ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

出会わなければよかった人などないと笑います。

家計簿で振り返る2020年

2020年の家計簿。


f:id:tyuruyuuka:20210108200326j:plain


●総出費 ¥1,054,322


●食費 ¥69,674
作り置きやお弁当のための費用のみ。
米は実家から送ってくるのでかかっていない。
食べ物は出来る限り有機栽培のものや調味料もお高めなものを選んでいたので、ここまで少なかったとは。
ただ、一週間のうち2/3は夜ご飯食べていない生活だったのでそれもあって少なめ。


●外食 ¥161,050
●料理 ¥3,368
外食といっても、お菓子代がほとんど。
一人飲みの費用や趣味としての料理はここに含まれる。
料理という項目はごく最近増やしたので、お菓子の中には休みの日に作った唐揚げやビーフシチュー、カレーや餃子などにかかった代金が含まれる。
つまり、作り置き以外の楽しむための食費・お菓子代がこちら。


●日用品 ¥33,292


●交際 ¥133,052
飲み会、プレゼント、お歳暮など。
コロナであまり機会がなかったにも関わらず、意外と使っている。


●美容 ¥89,064
化粧品など。
美容院3回、25,426円のドライヤー、7,071円のヘアアイロンを含む。


●服 ¥93,635


●教養 ¥3,663
参考書とか。


●交通費 ¥28,590
仕事で移動した分のスイカの自動チャージが含まれるので、実際はもう少し低いと思われる。


●医療 ¥34,684


●住まい ¥347,940
水道光熱費込み。一人暮らしを疑う値段。
激安住居のため。


●通信費 ¥18,110
スマホ、切手。


●遊興費 ¥17,549
ライブなどのチケット。


●その他 ¥20,651
Amazonへのチャージ(少し安くなる)など。



家計簿に追加しなかったスペシャルな金額が1つだけ。124,300円の指輪代。
含めても1,178,622円でした。

今年はお金が貯まりました。

またお待ちしております、は言えない

大学時代、3年間アルバイトをしていたお店がなくなるという知らせがありました。

寂しいです。



アルバイトに応募した、初めて電話をした日。店長の声を聞いて、ここでならやっていけると思いました。
働き始めた日。お客さんがあまりいなくて暇な日でした。
仕事を覚え始めた日々。覚えることがたくさんで、でも楽しかったんです。
異動を持ちかけられた日。アルバイトなのにそんなことがあるのかと思いました。
異動先から戻れることが決まった日。店長からのLINEが嬉しかったです。
先輩たちとの楽しかった日々。サークルみたいに楽しくて、夜中にこっそりアイスを食べたりしました。
店長が変わった日。不安でした。
キッチンの社員に怒鳴られた日。帰ってから悔し涙が止まらなかったです。
休学のため、バイトを辞めると言った日。

復学して復帰したけれど他の店舗に配属になり、それでも私の原点はあの店でした。
それは、2年近く前に就職のため辞めるまで、ずっとそうだったんです。そして、今も変わらなかったのに。



飲食店だから、なくなってしまうのは今の状況ではきっと難しかったのでしょう。
いいえ、コロナウイルスなんて言葉が蔓延するかなり前から、コロコロ変わるスタッフにお客さんは離れていたんです。



でも、それでも、私にとっては実家のような、いつだって温かく迎えてもらえる場所でした。
どんなに大学が嫌になっても、職場だけは嫌になることがなくて本当に楽しくて。
勉強しながら遊んでお金をもらえるような、そんなふうに楽しく仕事をしていました。
たくさんの学び。たくさんの笑い。たくさんの悔し涙。
間違いなく、私が育てられた場所。
それが、なくなるなんて。



寂しいです。寂しいです。
あの場所で出会ったたくさんの人たち。
豚足の唐揚げ。油淋鶏。チキン南蛮。とりあえずキャベツ。しゃぶしゃぶサラダ。獺祭。刺身の三種盛。サワラの刺身。200円ビール。
今でも、居酒屋に行くといらっしゃいませって言いたくなるのに。予測変換でお店の名前がすぐに出てくるのに。
思い出の場所がまた一つ消えて、一つずつ失っていくことがこんなに悲しいんだって初めて思いました。



ありがとうございました。
大好きでした。
まだ店は働いていた他の店舗は残っているけど、私にとっては唯一無二の存在でした。
どうかあの店の思い出を、あの店の全盛期を駆け抜けた私が、一つでも多くより長く憶えていられますように。

1年前の、真っ暗な私へ

1年後のあなたは、あなたが使っている新御徒町駅を歩いています。


久しぶりの改札から下りるあの階段は狭くて、思わず下りる前にぼうっと眺めてしまって不審な目で見られました。
あんなに長いと思っていた階段は段差が小さく、下りきった後に思わず振り返ると、今使っている秋葉原駅にあるような「1ヶ月で実感」「ホームから100段達成」というような激励の文字はなくて、ちょっと寂しい気がしました。


終電間近であまり人がいないからか、2ヶ月前に買ったパンプスのヒールの音がよく響くホームには、雨は吹き込んできませんでした。
当たり前ですね、地下深くにある駅なのだから。


今のあなたも住む部屋へと向かう電車に乗り込む前に、秋葉原へと向かう新車両とすれ違いました。



新卒で入社した会社から4ヶ月でリストラを言い渡され、大嫌いな社長から逃れられるほっとするようなせいせいするような気持ちと、これからどうなるのか不安になっている気持ちと、新卒の経歴を汚された恨みの気持ちと、いろんな思いがあなたの中でぐちゃ混ぜになっていると思います。


1年以上経った今は恨みの気持ちなど消えて、と言いたいところですが1年ちょっとでそんなに大人になれるはずもなく、今も恨みの気持ちはいっぱいです。
そんなものです。

ですが今日、御徒町駅から新御徒町駅まで歩いていて、懐かしいという気持ちでいっぱいで、ほんの少しだけ大人になっているような気がしました。



辛かったことがあったからこそ今の自分がいるなんてまだ思えないけれど、あなたのおかげで今の私がいることは確かです。
未来は、あなたの思うよりもずっと、厳しくて暖かく、そして予想もできなかったことだらけです。
それでも、この場所であなたを待っています。



最寄り駅は、今日もどこか親しみ深く迎え入れてくれるはずです。

noteと私、そして私だけ

先日、noteをやめました。
noteは私にとって大切なもので、でも近年はそうでもありませんでした。
ずっと更新もせず、もう更新はしませんと早く言おうと思いながらもずるずるとしていた時、例の騒動が起こったのです。


それをきっかけにすっぱりと、私はnoteを去りました。
その時の文章を、もったいないのでこちらにも残しておくことにしました。



noteは、色々と言われた媒体でした。


稼いだ人もバズった人もnoteをきっかけに連載を始めた人もいました。
でも、私のようにひっそりと、知らない人の文章や絵や写真やその他を楽しんでいた人もいて、独特の雰囲気があり、幾らかの人にはなくてはならない救いになったメディアでもありました。


楽しかった。救われた。でも、もう私の居場所じゃない。

note、さよなら。



ーーーーーーーーーーーー(noteに8/15掲載)ーーーーーーーーーーーー


noteからメールが来ましたか?
私には来ました。重要なお知らせ、ってやつです。
それを見て、決心がつきました。
もう、ここは私の場所じゃない。


noteを始めたばかりの頃、よく覚えています。
面白くない大学の図書館のソファで、短歌を投稿していました。
あの頃、たった一人だけ毎回スキをくれた方、今頃どうしていらっしゃるのでしょうか。あなたのお陰で、私はなんとか自分を保っていたような気がします。ありがとうございました。


それから、エッセイみたいなものを書くようになりました。
少しずつフォローしてくれる人が増えてきて嬉しかった、あの頃はフォロワー100人を目標にしていました。
いつの間にか100人を超えていて、毎日投稿したりしなかったり。


自分の書いたnoteを紹介してもらったりコメントをいただいたり。
スキの数を気にしたり一度もおすすめに載せてもらえないことを気にしたり。
noteが好きでした。色んな人がいました。
たくさんの文章を読むことが好きでした。
思い切ってコメントをすることも嫌いじゃありませんでした。
コメントをいただくと飛び上がるほど嬉しいものでした。
自分の考えていることを読んでもらえる喜びを知りました。


あれは、休学後大学に復学した頃でしょうか。自分の考えていることを他人に理解されなくても苦しくなくなったのは。
そして、それと同時に私はnoteを居場所とは思えなくなってしまいました。
それは心の変化ももちろんでしたが、noteが変わってきたのも大きいことでした。


集まる人や雰囲気やタイムラインの速さがどんどん変わっていっているのを感じていました。
初めの頃、何度スクロールしても更新されなかったタイムラインは、追うのにやっとというくらい速くなりました。お金を稼ぐ方法について書く人が増えました。有料プランが始まりました。
私は、置いて行かれていました。いえ、着いていくのを止めたんです。


そして、早くnoteの更新はもうありませんと書こう、と思いながらもダラダラと時間が過ぎていた昨日、メールが来たんです。


本当にありがとうございました。お世話になりました。
私を救って、支えて、励まして、自信をくれたnote、そしてたくさんの人たち。
私は、違う場所へ移ります。
そちらも更新頻度は全然高くなくて、全然読んでくれる人もいなくて、でも自分だけのブログだから思い出した時に更新したりしています。


ありがとうnote。
願わくば、私が大好きだったこの場所にいた人たちが、それぞれの場所で幸せでありますように。

フローラ

昨日、指輪を買いました。
一月前に一目惚れして、迷ったけれど思いきりました。
そう、私はいつか死ぬから。



以前に書いたのですが、私は、見るたびに死を思い出せるようにこの指輪を買いました。

生きているのは当然じゃなくて、死ぬことを含めて生きていることだから、だから、常に私の中にあり続けている死を思い出せるように。
そして、そんな自分を好きでいられるように。

自分へのご褒美というよりは、自分への縛めとして。



上を見ればものすごく高いとは言えないけれど、とても安いとは言えない値段でした。

職場でつけるには少しデザインが凝っていて、小さいけれどダイヤも3つ。見る人が見れば誰もが知っているブランドの名前が一発で分かる、存在感のある華奢なデザイン。

私の指とブレスレットともう一つの指輪に良く似合うイエローゴールドの輝きに、私は死を見ることにしたのです。



もともと30歳になったら指輪を買おうと思っていて、一目惚れしてしまったせいでそれを前倒ししてしまいました。
後悔なんてこれから先もずっとしないって言ったら嘘になってしまうかもしれないけれど、でも今はしていません。


一生大事にできるって思って選びました。
サイズも相談して、迷って決めました。(アドバイザーのIさんには心からの感謝を。)

だから声を大にして自慢します。


世界で一番私に似合うリングを手に入れました。生を享受することを当たり前と捉えない自分とともに。



願わくば。


この指輪と生をずっと大事に出来ますように。
この指輪が、私を守ってくれるリングであり続けますように。

来年も、特別じゃない誕生日を迎えられますように。

自炊の記録

何かの記録に、私の自炊生活を。



ご飯。

1〜2週間に一度炊く。白米に15穀米、それに好きな押麦をプラスして加えて。
同時にお米の半量の乾燥大豆を別茹でする。茹で上がるとだいたい倍になるので、炊いた米と混ぜて一食分ずつラップで包み、冷凍。
大豆を別茹でするのは、炊飯器で一緒に炊くと臭いが気になったから。



おかず。


1〜3ヶ月に一度、一人暮らしとは絶対に思われないであろう大量の野菜を買ってきて大量の野菜炒めを作る。
醤油味、味噌味、中華風、サバ缶入り、ツナ缶入り、油揚げ入り、いりこ入り、トマト缶入り、ひじき入り。肉はあまり食べない。サバ缶の方が美味しい。
それをチャック付きの袋に入れて平べったくして冷凍。



味噌汁。


1〜2週間に一度、味噌玉を作る。
味噌は1〜3種類を適当にブレンドしたりしなかったり。
必ず入れるのは、かつお粉、しいたけ粉、昆布粉、生姜パウダー、わかめ、きな粉、すりごま、干し野菜(大根葉、ほうれん草、人参、大根)。
入れたり入れなかったりしてバリエーションをつけるのは、高野豆腐、麩(小さい丸いのと、少し大きめの)、板麩、めかぶ、昆布、七味唐辛子、柚子入り七味唐辛子、柚子胡椒、かんずりコチュジャン
作ったら一食分ずつラップで包んで冷蔵庫へ。



仕事のある日。朝。


弁当箱はジップロックスクリューを使っている。汁漏れしない。最強。
が、落としたりレンジ失敗したりと何度も駄目にし、今は一番小さいのが2つとそれより一つ大きいサイズが一つで回している。

ご飯、味噌玉を一つずつ。
そして冷凍していたおかずを砕き、詰める。
以上。
これで弁当の出来上がり。



ご飯は冷凍したまま持っていって、食べる前に電子レンジへ。夏場も全く傷まないどころか冷房あるので溶けきっていない。
味噌玉は、お湯を注いで混ぜて味噌汁の完成。出汁をきかせているので美味しい。隠し味で楽しくなったりする。
おかずは解凍後はかなり少なくなるので、ぎゅうぎゅうに詰めていく。一種類しか持って行かないが、何も不満はない。美味しい。



休みの日は、ご飯におかず載っけて電子レンジへ。丼ものが大好きだから大満足。
雑炊も好きなので、水を加えて適当に混ぜて雑炊にしたりもする。これも美味しい。



豆ご飯にするのは、タンパク質を嫌でも取れるから。
タンパク質を取るとお腹が空きにくい。これは本当で、試してみた時に感動したので続けている。豆は意識しないと全く取らないし。


そんな訳で、私は休日、それもたまにしか料理はしないが完全お弁当生活。
かなり楽なのにちゃんと美味しい。大事です。

足跡として

一時期、毎日ブログを更新していた時期がありました。
自分の考えていることを自分以外の誰かにも知って欲しいと、そんなことを考えていたような気がします。

そんな気持ちがなくなったのは、たしか、休学を終え、大学に復学した頃。
すとんと、何か憑き物でも落ちたように、他人の理解を得ようとはしなくなったのです。



それがどうしてなのかは私自身にもよく分からないのですが、その頃から、私にとって世の中が少しばかり生きやすくなったことは確かです。



それまでは、もがいていたような気がします。
誰かが、私の思いを行動を理由を、そして私自身を、理解してくれるような気がしていました。探していれば、きっと。

けれど、そんな人は見つからなくて、苦しくてもがいて、もがいても出口が見つからないことにあがいて、そうすることで自分の首を絞めることになって。



苦しんでいたはずのある時、それが必要ないと気付いてしまった。
他人の理解などなくとも、私は生きていける。それが私自身の自己肯定感や生き方や生きやすさには関係ない。


それは、見えていなかった私自身の真実でした。



他人の理解を得ようとしなくなって、本当に生きやすくなりました。私自身が満足できることだけを考える生き方は、本当に楽。

例え我儘に他人の目に映るとしても、私の生きづらさを代わってくれる人は誰もいないんです。


だから、自分のことを大事にする生き方を手に入れた私は、確かに強くなったような気がします。



今は、書きたいという衝動で書いています。
誰かに届けとか評価を得たいとかではなく、今、この気持ちを保存しておこうと思っています。

それは未来の私のため。
そして、書くことで安心する今の私のため。



これからも、私は、力を抜いて生きることにしていて、その私の足跡が、このブログになればいいなぁと思うのです。

いつか死ぬとしたら

最近、いつか死ぬんだなぁと考えています。



先月、妹があやうく死ぬところでした。
あのままだったら助かる可能性は50%でした、と手術担当医に言われました。

そして昨日、私の心臓は不規則な脈打ち方をしました。
病院に行って薬をもらいました。


死ぬことについて考えるのが連続しています。



先日、「エリザベート」にはまりました。

エリザベート」。知っている人にはあまりにも有名なミュージカルですが、簡単に言うと、死(トート)がオーストリア皇后エリザベートに恋をする話。


考えても考えても底の見えない物語なのと、私よりも長く深く愛している方がたくさんおられるミュージカルなので何を言っても見当違いかもしれませんが。

エリザベートは、死によって『自由を求め続けること』から解放されたんじゃないか、って思うのです。
自由を求め続ける自分というのにも束縛されていたエリザベートには、自由を求めなくとも良くなった死が解放だったような気がするのです。

そして、それは、たぶん私にとっても同じ。


私はまだまだ生きているつもりで、それでも、生きているって幸運なことなんだなぁと感じました。


それから、買うかどうかを迷っていた指輪を買うことに決めました。

私は、自分の好きな自分で少しでも生きていたいって思ったんです。考えなくても死を受け入れられる自分でいたい。


だから、まずは指輪を買うことから始めようと思いました。見るたびに死と向き合えるように。



死ぬのって、怖いんでしょうか、痛いんでしょうか。

死ぬのは怖くないけれど、痛いのは嫌です。


どうか、いつか辿り着く途の先で、私が得られるものが安らぎでありますように。

雨のせい

男の人は、いいよね。
って午後中ずっと思っていました。


男性は異性から重視されるポイントが歳とともに変わっていくが、女性はずっと変わらない。

そう、聞いたことがあります。

小さい頃は運動神経、もう少し成長すると顔、社会人になると収入や所属といった、どこか一つで秀でられればどこかで女性にモテる。
反対に、女性が重視されるのは、生まれ持った容姿のみ。



社内の共用メールに、なぜか残っていた個人宛のメールを見てしまって。
可愛らしい先輩と自分との扱いの差に、見なければ良かったと後悔してから、心が黒く染められるのを止められません。



分かっています。

お人形さんのような顔をしたあの人が体型を維持するために努力していることも、どこに行っても振り向かれるような長身美形のあの人に辛い過去があることも。

それでも、こんな日は、どうしても心が醜く歪んでいくのを止められないでいます。
私だって、美しく生まれたかった。


そう思ってトイレの扉を開けると、綺麗な人とすれ違って、自分の心の真っ黒さにまた憂鬱になって。



分かっています。

生きやすそう、と言われる私だってこんな気持ちになるのだから、他の人たちだって辛い思いをしているに違いないってことも。
他人から見るほど人生なんて甘くないことも。
きっと誰にだって起き上がることすら億劫な朝があることも。


分かっているけど、

女の子は愛嬌が大事と言いながら、本当に可愛い女の子だけを選んで話しかけに行く上司もいます。
仕事が出来て誰にでも可愛がられている美しい先輩が眩しすぎて直視できません。
飲み会で私だけ彼氏がいるか聞かれませんでした。


ねぇ、なんか、全部全部、黒くて、真っ黒で、もうどうしようもなく心が汚れていくのが止められないんです。



分かっています。

毎年、梅雨時は憂鬱になる。

妬みも僻みも嫉みも、きっと、雨のせい。
きっと美しければ良かったなんて、明日晴れれば忘れている。
何の悩みもなさそうなんて、嗤われながら。


全部、雨のせい。

カウントしましょう

まだコロナが話題になり始めたばかりの頃、職場で、感染者数を数えている先輩方がいました。
「○人超えましたよ」「やばいよね〜」
という会話が交わされていました。

 


T係長は、今でも、仕事が終わると同時に
「今日は何人だと思う?」
と東京の感染者数を教えてくれます。


また、もし今の状況で富士山が爆発したら、大地震が起きたら、と最悪の事態について話題を提供し、周辺の空気がどんよりと沈みます。

 


そんな中、既に感染者数のカウントをしなくなった先輩のIさんが、産休に入りました。


最終日、この状況では病院も大変ではないですかと聞いてしまいました。
そうしたら、既に、入院してからは面会ができないと言われているそうです。当然出産の際の立ち会いもなし。


初産なのに一人ぼっちで、Iさんは、産みの苦しみに立ち会わなければならないんだなと思いました。
どれだけ出産が不安か、そして今のこの状況でウイルスに侵されてしまったら自分も子どもも危険という環境がどれほど怖いか、私には想像が出来ませんでした。

 

 


いつまでこんな自粛が続くのか、先が読めなくて時々暗くなります。
でも私の職場は優しい人ばかりで、先述のT係長と先輩のKさんは、マスクを1枚も持っていない私にマスクをくれました。
余裕がある人が多いのは、会社が安定していることも多分に関係しているのでしょう。

 

 


今朝も電車は空いていて、間隔を空けて座ることが出来るほどです。駅も車内も広告の数がとてつもなく減っていて、大不況の予感しかしません。


私達はこれからどうなるのでしょう。


明日がどうなるのか分からない、なんて今までだってずっと同じだったはずなのに、どうしてこんなに怖くなってしまうのか。
一人だけ生き残るのも一人だけ死んでしまうのも嫌だなんて、そんなわがままがこの先通るか分からないけれど、手の届く限りの人とは助け合って生きていたいです。