ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

新しい1年に

新しい1年に、誓っていることがあります。
絶対に後悔しない1年にすること。


7月に、会社の制度に応募しようと思っています。
合格できれば、最短で来年の4月から海外で働けることになります。
この場所で過ごす最後の4月や最後の10月がやってきて、私は荷物をまとめて埼玉県の住所を手放すことになります。



行こうと思っている国は女性は髪が長いのが当たり前で、だから私も髪を伸ばしています。
染めていた部分がほとんど目立たないほどなかなかに伸びた髪は、以前よりもぐっと長くなりました。
もし、いつから考えていたのかと聞かれたら、髪を伸ばし始めた頃からと答えるつもりです。



新しい年は馴染まないかと思ったら、自然と生活に入り込んできて、私は少し怖くもあります。
コロナは、これからどうなるでしょうか。
全ては神の御心のまま。
宗教なんか持っていないくせに、そんなことがふっと浮かんでしまう1月です。

【モンゴメリ】赤毛のアン

赤毛のアンを読みました。モンゴメリ作、村岡花子訳。
昔子どもの頃、アニメで見た時は心惹かれませんでした。おしゃべりで想像力豊かな女の子に魅力を感じなかったからです。
それは今思い返してみると、自分自身に近かったからかもしれません。



27歳になってふと手にとってみた小説では、マリラとマシュウの心情が描写され、娯楽のほとんどない時代の田舎町で、アンの想像力と明るさをどんなに二人が愛したのか伝わってくるのです。
特にマリラについて、厳しい人というイメージしかなかった私にとって、愛情深いことや周囲の人間をアンと同じように感じていたことや厳しさに隠していたユーモアがかなり新鮮でした。
最初は気難しい印象のマリラは、アンに影響され性格の変化が大きくなり、しかもアンがあまりにもマリラに向けて喋るので、私はマリラが実は主人公なのではと思うほどです。
マシュウはマリラに比べてあまり出てこないのですが、物語全体がマシュウの愛に包まれているような、そんな慎ましやかでいて一等大きい愛を感じました。膨らんだ袖や新しいコートや真珠のネックレス、アンを心から誇ったエピソードの一つ一つにマシュウの微笑む顔が私には見えるようです。



そして風景描写。美しい自然、そしてそれを楽しむアン。
朝が来るごとに朝を愛し、夕方が来るたびに感嘆のため息をつく彼女が近くにいたらどんなに毎日が素敵なことか、もう子どもでない私には分かります。
さらに読み終わった後に思ったのですが、物語全部を通して飽きることなくそれを愛し続けられるアンは、とてもすごいのではないでしょうか。



赤毛のアン。名作と言われている理由が分かりました。とても面白く、惹きつけられる物語でした。
例えその先の結末が分かっているとしても、アンの嘆き悲しみにハラハラし、その大仰な言葉遣いにマリラと一緒にクスッとし、マシュウと共に目を細めて成長を見守る、そんな物語です。
嫌いな人や小言ばかり言う小母さんがいて、親友も好きな先生もいて、満足を知るアンに心が惹かれます。
大事件というほどの事件は起きません。しかし、生きていく上で誰もが踏み越えてきたに違いないものをアンが経験していく姿が、ただひたすらに眩しく映るのです。



素晴らしいものを読んだ後はいつも、心がぼうっとして考えることが出来ません。なのに、こんなに興奮するままに書いてしまいました。
早く続きを読みたい、でもそれが勿体無くてたまらない、そんな小説にまた出会えて嬉しい限りです。

彼女の手紙から

昨日、たまたまTwitterで、アンジュルム笠原桃奈さんが卒業したことを知りました。
……こう書いてはいますが、私はアンジュルム笠原桃奈さんのことも何一つ知りません。ご本人とファンの方には申し訳ないのですが、存在すら初めて知ったのです。
私にとって彼女が一個人として認識できる存在になったのは、たまたま、卒業コンサートでの彼女が書いた手紙を読んだからです。
すごくいい文章だったので、残しておきたいと思っいました。


(元の文はこちらを参照しました。)


何事も楽しいとか、うれしいだけでは語れないこと、強さも弱さも持っているから感動を知れること、大切なことをたくさん教えてもらいました。

自分の中で簡単には消化できないようなつらいこともあったけれど、今はそんな出来事を経験しなかった自分を想像すると少し怖いです。


人生には陰の部分と陽の部分があってそれらは必ず隣り合っていて、そこを無視しては生きていけないという至極当たり前のことが、こんな平易な言葉で表された文章を私は他に知りません。
嫌なことも苦しいことも飲み込まないと人生の良さが享受できないなんて言うつもりはありませんが、それらを経て初めて分かる煌めきがあるのではないかと、最近思えるようになってきました。
悲しいことに、それを実感できるのは私の場合いつも何かの「終わり」で、だから一瞬の輝きばかり追ってしまっているのではないかと反省しています。


今、何にも代えられないものは、この先何に出逢っても代えられないもので、
それは過去に、未来の私の中に在り続けるんだと思います。
(略)
すべてが今でもきらびやかでまぶしいのに、いつか思い返したときそのまぶしさに、私は耐えられるのかなと思ったりもします。


今が幸せだと未来が怖くなる気持ちが私の中には常に存在していて、いつか利子というのかリバウンドというのか、そんなしっぺ返しがあるのではないかと考えてしまいます。
それが私だけではないのだなと思わされました。私は彼女のことを何も知りませんが、もし彼女が明るい人なら、切なさやネガティブを隠し持っているから明るさが際立って見えるタイプの人だと想像しました。


いつ何時も私が思うのは、
きっと、出逢えるというのはすべての人に平等には訪れないんだろうなということ。
このあたたかさを、優しさを知っている私は私を、特別だと思えます。


ただ、ここだけは私の意見とはちょっと違います。
出逢いの機会は、きっと人間には平等に与えられているものだと思います。ただし、それを掴めるかどうかが個人によって異なるのではないでしょうか。
だから人間には、余裕が大切なのだと思います。いつだって出逢えることを大切にしたくてそれに気付いている人が、きちんと機会を生かして出逢えるのだというのが私の考えです。例えそれが、人ではなく他のことでも。
だから、「あたたかさ」と「優しさ」を知っている自分を特別に思う彼女は、自分を褒めるべきなのだと思います。それを手繰り寄せて、自分の中に大切として確立した自分をです。

私は明日からも、私らしく、変わらないものと変わりゆくものを抱えて、進んでいきます。


進むしかないということ。それを受け入れるしかないということ。それらは諦めのようでいて同時に前向きに生きるために欠かせないものです。
彼女にとっての変わらないものと変わりゆくものが何かは彼女自身にも分からないはずで、だからこそ「未来」です。

18歳でこの文章が書ける彼女の未来が、彼女にとってより幸せを感じられるものであるように祈ります。

好きなアルコール

酒で酔い過ぎた人間が嫌いなのだと思います。
だから私は、我を失うほどお酒を飲んだことがありません。お酒に飲まれたこともありません。記憶を失ったことも吐いてしまったことも二日酔いも。
楽しい飲みの場でも、飲み過ぎるとセーブしますし自分が酔っ払ってるか判断もします。どこかできちんと冷静な自分がいます。
家に帰ったら顔をマッサージして、水をきちんと飲んで寝ます。

自分が何を言い出してしまうのか、怖いのです。
でもよく考えると私は、酔っ払った人が嫌いなのかもしれません。



気持ちの良いお酒は大好きです。
友達と酔っ払ってよく分からないことで永遠に笑い続けるのも、上司の話してはいけないような話を聞くのも、年上の友達と人生論を語るのも、好きです。

けれど、足元がふらつくほど酔っ払った上司は気持ちが悪いと感じてしまって、呂律の回らなくなった友達は不気味に感じてしまうのです。



昔、まだ小学生位の頃、父親が同窓会だと言うので祖父母の家に泊まりに行きました。
私は先に寝ていたのですが、夜中に目を覚ますと父親が素っ裸で寝ていました。なんだか怖くて、祖母を起こして一緒に寝たのを覚えています。

それがトラウマなのか、生理的に、訳が分からなくなるほど酔っ払った人が苦手なのか。



そんなことを考えているのは、惰性で付き合ってしまった上司との飲みの席が楽しくなかったからです。気乗りがしない時は素直に理由をつけて断るべきでした。この間はあんなに楽しかったのに。
止まっている電車の中でされた、好みの男だの結婚するのしないのといった会話もとどめでした。つまらなかった。
スーパーに寄ってお酒を一缶買って家に帰ってシャワーを浴びて、飲み直してから寝ることにします。

私は、私の幸せのために、アルコールを摂取します。

憧れの果て

幼児と呼ばれていた頃、歌手になりたかったです。
歌うことが好きでしたし、何よりもテレビの中で歌っている人はとても楽しそうでした。
小学生向けの本を読んでいた時、お姫様に憧れました。
金銀財宝、キラキラ光るアクセサリーにふんわりしたドレス。最後は必ず幸せが約束されていました。
高校時代、友達に学年中が友達のような子がいて、できればその子になりたかったです。
学年全員が友達で誰からも相談を受けていて、告白もされていて、憂うことなんてないように見えました。



大人になるってことは残酷です。
疲れ果てた歌手も自殺した俳優も知って、彼らは楽しいからではなく仕事だから楽しそうに笑っているのだと解りました。
本物のお姫様には庶民が手にしているなんてことない自由すらないのだと知りました。
友人は、卒業したあと、あの頃の同級生とは誰とも連絡を取っていないと教えてくれました。

憧れていた世界は切り取った一部でしかなくて、苦しみは変わらなくて、私は私として生きるのしかないのだと思い知りました。



私にはかつて夢がありました。けれどほとんどすべての夢は消えました。
毎日を平穏に生きること、それがとても尊いことに気がついたからです。
誰でも、不幸になる可能性も幸せになる可能性もあると思います。それに怯えながら、生きていくしかないのだと思います。
生きることは間違いなく苦行です。それを知ってはいても生まれてこなければ良かったと思わない日々を望んでいます。



お金には不安しかないけれど、それでもお菓子を自由に買ってお酒を飲んで、機能と値段とをにらめっこしながら自分にあった下着を買って、どれにしようかと20%引きの味噌の前で悩む。
そんな私の生活は、今のところ随分恵まれているように思いますし、ささやかな生活が幸せに感じます。



憧れや羨ましさを、随分と自然に受け止められるようになってきたと実感します。
憧れも羨望も私を苦しめて、苦しめてくれました。苦しさの中で生きるしかないことも、それでもそこに幸せが見出だせる瞬間があることも現実だからこそ、自分と向き合って生きていきたいと思う今日この頃です。

楽しい日

tyuruyuuka.hatenablog.com


昨日とは打って変わってちゃんとした一日です。
朝起きて洗濯と掃除をしてお風呂に入って、髪を綺麗にして、手の爪を削って、足の爪を切って色をのせて、顔をマッサージして、今はメンテナンスがてら防災ラジオを充電しながら番組を聴いています。

お腹が空いているような空いていないような、どうしようかなと思ってはいますがたぶん、このあとナンとチーズでチーズナンを作ってカレーと食べると思います。


入浴は命の洗濯ってこういう時はそう思えるのですが、気分が乗らない時は分かっていても入る気にならなくて、つくづく気分に左右されてしまう生き物だなぁと自分ながら呆れてしまいます。



スケジュールを決めるのが昔から嫌いです。
ご飯を食べようと思って外に出てから、結局何も食べずにスイーツだけ買って帰ってくるような、そんな自分をよく知っていて、その時自分がどう思ってるかその瞬間になってみないと分からなくて、だから苦手です。
予定が入っているとちょっと気分が滅入ってしまうのは、眠いかもしれないし行きたくなくなるかもしれないのに決まっている行動があるというのが嫌なのだと思います。


今日はこれからのスケジュールなんて何も決まっていなくて、ご飯も食べるか分からないし、何を食べるかも決まっていなくて、買い物に行くのもお出掛けするのも自由なので、とっても気分が良いです。
映画を見るかもしれないしアニメを見るかもしれないし、漫画を読むのもここに挙げた全部をしないのも自由。楽しいです。



私は一人が好きで、誰かと過ごしたい気持ちよりも自由にしたい気持ちを何よりも優先したいと思ってしまいます。
そして、それでご機嫌でいられるのなら、そんな自分を大切にしてあげたいです。

明日からも頑張れそうなので、良い日曜日です。

今日

今日、どんな過ごし方をした人も誇ってください。
私よりは意義のある一日だったと保証します。


セルフネグレクトってこんな感じかなと思う程度には、自分のためにならない休日でした。
お風呂も入っていないし顔も洗っていないし、顔のマッサージも筋トレもストレッチもしていません。料理もしていなくて食べたものと言えばソーセージとガムと袋ラーメンを二袋そのままで。(砕いてチップス感覚で食べるといける味です。)

ベッドに寝転んで映画を見て漫画を読んでネットをしていただけでした。
歩いていないから脚の筋肉が衰えているし顔も浮腫んでいるし寝ていたせいで頭も働いていません。
辛うじて褒められることは朝きちんとゴミを出せたということだけでしょうか。


天気が良かったのに洗濯もせず、言葉も発さないままずっと横になっていたせいで頭が痛みます。
だめな一日を過ごしてしまいました。
自己嫌悪と自己嫌悪と自己嫌悪と後悔が私の中にせめぎ合っていて、それでも一日中ベッドの上から動けなかったんです。


明日、もう少しは私自身を好きでいたいです。

抗わぬ自由でも

「私は年をとっているから」。
それが口癖の人がいます。
私が筋トレを始めて身体が変わっていくのを見て、マッサージをして顔が変わっていくのを見て、旅をしてきた話を聞いて。
全てにおいて自分の年齢のせいにする人がいます。
「私は年をとっているからできないの」。

私はそれが大嫌いです。
年齢なんて抗えぬものです。けれど何かを始めるのに抗っているのは自分自身に他ならないのに、年齢のせいにしているのにイライラしてしまいます。



誰だって、今日が一番今までで年をとっているのです。その逆に、今日が一番これからで若いとも言えるのです。
年齢、年齢、年齢。そのせいにすれば何もしない自分に満足できるのでしょうか。満足しないから年齢のせいにしているのではないでしょうか。
若いということは、それはアドバンテージにはなっても行動を制約する理由にはならないと思うのです。



昔、中学生の頃、タイツを履けませんでした。お洒落に感じていて、タイツなんて似合わないと思っていました。それを言うと、ちゅるらしいねなんて同級生に言われていました。
今、私にとってタイツは防寒着です。服装に合わせて色を変えたりはしますが、単なる防寒着です。
高校生になって思いきってタイツを履いた時、誰にも何も言われませんでした。縛られていたのも縛っていたのも自分だったんだと気が付きました。
思い込みや無理かもしれないなんてことで自分をきつく縛り上げるのはやめようと、あれから私は思うようにしています。



私は今まで全く運動をしないで生きてきているので、10代の頃よりも筋トレをしている今が一番筋肉があります。
代謝が人生で一番であっただろう時期よりも、マッサージを欠かさない今の方が顔が明らかに小さいです。
そして、どんな時代よりも一番心は自由です。
行動を制約しているのはいつだって自分です。それを忘れないで軽やかでいたいです。
私は縛りたくないし縛られたくなくて、それが例え自分自身であっても許したくないです。



好きな服を着て好きなことをするのに、誰の許可もとりたくないのです。始めたい時にやりたいことをして、成果がすぐには出なくても、しないよりはずっといいと覚えておきたいです。
何よりも、しないことも自分自身で選んでいると胸を張って言いたいです。それが例え金銭的な理由であっても、胸を張って、だから選んでいないと言います。

私が思う自由っていうのは、そういうことなのではと考える、寒い日です。

会社のこと

転職して2年になります。
未来の私が今の会社に絶望した時のために、書き残しておこうと思います。



今の会社を選んだのは、随分消極的な理由だったと思います。
選考に落ちて落ちて落ちて。もうあとは引越しをしなければと考えていた時に、合格したのです。

決められたのは、選考担当のI課長がとても丁寧だったからです。「来てくれてありがとうございます」の声掛けが出来る会社は、あるようでなかなかありません。



入社して嬉しかったのは女子トイレがあることと制服があること。着用義務のない制服を着続けているのは、まともな会社に入社できたと実感したいからです。

入社してしばらくして発見した会社の良いところは、新しいものを否定しないことと風通しの良いこと。上司がお喋り好きなこと。
勝手に作ったエクセルのシステムは喜ばれて、業務時間を一部勝手にシステム作成に当てていても何も言われません。
年下なのにかなり自由に発言できるし、上司と喋ってのびのびと過ごせています。
上司も先輩も優しくて、私にはもう後輩は出来ないけれど、下なりに楽しんでこれからも過ごしていきたいです。



この会社はベンチャーの走りだと、上司が言っていました。
確かに、学歴にとらわれず色々な人がいて、会社の規模にしては自由で、でも皆に共通しているのはとても真面目なところと自分を持っていること。
会社に対して不満はたくさんあるけれど、なんだかんだでやっぱり好きで、だからこそやれてこれています。



いつか会社を嫌いになるかもしれなくて、それでも今が充実してることには変わりがないことを、忘れないようにしたいです。
私のずっと昔からの夢を叶えられると信じているから、どうかそんな日が来ませんように。

救われて生きてきた

中川家に救われたことがあります。
前職は職場にいるのがとてもとても辛くて、毎日会社に行くのが憂鬱で、営業先からよく思われていないのを肌で感じていて、自分が社会の役に立っていないのが何よりも辛かったです。
そんな時、中川家が好きになりました。
彼らは、画面の中で喋っているだけでした。
私に頑張れとかアドバイスとかそんなことは言ってくれなくて、ただ喋っているだけでした。

それがとても心地良くて、家にいて中川家が喋っているのを見ている時は辛いことを忘れられました。
会社に行きたくなかった時、礼二さんの電車のものまねを思い出せて笑えるだけで、電車に乗るのは嫌にならずにすみました。
剛さんの喋るヤギのものまねのおかげで、上司に対して抱いている気持ちを緩和させることができました。



仕事を辞めることになって今の会社の面接を受けて、中川家を初めて生で見に行く途中、地下鉄のホームで合格の電話を受けました。
それから見た生の漫才で、涙を流して笑いました。



あの辛かった時、中川家がいてくれて、本当に良かったです。
漫才を貪るように見て、コントを覚えるくらい見て、笑って、それで幸せを感じることが出来ていました。中川家は間違いなく私を救ってくれました。



中川家の剛さんが、最初の緊急事態宣言の頃、
「おにぎりと漫才だったら当然おにぎりを取るに決まっている」
というようなことをラジオで仰ってました。もちろん、生きるか死ぬかだったら食べ物を選んでしまうと思います。
けれど、娯楽がないと人の精神は死んでしまいます。
私が家の中で楽しんで過ごせるのは様々な娯楽があればこそで、それで精神は生きながらえていると思っています。



中川家、ありがとうございます。
あの時亡くならなかった私の命は、中川家のおかげです。
あなたたちがいてくれて、幸せです。