれる。
つまり、作り置き以外の楽しむための食費・お菓子代がこちら。


●日用品 ¥33,292


●交際 ¥133,052
飲み会、プレゼント、お歳暮など。
コロナであまり機会がなかったにも関わらず、意外と使っている。


●美容 ¥89,064
化粧品など。
美容院3回、25,426円のドライヤー、7,071円のヘアアイロンを含む。


●服 ¥93,635


●教養 ¥3,663
参考書とか。


●交通費 ¥28,590
仕事で移動した分のスイカの自動チャージが含まれるので、実際はもう少し低いと思われる。


●医療 ¥34,684


●住まい ¥347,940
水道光熱費込み。一人暮らしを疑う値段。
激安住居のため。


●通信費 ¥18,110
スマホ、切手。


●遊興費 ¥17,549
ライブなどのチケット。


●その他 ¥20,651
Amazonへのチャージ(少し安くなる)など。



家計簿に追加しなかったスペシャルな金額が1つだけ。124,300円の指輪代。
含めても1,178,622円でした。

今年はお金が貯まりました。

またお待ちしております、は言えない

大学時代、3年間アルバイトをしていたお店がなくなるという知らせがありました。

寂しいです。



アルバイトに応募した、初めて電話をした日。店長の声を聞いて、ここでならやっていけると思いました。
働き始めた日。お客さんがあまりいなくて暇な日でした。
仕事を覚え始めた日々。覚えることがたくさんで、でも楽しかったんです。
異動を持ちかけられた日。アルバイトなのにそんなことがあるのかと思いました。
異動先から戻れることが決まった日。店長からのLINEが嬉しかったです。
先輩たちとの楽しかった日々。サークルみたいに楽しくて、夜中にこっそりアイスを食べたりしました。
店長が変わった日。不安でした。
キッチンの社員に怒鳴られた日。帰ってから悔し涙が止まらなかったです。
休学のため、バイトを辞めると言った日。

復学して復帰したけれど他の店舗に配属になり、それでも私の原点はあの店でした。
それは、2年近く前に就職のため辞めるまで、ずっとそうだったんです。そして、今も変わらなかったのに。



飲食店だから、なくなってしまうのは今の状況ではきっと難しかったのでしょう。
いいえ、コロナウイルスなんて言葉が蔓延するかなり前から、コロコロ変わるスタッフにお客さんは離れていたんです。



でも、それでも、私にとっては実家のような、いつだって温かく迎えてもらえる場所でした。
どんなに大学が嫌になっても、職場だけは嫌になることがなくて本当に楽しくて。
勉強しながら遊んでお金をもらえるような、そんなふうに楽しく仕事をしていました。
たくさんの学び。たくさんの笑い。たくさんの悔し涙。
間違いなく、私が育てられた場所。
それが、なくなるなんて。



寂しいです。寂しいです。
あの場所で出会ったたくさんの人たち。
豚足の唐揚げ。油淋鶏。チキン南蛮。とりあえずキャベツ。しゃぶしゃぶサラダ。獺祭。刺身の三種盛。サワラの刺身。200円ビール。
今でも、居酒屋に行くといらっしゃいませって言いたくなるのに。予測変換でお店の名前がすぐに出てくるのに。
思い出の場所がまた一つ消えて、一つずつ失っていくことがこんなに悲しいんだって初めて思いました。



ありがとうございました。
大好きでした。
まだ店は働いていた他の店舗は残っているけど、私にとっては唯一無二の存在でした。
どうかあの店の思い出を、あの店の全盛期を駆け抜けた私が、一つでも多くより長く憶えていられますように。

1年前の、真っ暗な私へ

1年後のあなたは、あなたが使っている新御徒町駅を歩いています。


久しぶりの改札から下りるあの階段は狭くて、思わず下りる前にぼうっと眺めてしまって不審な目で見られました。
あんなに長いと思っていた階段は段差が小さく、下りきった後に思わず振り返ると、今使っている秋葉原駅にあるような「1ヶ月で実感」「ホームから100段達成」というような激励の文字はなくて、ちょっと寂しい気がしました。


終電間近であまり人がいないからか、2ヶ月前に買ったパンプスのヒールの音がよく響くホームには、雨は吹き込んできませんでした。
当たり前ですね、地下深くにある駅なのだから。


今のあなたも住む部屋へと向かう電車に乗り込む前に、秋葉原へと向かう新車両とすれ違いました。



新卒で入社した会社から4ヶ月でリストラを言い渡され、大嫌いな社長から逃れられるほっとするようなせいせいするような気持ちと、これからどうなるのか不安になっている気持ちと、新卒の経歴を汚された恨みの気持ちと、いろんな思いがあなたの中でぐちゃ混ぜになっていると思います。


1年以上経った今は恨みの気持ちなど消えて、と言いたいところですが1年ちょっとでそんなに大人になれるはずもなく、今も恨みの気持ちはいっぱいです。
そんなものです。

ですが今日、御徒町駅から新御徒町駅まで歩いていて、懐かしいという気持ちでいっぱいで、ほんの少しだけ大人になっているような気がしました。



辛かったことがあったからこそ今の自分がいるなんてまだ思えないけれど、あなたのおかげで今の私がいることは確かです。
未来は、あなたの思うよりもずっと、厳しくて暖かく、そして予想もできなかったことだらけです。
それでも、この場所であなたを待っています。



最寄り駅は、今日もどこか親しみ深く迎え入れてくれるはずです。

noteと私、そして私だけ

先日、noteをやめました。
noteは私にとって大切なもので、でも近年はそうでもありませんでした。
ずっと更新もせず、もう更新はしませんと早く言おうと思いながらもずるずるとしていた時、例の騒動が起こったのです。


それをきっかけにすっぱりと、私はnoteを去りました。
その時の文章を、もったいないのでこちらにも残しておくことにしました。



noteは、色々と言われた媒体でした。


稼いだ人もバズった人もnoteをきっかけに連載を始めた人もいました。
でも、私のようにひっそりと、知らない人の文章や絵や写真やその他を楽しんでいた人もいて、独特の雰囲気があり、幾らかの人にはなくてはならない救いになったメディアでもありました。


楽しかった。救われた。でも、もう私の居場所じゃない。

note、さよなら。



ーーーーーーーーーーーー(noteに8/15掲載)ーーーーーーーーーーーー


noteからメールが来ましたか?
私には来ました。重要なお知らせ、ってやつです。
それを見て、決心がつきました。
もう、ここは私の場所じゃない。


noteを始めたばかりの頃、よく覚えています。
面白くない大学の図書館のソファで、短歌を投稿していました。
あの頃、たった一人だけ毎回スキをくれた方、今頃どうしていらっしゃるのでしょうか。あなたのお陰で、私はなんとか自分を保っていたような気がします。ありがとうございました。


それから、エッセイみたいなものを書くようになりました。
少しずつフォローしてくれる人が増えてきて嬉しかった、あの頃はフォロワー100人を目標にしていました。
いつの間にか100人を超えていて、毎日投稿したりしなかったり。


自分の書いたnoteを紹介してもらったりコメントをいただいたり。
スキの数を気にしたり一度もおすすめに載せてもらえないことを気にしたり。
noteが好きでした。色んな人がいました。
たくさんの文章を読むことが好きでした。
思い切ってコメントをすることも嫌いじゃありませんでした。
コメントをいただくと飛び上がるほど嬉しいものでした。
自分の考えていることを読んでもらえる喜びを知りました。


あれは、休学後大学に復学した頃でしょうか。自分の考えていることを他人に理解されなくても苦しくなくなったのは。
そして、それと同時に私はnoteを居場所とは思えなくなってしまいました。
それは心の変化ももちろんでしたが、noteが変わってきたのも大きいことでした。


集まる人や雰囲気やタイムラインの速さがどんどん変わっていっているのを感じていました。
初めの頃、何度スクロールしても更新されなかったタイムラインは、追うのにやっとというくらい速くなりました。お金を稼ぐ方法について書く人が増えました。有料プランが始まりました。
私は、置いて行かれていました。いえ、着いていくのを止めたんです。


そして、早くnoteの更新はもうありませんと書こう、と思いながらもダラダラと時間が過ぎていた昨日、メールが来たんです。


本当にありがとうございました。お世話になりました。
私を救って、支えて、励まして、自信をくれたnote、そしてたくさんの人たち。
私は、違う場所へ移ります。
そちらも更新頻度は全然高くなくて、全然読んでくれる人もいなくて、でも自分だけのブログだから思い出した時に更新したりしています。


ありがとうnote。
願わくば、私が大好きだったこの場所にいた人たちが、それぞれの場所で幸せでありますように。

フローラ

昨日、指輪を買いました。
一月前に一目惚れして、迷ったけれど思いきりました。
そう、私はいつか死ぬから。



以前に書いたのですが、私は、見るたびに死を思い出せるようにこの指輪を買いました。

生きているのは当然じゃなくて、死ぬことを含めて生きていることだから、だから、常に私の中にあり続けている死を思い出せるように。
そして、そんな自分を好きでいられるように。

自分へのご褒美というよりは、自分への縛めとして。



上を見ればものすごく高いとは言えないけれど、とても安いとは言えない値段でした。

職場でつけるには少しデザインが凝っていて、小さいけれどダイヤも3つ。見る人が見れば誰もが知っているブランドの名前が一発で分かる、存在感のある華奢なデザイン。

私の指とブレスレットともう一つの指輪に良く似合うイエローゴールドの輝きに、私は死を見ることにしたのです。



もともと30歳になったら指輪を買おうと思っていて、一目惚れしてしまったせいでそれを前倒ししてしまいました。
後悔なんてこれから先もずっとしないって言ったら嘘になってしまうかもしれないけれど、でも今はしていません。


一生大事にできるって思って選びました。
サイズも相談して、迷って決めました。(アドバイザーのIさんには心からの感謝を。)

だから声を大にして自慢します。


世界で一番私に似合うリングを手に入れました。生を享受することを当たり前と捉えない自分とともに。



願わくば。


この指輪と生をずっと大事に出来ますように。
この指輪が、私を守ってくれるリングであり続けますように。

来年も、特別じゃない誕生日を迎えられますように。