ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

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出会わなければよかった人などないと笑います。

歳をとる日々

飛び込んでみた世界は意外と快適かもしれないし、窮屈かもしれない。けれどやってみなければ自分に向いているかなんて分からない。
そんな選択を怖がらずに続けていける自分でありたいと願うのは、歳を取って変化を恐れる自分にも気付いているからです。



あと半年で28歳になります。
ここ1年で実感しているのは、新しいものに興味を示せなくなったことです。
私は3ヶ月毎にブームが来て、はまっては飽きて次のものを見つけて深くはまっては飽き、ということを繰り返しています。それこそ1歳の頃から。(母の証言によると。)
最近は、そのブームが来るのが遅いのです。ブームとブームの間にぽっかり空いた空白期が長くなってきました。
もう何に対しても夢中になれることなんてないのではと思ってしまう期間はこれまでもあって、そんな心配を他所に次々とブームは訪れていたのですが、空白期が長くなってきているのです。
これが、歳をとることかと思っています。
20代の前半と後半だけでもこんなに違うんだなと怖い気持ちもあります。

体力がなくなってきていることは心にも影響を与えるし、心にも元気がなくなっていくのが歳をとることなんだと日々学んでいます。
新しいことにチャレンジする、元気や余裕がなくなってきたのが自分でわかります。
だからこそ私は焦っていて、このままだと、世の中の何にも興味を持てずに一人で死んでいく姿が見えます。


本当は、体も心も成長してるって信じたいし、事実筋肉は今過去最高に私の身体に育っているし過去最強に今の私は優しいです。そんな自分もいます。
けれど、疲れているのかなとスルーしていたような小さな変化はいつの間にか日常になっていて、積み重ねると変化が大きくて、今は小さな変化にも怯えている部分があるのも本当で。




幼い頃、流行りの曲や流行りのものを知るにはただテレビを見ていればいいのにと思っていました。新しいものを自分の中に入れるのが疲れることになるなんて、思いもしませんでした。
好きなものを好きでいることが、実はエネルギーを使うことだなんて知りませんでした。
余裕があるからこそ、仕事と生活以外のことを考えられるのだと心から思い知りました。



歳をとるのって怖いんですね。
知りませんでした。
新しい自分を知るのは楽しみだけれどものすごく怖い。そんな日々です。

自由の檻

私は昔から自由に生きたいと願っていて、自由に振る舞っているように周りからも見えていて、大人になったら母みたいに独立するのだろうと昔から自分でも思っていました。
それは独立したいと思っていた訳ではなくて、私の性格では企業で生きていくのは大変ではないだろうかと思ったからです。

働いている自分をイメージできなかった頃は気付いてみれば遠くなり、今は私は大きな会社の中にいて、喜んで歯車として働いています。



独立したり、フリーとして働いたりということが持て囃されていた頃、それらに向き合うには私は臆病で、自分で仕事を見つけて自分で自分を管理することに及び腰でした。

新卒で就職活動をしていた頃、それでも大企業は向かないだろうという自身に対する先入観で、中小企業ばかりエントリーしていました。実際に就職した会社は小さな会社は、私にとってはイマイチでした。

私は自分で意識していた方向とはまるで正反対で大企業向きの性格をしていて、もう後がなくて応募した大きな会社で、今の私はのびのびと働いています。
大企業は堅苦しくて何も出来ないと聞いていたけれど、意外なほど改善案が通ったりむしろ改善をしろと迫られたり上司がフレンドリーに話をしてくれたりと面白いことが多いです。

社長の性格がダイレクトに反映されるあの小さな会社では、気まぐれな社長の方針転換に振り回されて辛かったです。
お堅いけれど新しいことにもチャレンジする意欲を見せる自分の会社が好きで、そんな社風だからか私のことを面白がってくれる周りの人にも恵まれていて、上司と飲みに行くことや上司の性格や人間関係を見極めて接することも苦ではなく、自分でも意外なほど私は会社という場所に適応できています。



先入観は良くないというけれど、それは自分自身に対してもそうなのでしょう。
自分のことは自分でもよく分からないし、自分の中にだって外にだって、まだまだ知らない部分が隠れているのです。何が向いているかなんてその時になってみなければきっと分からないのです。
あの頃の自分に伝えるなら、そしてこれからの自分へ戒めとして送るなら、自分自身をも縛る先入観を持たないように後悔なく選択して生きろというメッセージです。
飛び込んでみた世界は意外と快適かもしれないし、窮屈かもしれない。けれどやってみなければ自分に向いているかなんて分からない。そんな選択を怖がらずに続けていける自分でありたい。
自由でありたいと願いすぎて、その願いであっても自分を縛ってはいけないのです。

先入観で自分を雁字搦めに縛っていたことに気が付いた今、改めて考えています。

タスキメシ@額賀澪

陸上部と料理研究部の高校生を描く額賀澪著「タスキメシ」。
久しぶりに、本を読んで泣きそうになりました。



沁み入ったのが、上に立っていく人間の、期待や責任や重圧を描いた言葉でした。

「どんな世界だって、上に行く奴っていうのはそういうものを無理矢理背負わされるんじゃないかな」
(中略)
その後ろにはそうなりたくてなれなかった人が山のようにいて、その人達の期待とか願いとか嫉妬とか羨望とか、そういったものが彼らの肩にはのしかかっているのだ。
俺の分も頑張ってくれとか、あんたは俺達の希望の星なんだから、とか。そんな無責任だけど強い拘束力を持った言葉に縛られて、きっと年を経るごとにそれは増えていって、それでも走っていくのだ。
(中略)
これからたくさんの人を蹴落として、たくさんの人の夢を打ち破って、終わらせる。


受験でも競技でも仕事でも、上に行くためには誰かを蹴落として誰かの犠牲の上を踏みしめていかなくてはなりません。
覚悟を持って、その重さに耐えられる人のみが勝っていく。それもなんだか共通しているように思います。
よくオリンピックなどで「周りの人のおかげでここまで来ました。」なんてインタビューに答える様子が映っていますが、周りの人の応援も協力も、きっと重く感じられることがあるはずです。けれどそれも力に変えられることこそ、強いということなのでしょう。

私には、それができるでしょうか。
出世すること、高い給料を貰うことに対する覚悟とそれに耐えられる強さが欲しいです。



誰よりも共感したのは井坂都でした。
自分の足元を踏み固めるようにして料理という武器を身につけた彼女が、私には強くて弱くて眩しくて、それでいて自分と重ねてしまうところがあるのです。
「施されている自分が、どうしてもどうしても、堪らなく、許せない」ことにも、「悲しみでも苦しみでもなく、怒りの涙が次から次へと込み上げ」るのにも、言葉遣いが乱暴なのも身に覚えがあり、一番抱き締めたくなりました。
私は都ほど確立された足元がないけれど、出来るなら、都のように生きていきたいと思いました。



この本、胸が熱くなるような名言が多いです。

どちらか片方じゃなくて、どっちも抱えて持っていけ

諦める勇気があったんだ。続ける恐怖なんて、きっと乗り越えられる


進路に悩み、将来に悩み、続けることや辞めることに悩む高校生の時の気持ちを、思い出せる良い本でした。そして自分の足元を見返せるような。


続編をこれから読みます。楽しみです。

選ばれる自分に

小田嶋隆氏の「小田嶋隆のコラムの切り口」という本を、パラパラめくっては読み、めくっては読みとしているうちに一冊読み切ってしまいました。
その中でも、とても良いなと思ったページがありました。

サラリーマン一年生の時、私は、そのまま会社をやめてしまった。せめて三年生ぐらいまでは粘ってみるべきだった。
自分が仕事を選ぶのではない。仕事が自分を選ぶのでもない。仕事をしている自分を誰かが選んでくれるタイミングが必ずやってくる、と、当時、そういうふうに考えることができていればよかったのだが、まあ、こういうことは遠回りしてみてはしめてわかることなのかもしれない。


仕事をしている自分が選ばれるタイミング。それがいつか来るかもしれないということに、なるほど、と素直に思えました。
大統領だって社長だって交代できるのだから、どんな仕事でも誰にでも出来ると考えてはいるのですが、確かに、買い物する時に指名してしまう、というのはあります。

私はアクセサリーを買う時も下着を買う時も、大事なものを買う時は、接客してくれる人を好きになれなければと買わない、と決めています。
その人がいない場合は買いたくない、買わない。それこそ、仕事をしている誰かを選んでいるのだと思います。受けられるサービスは全く同じなのに、その人の接客込みでの価格だと思ってしまっているのです。



私もそうありたいです。
困った時に、誰だって良いのだけれどあいつを指名しよう、と思って貰える人になりたい。それが雑用であったって私は嬉しいのです。
いつか、あいつがいなくなって困ることはないけれど不便だなと思って貰いたい。
私はその最後の日のために仕事をしています。

妹との未来

妹を、将来嫌いになるかもしれないと恐れています。



私の妹はマイナス思考で、プラス思考な私とは正反対です。何でも重く捉えて自分のせいにする子です。
それでも私は彼女を愛していて、仕事で精神的に病んでしまった時も体の病気で休職した時もそれなりに心配していて、この世で一番大切です。



実家に妹が一時帰っていたこの一年で、というかつい先月、父親が入院しました。
この父親というのがまた癖の強い人で、もう15年くらい糖尿病・心臓病と診断されているにも関わらずろくに医師の言うことも聞かない人です。
お菓子を他人に頂いた時に本人に向かって「私は糖尿病」と言い放ち、なんとも言えない空気にすることが得意です。何度も止めてと言っても、本当のことだと止めません。
心臓病に関しては10年以上ちゃんと診察して貰っておらず薬だけ貰える病院へ行き、「10年無駄にした」と医師に怒られました。
入院中も、あれを持ってこいこれを持ってこい何時にこいと電話を何回もして、母親と妹はとても大変そうでした。
そして無理矢理退院して、妹に言ってはいけないことを言い、衝突しました。



妹は他人の迷惑になるからと父親の介護が必要になっても施設には入れないと言っており、私は今回の件を受けて考え直せと言いました。
少し先の未来ではあるかもしれないけれど、よく考えろと。あんな我儘に付き合い続けるなんてそんなの無理だと私は言いました。
でもでもだって、なのです。他人に迷惑を掛けるから、と。
じゃあ自分はどうなるのか、今回のことだけでも参ってるのに、我儘に付き合い続けて病むだけだと言っても、でもでもだって。


私は恐いです。妹を嫌いになる未来が。
介護が必要になって妹が病んで、ほら言ったでしょとただ私がうんざりする未来が。
あの子を嫌いになることが、私が自分を守るためにそれを選ぶ未来が。



どうか未来が明るいものであって欲しい。
けれどいつだって残酷な未来が、いつか不幸を連れてくるんじゃないかと今は恐れています。


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私のアン、私のものだったアン

赤毛のアンシリーズを全て読み終えました。
名作は、名作だから読み継がれているという理由をはっきりと知ることのできた小説でした。

しかし、他人に勧めて全部面白いよ!と言えるかと問われればそうでもなく。
1〜3巻をぜひ読んで欲しい、それから「アンの娘リラ」もおすすめ、という答えになります。

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大有名なのは1巻の「赤毛のアン」。
孤児のアンがマリラとマシューの兄妹に引き取られる成長物語。大筋はご存知の通りです。
けれど、私は意外でした。成長していくのはアンだけでなく、マリラもだったからです。私は、もしかするとこのお話はマリラの物語ではと思っているほど、マリラの成長が印象的でした。
冷たいと思っていたマリラがずっと人間らしくあるあり、マシュウの愛情が全編通して伝わってくるのが、素晴らしい風景描写とともに心に残るのです。変われるのは大人になっても出来る、それが伝わってくる物語です。

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2巻の「アンの青春」。
大人になりかけたアン。お喋りは減ったものの、空想が好きで周りを巻き込む力のある魅力的な女の子です。
私は1巻に引き続きリンド夫人が大好きで、リンド夫人が出てくると嬉しいものでした。
仕事を始めたアンの苦労に分かると頷けるところもあり、怒りながら笑いながら、アヴォンリーでのびのびと暮らしている姿にいつの間にか引き込まれている、ぐいぐい読ませる物語でした。



一番好きかもしれない、「アンの愛情」。
揺れ動く心、相変わらず他人を惹き付ける魅力、衰えない空想力と好奇心。アンの全てが愛しく、アンのようになりたいと読みながら渇望しました。アンは完全ではなくて、それだからこそ愛してしまう魅力があります。
愛情という題に、読み終わったあとしみじみとため息をつくほど好きな話です。アンの魅力が一等伝わってくるのがこの巻だと思います。

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結婚してからのアンは、完璧だから惹き付けられないという部分があります。
友達が多く周囲の人に支えられ支えて、夫に愛され子どもを愛している理想の家族を持ち、穏やかで茶目っ気のある美しい人。それで良いのですが、なんというか、完璧すぎて引いてしまう部分があるのです。
私が好きなアンは、空想好きでどこか抜けていて他人に迷惑を掛けてしまうこともある、そんなアンなのです。なんだか完璧すぎて、私はアンと距離を取ってしまったのです。
だから、息子のウォルターに惹かれる部分があるのでしょう。アンと同じかそれ以上に空想好きで、強くあり弱い哲学的なウォルター。
ウォルターをリラの目で見ることのできる「アンの娘リラ」は、現実世界と相まって読むことが辛かったけれど、ウォルターの魅力を知って欲しいから読んで欲しいとも思います。
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3ヶ月ほど、アンは私のものでした。アンが好きでした。アンはこれからも、時々は私の心の中でお喋りしてくれるでしょう。
私の人生を豊かにしてくれてありがとう、と言いたいです。

体と生きてます

最近、まつ毛が伸びてきたなぁ〜、まつ毛美容液の成果がようやく……と思っていたのですが、ふと気付いてしまいました。
たぶん、プロテインの効果です。



プロテインを本気で飲み始めて3ヶ月半が経ちました。
筋トレ後の夜はホエイプロテイン、日中は1〜3杯のソイプロテイン。プレーンのソイプロテインはあまり美味しくないので、きな粉を入れて飲んでいます。
あまり変わったなと思うことはなくて、それでも飲み続けていましたが、2週間ほど前から爪がツヤツヤになったなと思っていたところでした。縦じわが消えてきただけではなく、形も綺麗になってきています。
髪や爪が綺麗になるというのは良く見聞きしていたので本当だったんだ!という感慨だったのですが、まさかまつ毛まで伸びるとは……。
もともとまつ毛が短いので、とても嬉しいです。



食べることは生きることで、私はやっぱり食べ物から出来ているようです。
レバーを毎日食べるようになって2ヶ月で生理がとても軽くなり、砂糖を摂らなくなって2ヶ月であんなにしつこかったニキビ跡が消えつつあります。
即効性はなくても、きちんと私の中で栄養が消化吸収されて巡り、何かしら変わっていっているのは、とても当たり前でとても不思議です。
私の中の、自分の役割をその通りに果たしてくれている細胞たちに感謝を。そして食と自分を律する私の理性に称賛を。

このコロナ禍の中でどれだけ生き延びられるかは分からなくても、食べ物を味方にして今日を生き延びていきたいです。



そして、ここに書き記しておきたいのが、今日やっと、目標ウエストに到達したことです。12月から3ヶ月でマイナス7センチ達成!
頑張りました。これ以上細くなるのも嬉しいけれど、何事も無理は禁物なのでこれからは現状維持でいきたい所存です。
代わりに今度は、お尻と脚を細くすることを目標にしていきます。ここ何日かのマッサージは効いているようなので、継続していけたらいいな。



歳をとっても、自分の体は変えることができる、ということを忘れない私でいたいです。

頑張りました

この3週間よく頑張りました。

部長の理不尽な指摘にも耐え、自分もコロナに感染しているかもという恐怖と共に、リモートワークは全てなくなりながら先輩がコロナに感染して増えた仕事をこなし、打ち合わせに参加し、ひたすら資料を作成し、体調が悪いのに出勤してくる上司にキレるのを耐え、増えた仕事に残業を余儀なくされ、挙句大嫌いな雨が降っても寒くなっても早寝早起きを徹底し、かつ筋トレとストレッチを欠かさず、土日は弁当のための作り置きをきちんと用意しました。
私に拍手。



足し湯をしたお風呂に浸かり、ゆっくり出来ることが今の私への最大限の労いです。
3連休、楽しみましょう。

ごめんなさいに疲れる

先週は疲れました。
同じ部署の先輩がいっぺんに2人コロナに感染し、仕事量も少し増えました。
それは良いのです。私だっていつ感染するか分からない。お互い様です。
けれど仕事以上に疲れたのが、ペアで仕事をしている先輩が、ごめんなさいをずっと言ってきたことでした。


感染が分かって、週明けにLINEで連絡が来て。ごめんなさいと明日は仕事が大変だから絶対働きますというメッセージ。次の日は明日は頑張るというメッセージ。その次の日は、体調が良くなったということでリモートワークのためメールでメッセージ。


ごめんなさいは、疲れます。
そんなことないですよ、無理せずに仕事してください、お大事に。そんな言葉たちのバリエーションは少なくて、返信のあとありがとうございますなんて言われて。
ごめんなさいを言われるのも、それに対して優しく思われるであろう返信を考えるのにも疲れました。


心配だけれど、メッセージなんか要らないからゆっくりして欲しいと思っていました。
ゆっくり休んで欲しいのは本当で、自分もいつ感染するか分からないのに迷惑なんて思っていないから、体調をゆっくり戻してくれれば良いのに無理してそうなのが心配で。ご迷惑お掛けしました、体調良くなったので明日からよろしく、ぐらいで良かったのにと思いながら、それでもそうはいかない気持ちは分かるんです。


そんなこんなで疲れました。
謝るのは楽だけど、それはいいよという言葉や行為を相手に期待しているもので、相手にも何かを負担させてしまうことなんだなぁと思いました。
もちろん場面や行為で異なることはあるにせよ。
最低限の謝罪で生きていけるようになりたいけれど、皆そこまで図太くないから、お互い様で私も頑張ります。
ただ、疲れることは許して欲しい。そんな一週間でした。明日からも頑張れるかな。

ウォルターと戦争

ロシアとウクライナのことが話題になり始めた頃、私は「アンの娘リラ」を読んでいました。(モンゴメリ著・村岡花子訳)
第一次世界大戦が始まッタ作中の世界が、現代の世界と繋がって、辛くて辛くてしょうがありませんでした。


アンには6人の子どもたちがいて、私はアンは好きだったけれどその子どもたちまで無条件で好きになれた訳ではありませんでした。(アンのように詳細に描写がされなかったからということもあるかもしれません。)
私が好きになれたのは、ウォルター・ブライス。幼い頃のアンと似て、想像力豊かで心優しく、脆さを感じさせる男の子でした。
けれど、好きになればなるほど辛かったです。ウォルターの戦死が、既に作中では仄めかされており、私は失うことの恐怖を感じながら、読みたくないと何度も思いました。



第一次世界大戦が始まり、作中は戦争一色になります。
戦争に反対する者は罵られ、兵として出陣しない男は軽蔑され、貢献しようとしない女は白い目で見られます。
善良な人々が、ただ勝つことを信じ、戦争に反対することは許さない空気を作っていきます。
それに参加しているアン、ギルバート、スーザン。私が好きな人たちが、知っている人たちが、兵士として参加するだけではなく戦争に反対することも許さないのだと、戦時にはこうなるのだと、背筋が寒くなりました。



死の前に訪れる苦痛を恐れて入隊しようとしなかったウォルター・ブライス
入隊しないことで周りから白い目で見られ、嫌がらせを受け、兄が出兵してから詩を書けなくなった穏やかなウォルター。
その彼も、とうとう入隊を決心します。ウォルターが家で過ごす最後の夕方、妹のリラと交わした会話は、電車の中で私を泣かせるのには十分でした。


「さあ、もう暗い話はよそう。何年も先のことに目を向けようよ。(中略)またみんなで幸福になれるときのことをね」
「あたしたち――もととおなじようには――幸福にはなれないわ」
「そう、もととおなじにはね。この戦争に関係した者はだれももととおなじふうな幸福には二度となれないだろうよ。しかし、よりよい幸福だと思うね、リラちゃん――僕らがかちえた幸福だもの。戦争前の僕らは非常に幸福だったね。炉辺荘(イングルサイド)のような家があり、うちの父さんや母さんのような両親があれば幸福にならないわけにはいかないではないか? しかし、あの幸福は人生と愛情の賜物であって、真に僕らのものではなかったのだ――人生が好きなときに取り返してしまえるものだ。僕らが自分の義務として自分の力でかちえた幸福は人生には奪い去ることはできない。そのことが入隊して以来わかったのだよ。取越し苦労をして臆病風に襲われることもときおりあるけれど、僕は五月のあの晩以来幸福なのだよ。」

そして、ウォルターが戦死の前日に書いた手紙。
苦しまずに死ぬことのできたウォルターにほっとしながらも、読むことが辛くて、でも素晴らしいから何度も読んでしまいました。
作中の人物の魂が安らかであれと、こんなに祈ったことはないように思います。

「われわれは明日、頂上を越えることになっている、リラ・マイ・リラ。(中略)
 リラ、君も知っているように、僕は前からものを予感していたね。笛吹きのことを憶えているだろう――いや、もちろん、憶えていまい――(中略)。僕は不思議な幻というか予感というか――なんと呼んでもいいが――を見たのだ。リラ、僕は笛吹きが影のような軍勢をうしろに従えて谷を下るのを見たのだ。(中略)僕はあの瞬間たしかに笛吹きを見たのだ。ところがリラ、昨夜また笛吹きを見たのだよ。(中略)僕は本当に笛吹きを見たのだ――空想ではない――幻影でもない――笛の音をたしかに聞いたもの。すると――笛吹きは消えてしまった。しかし、僕は笛吹きを見たのだ――それがなにを意味するか僕にはわかっていた――僕も笛吹きに従って行った者の中に入っているのだ。
 リラ、笛吹きは明日笛を吹いて『あの世』へ僕を行かせるだろう。僕は確信している。しかもリラ、僕は恐れないのだ。知らせを聞いたとき、このことを思い出してくれたまえ。ここで僕は自分の自由を――あらゆる恐怖からの解放をかちえた。なにものをも恐れることは二度とあるまい――死をも――生をも、もし結局、生きて行くとしたらね。そして二つのうちでは生のほうが難しいと思う――なぜなら、僕には生は二度と美しくならないだろうからね。いつもいやな思い出につきまわとわれていなければならない――そのため僕にとって人生はいつまでも醜い、苦痛にみちたものになるだろう。僕にはとても忘れられない。しかし、生にせよ、死にせよ、僕は恐れていないよ、リラ・マイ・リラ。そしてここへきたことも後悔していない。僕は満足だ。以前、夢みていたような詩を書くことはもうあるまい。しかし、僕は未来の詩人のために――働く人々のために――それから夢想家のためにもカナダを安全なものとするのにつくしたのだ――そうだ、夢想家のためにもだよ――(中略)
君は子供たちにわれわれがそのために闘って死んだ理念を教えるだろう――その理念はそのために死ななければならないと同時に、そのために生きなければならないこと、そうでないとそのために払った犠牲が無駄になるということを子供たちに教えてくれたまえ。これは君の役目の一部だよ、リラ。もし君が――故郷の娘すべてが――そうしてくれるなら、われわれ戻らないものは君たちがわれわれに対して『誓い』を破らなかったことを知るだろう。(中略)
それでは――お休み、われわれは夜明けにいただきを越えるのだ」

ウォルターは入隊してから書いた詩が有名になり、詩人になりたいという夢を叶えたことにもなるのでしょう。
人生から与えられたものではなく、自分が掴みに行った幸せで死んだウォルターを思うと、胸が締め付けられるとはこういう気持ちなのかと思うのです。