ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

彼女の羨望、私の嫉妬

Rは私の友達で、私とは正反対の性格です。


いつも落ち着いていて感情的になることもなく、周りがよく見えて友達がとにかく多くて。 人間関係でこじれたということも聞いたことがありません。

異性に「だけ」モテるっていうんじゃなくて、同性にも全ての人に好かれる子、ごく稀にいるじゃないですか。Rはそんな子なのです。時々羨ましくてたまらなくなります。



でも彼女は、私のことを羨ましいって言うんです。


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Rとは中学で同じ部活になったのをきっかけに仲良くなって、高校では3年間同じクラスでした。結構長い付き合いなのですが、彼女のこと、高校2年生までは苦手でした。

好きだったんです、性格いいし。でも、一緒にいると不安になってしまっていたんですよ。だって、何考えてるか分かんなかったんですもん。喜怒哀楽の表現が薄すぎて、本当は何を考えているのか常に疑ってしまい、はっきり言って一緒にいるととても疲れる存在でした。



そんなRを理解できるようになったのは、高校2年生の時でした。


英語の弁論大会に一緒に出場することになった時に、彼女の書いた原稿を読んだのです。(日本語で、ですがw) Rは、自分には感情の起伏がほとんどないことについて書いていました。感情が高ぶることは時々あるけれど、起伏がないのが自分にとっては普通なのだと書いていました。

びっくりしました。ただただ、驚きました。



喜怒哀楽がはっきりしていて、感情が表にだだ漏れな私。一つ一つの物事に何かしらの感情を抱くのは疲れるし、正直に顔に出てしまうのも面倒なので、感情の起伏がないなんて、なんていいんだろうと思いました。

でも、Rはその時言ったのです、私を羨ましいと。たくさん損もするのにどうして?と思いました。



物事を全て淡々と受け流し、何の感情も持たずに日々を過ごすのはつまらないよ。そう彼女は言いました。もっと、感情が豊かだったら毎日楽しめるのに。



その時から、リアクションとか表情とかそんなものに惑わされず、彼女をそのまま受け止めることが出来るようになりました。元々それが普通だと分かっていれば、不安になることもなくなったのです。


私が欲しいものはRにはいらないもので、私のいらないものはRの欲しいものでした。それをお互い瞬時に理解したように思います。少なくとも私は、Rを理解しました。



それからRとは、お互いに良き理解者として良い関係を築いています。


そして、あれから私は、他人を羨ましく感じることはあまりなくなりました。私が持っているもので、相手が欲しいものもあるはずだと思えるようになったからです。



手に入れられないものを相手に見出しながらも、それはそれで大変そうだとお互いに感じる関係は心地良く、独特の友達としての距離を保たせてくれるものとなりました。

私が大人に近づいた一歩は、間違いなくあの時であったと思います。