ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

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出会わなければよかった人などないと笑います。

「時間軸」で生きる

カザフスタンで出会った人とLINEをしていて、その人がこんなメッセージを送ってきました。
「同じ時間軸を生きてると思えない。砂漠に生きてる人も、大都会に生きる人もみんな同じ24時間だけど、時間軸絶対違う。」



これを読んだ時、時間軸って皆一緒じゃないかと思ったけれど、でもこのメッセージがなぜか気になって読み返すうちに、「時間軸」という言葉がものすごく意味のあるように思えてきたのです。
時間軸って、きっと時間に対する考え方だけじゃない、もっと毎日の過ごし方とか生き方とかに関係するものなんじゃないかと思えるようになったのです。
「時間軸」って、何なのでしょうか。

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時間軸。
私はそれは、個人個人の中にある時間に対する捉え方や時間の過ごし方に対する基準のように思えます。誰にも作り変えることの出来ない、自分の中に通った自分自身に対する絶対的な基準。
それが、あの人の言った「時間軸」ではないだろうかと思うのです。
生きていれば、いえ生きていくために、自分自身の基準というものは絶対に必要になってくるものだと思います。だから、きっと皆の中に一つだけある。それが「時間軸」なのではないでしょうか。



日本がどこか狭く感じて、旅に出たあの時。私は自分の時間軸を完成させるために旅に出たような気がするのです。何かか違うと違和感を感じて、今いる場所を飛び立とうとしたあの時。
それから2年がたって、私は私の中に揺るぎないものを手に入れたような気はします。それを時間軸と、たぶん呼べると思います。
けれどその時間軸を、私は見つけたわけではありません。それは自分の中に形成するものであって、どこかから持ってくるものではないから。
今の私の時間軸は、私が外の世界に触れ合ううちに見たものや聞いたものの摩擦で作り出したものです。摩擦や不協和音に目をやり耳をすまし、異なる文化を受け入れたり緩やかに拒否したりしながら、その結果結晶として残った何か。それが私にとっての「時間軸」です。



私はこれからも、私の「時間軸」で生きるのでしょう。周りとの摩擦の中で、それに負けない自分自身のための絶対的な基準としてそれを持っていくのでしょう。そして、その「時間軸」は摩擦を繰り返す中で、私の人生の中で緩やかにしなやかに形を変えながら存在していくのでしょう。
私は、生きていくうちに出会うであろう、異なるたくさんの「時間軸」と触れ合うこともがとても楽しみです。それから、それを通して変化していくであろう自分の「時間軸」も。
それが、私の「時間軸」にとっての生きるということです。

非定型うつ病な日

非定型うつ病という言葉をご存知でしょうか。私は今日初めて知りました。

医療法人和楽会のウェブサイトによると、過食や過眠、「気分の反応性」が症状として挙げられています。
私は、2年前を思い出して、ゾッとしています。

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2年前の私、休学する前の私、体重が今より13キロも多いです。理由は過食です。

学校が終わって、バイトが始まる前にドラックストアに行って、袋一杯のお菓子や菓子パンを買ってきて、ひたすら食べました。ドラックストアって安いから、千円ちょっとでかなりの量を買えました。それを一人で黙々と食べて、バイトが終わったら賄いもたくさん食べました。
太った自分は大嫌いでした。痩せていると言われていた高校時代までの自分がとても遠く感じました。だから何度かダイエットもやってみたけど、すぐリバウンドしました。痩せられない自分がますます嫌いになりました。



そしてあの頃の私は、とにかく太っていて、そしてひたすら眠かったです。あれを過眠と言わずしてどういうのだというほどの睡眠時間。

眠っても眠ってもまだ眠くて、朝やっと起きて学校に行って授業中ずっと寝ていて、あんなに寝つきが悪かったのに10分の休み時間にも寝て、次の授業でも寝て、バイトに行く前に寝て、バイトから戻ってきた後も寝て、次の朝になる。
数えたら14時間も寝ているのにまだ眠い。そんな日々を送っていました。



バイトは好きだったからバイト先では本当に明るかったのに、でも大学では本当に暗くて重苦しい気分を味わっていました。他のうつ病とは異なる特徴、気分の変応性。

大学が嫌いでした。それ以上に、積極的でなくてゼミの同期に役立たずだと思われているだろう自分は見たくもありませんでした。 大学では、全然いたくない場所だから積極的になれるはずなんてなく、無気力で最低限のことだけをこなすことに精一杯でした。
バイト先では明るいから、悩んでいると言っても信じてもらえなかったし辛いと言っても幸せそうに見えると言われるし、うつ気味だと言ってもうつってもっと重いものだと言われていました。
自分がどこか変だと自覚しているのに、それでも笑える時もあるし幸せだと思える瞬間もあるから、何でもないのに自分が立ち止まり続けているんじゃないかと苦しんでいました。



自分は過食症じゃないかと思ったり、でも吐かないからそれは違うし、やっぱり自分に甘いだけなんじゃないかと悩んでいました。私は休学してストレスがなくなって自然に元通りになれたけれど、それでもまたあの時に戻ってしまうんじゃないかという恐怖に常に怯えています。

食べ物を食べてしまう自分が怖くてたまりません。際限なく食べ尽くしてしまいそうな自分が怖い。他人の視線が怖い。無能と思われることが怖い。ドラッグストアは次々と買い込んだ自分が現れそうで怖い。

非定型うつ病という言葉を知らずに悩んでいる、2年前の私のような人がきっとたくさんいる。こんな雨の日は、ますます怖くなるんです。

幸せな休学後

今とても幸せです。
木曜日は大学の授業がなくて、今日は天気が良いから布団を干して、日当たりの良い窓辺でご飯を食べて、窓を開けていると外から金木犀の香りが漂ってくるんです。時々近所の人の物音が聞こえてきて、平和だなって思います。

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大学を2年休学しようかなって思った時、友達がいなくなるなって思いました。帰ってきたら授業を一人で受けないといけなくて、ゼミも見知った人がいなくなって、友達も就職していて、楽しくなくなるんじゃないかって思いました。2年前の手帳には、そういうことが書いてありました。でも何もかも、大学って場所に嫌気がさして、2年後の自分に全てを押し付けて、後ろを見ないようにして飛び出しました。
帰ってくるって決めた時、知っている人のいない生活も楽しそうだなって思いました。旅から旅へと暮らすのも悪くないけれど、きちんと勉強してバイトと両立させて、地に足をつけたような生活を送ってみたいって思いました。
そして今、授業を一人で受けて夜は一人で家で過ごして、それを幸せだと感じる自分と出会って、私はそれがすごく嬉しいです。



今、学校には友達がいません。授業は一人で受けています。でも、休学する前よりも授業が楽しいです。それに、休学してるから友達がいないのは当然と受け止めているからか、寂しくなんかありません。
学校の外には、おかえりって言ってくれる人がたくさんいました。だから、私は学校では一人かもしれないけれど、孤独感なんて感じません。大学の人間関係だけが全てじゃないって、ちゃんと分かってるんです。
時々、大学が窮屈に思えたら、先生のことを考えるようにしています。復学した時に挨拶に行ったら、嬉しそうにしてくれたS先生。困ったことがあったら何でも協力しますと言ってくれた先生が、同じ建物にいると考えると救われる気がします。



2年前の自分を思い出すのも嫌でした。
でも、あの時の自分のお陰で気付いたこともたくさんあるし、あの頃の自分が繋いでくれた出会いもたくさんあって、今では感謝したいと思います。
誰に否定されてもいい、私は私の2年間と、これから卒業するまでの1年半を愛したいです。

私なんてくそくらえ

中国では、Google検索が出来ません。インターネットは検閲されています。駅に入る時には荷物検査があります。あちこちに監視カメラがあります。
中国には、自由な言論がありません。



ところで、炎上って怖いと思いますか。
私は、ちょっと怖いです。有象無象の人たちの中に言葉をナイフにして切り込んでくる人がいるんじゃないかと怖いです。
注目を集めるということは同じだけの批判も集めるということで、それに晒されるだけの覚悟が私にはありません。


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中国にいて、日本には言論の自由があるんだと思えました。
日本には言論の自由があって、言いたいことも言えて書きたいことも書けて、それなのに、どうして私は、誰に遠慮してためらいがちに書いているのでしょうか。
私には中国のことはよく分からないから、批判をしようとは思いません。
でも、自由な場所にいる癖に不自由ぶる私のことは、痛烈に批判しようと思います。炎上も批判も、ブラウザを閉じてしまえば私を直接傷つけることなどないのに、私は何を怖がっているのでしょうか。
自由があるのに、書きたいことも書こうとしない私を、嫌悪しようと思います。誰かに何かを遠慮して、私は何を書いた気になっているのでしょうか。
自由に、思うがままを綴るために、本名ではなくちゅるゆーかとして、顔も住所も隠してネット上にいるのではないのかと、自分を叱咤しようと思います。



最近、「くそくらえ節」という歌を知りました。岡林信康氏の史上最強の放送禁止歌
最初に聞いた時に、衝撃をおぼえました。こんなことを歌ってもいいんだと感動しました。
それと同時に、氏の勇気が眩しく思えたのです。この歌を歌うのって相当勇気が要っただろうし、怖くなくても、賞賛と同じだけの相当な批判も集まっただろうと思ったんです。
「くそくらえ節」が発表された時よりもインターネットが発展して、言いたいこともより言いやすくなった筈なのに、私は彼の勇気が、まだ眩しく思えるだけです。



自由な場所にいて、その自由すら謳歌しようとしない私が私は嫌いです。
常に捨て身で、自分で自分を傷つけて言いたいことを言えたらと願います。
この文章はきっと中国の検閲には引っ掛かってしまうから、中国を出てからネット上に載せます。その時には、少しは自分のことを好きになれるように、文章を書いてみたいと思います。

S先生へ〜再会という名の2通目

一つだけ残ったトルコのお土産をS先生に渡そうと思ったのは気まぐれだったかもしれないけれど、思いついてみるととても素敵なものに思えて、それからずっと先生のことを考えていました。

箱のまま持っていくわけにはいかないよなぁと考えてこの間買った洋服の入っていたちょっとおしゃれな紙袋に入れて、それから朝まですごく緊張していました。

最初は私の授業が終わってから、昼休みに先生の部屋を訪ねて行こうと思っていたけれど退室のタイミングが掴めなさそうで、2限の前に訪ねようかと思ったけれど2限に先生に授業が入ってることに気付いて直前で止めて、結局先生の授業終わりに教室に行って渡すことにしました。



S先生ーと私らしく語尾を伸ばして呼び掛けたら、弾かれたようにはいと顔を上げた先生に思わず笑ってしまって、その私に気付いた先生が見る間に笑顔になってくれたのが嬉しかったです。
先生は私の記憶よりも少し瘦せていて、私は思ったようにダイエット出来なかったからちょっと恥ずかしくなりました。でも、きっとこの直前にしていた講義ではこの笑顔は出さなかったんだろうと思ったら、気持ちが弾みました。

「困ったことがあったら言ってきなさい」と言われたけれど、たぶんそんなことはなくて、それだけどそう言ってくれる人がいるというだけで心がじんわりとなるのが分かります。



先生に会う前はドキドキして緊張します。尊敬する人に好かれている幸せが私を捕らえているのだろうと思います。
尊敬する人に接するのは昔からとても苦手で、逆に避けてしまったり妙に上がってしまったり。でもそれだともう距離を詰めるなんて出来ないから、先生に対しては頑張って緊張しないように遠ざけないようにしたいと思えている、それも成長かもしれません。



……とここまで書いて良い一日だったと思い返して、寝ようと布団に入ってスマホを確認したらメールが来ていて、ゼミ用のメールだったから普通にゼミの連絡かと思って何気なく開いてみたらS先生からでびっくりしました。
前に交換したメールよりもずっと砕けた口調だったこと、前に送ったメールのアドレスじゃなかったからおそらく署名の部分を見てアドレスを打ち込んだんだろうということ、そんな些細なことにも緊張してしまう私じゃまだまだだと思います。
用件は「御礼」ということだったけれど、「喜んで協力します」とまた書いてあったから、たぶん社交辞令じゃなかったということを強調したかったのかなと思いました。返信を考えるのにものすごく時間を掛けてしまって、余計なお心遣いは私には無用ですよと思いながらも、でも生真面目に御礼メールを送ってくる先生は良い人だなぁと思うのです。



先生に好かれるほど私は頭が良くないと思うし、先生に目をかけられるほど私は能力がないと思うけれど、先生に好いてもらえる私なら私は好きになれます。だから「これからもよろしくお願いします」でメールを締めくくったんです。

まだ

別に忘れているわけではないんです。このブログの存在を。
ただ書くほどのこともないというか、書く気がないというか。

でもこのブログがあることが、私の中で何か支えになっていることは事実です。
帰ってくる場所がある、書ける場所がある、ただそれだけのことが、支えになっていることは確かなんです。


まだ、旅の途中。

あなたは優しいですか

高校一年の時の国語の授業で、先生が言ったのです。

「私たちは、自分に得のあることを進んでする訳です。例えば、隣の人の消しゴムが落ちた時に拾ってあげるのは、その人と良い関係を築いておきたいからです。
もし、普段から意地悪をしてきたりお礼も言わないような人だったら、親切にしないということもできるんですよね」



この先生の例え話を、上海で思い出しました。
中国人は無愛想だとネットで読みました。確かに、店員はにこりともしないです。
でも、笑顔を向けられるのと優しくされるのは全く違うことです。


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バスでも地下鉄でも、誰もが率先してお年寄りや子供連れに席を譲ります。でも、黙って真顔のまま、席を立つだけです。
道を尋ねても、ただ方向を指差されるだけのこともあります。笑顔で気を付けて、なんて言われません。
そこに優しさがないなんて思いません。笑顔になる理由がないから笑顔にならないだけです。



笑顔でいても心の中では泣いていることがあるように、無表情でも心の中は慈愛で溢れていることがあっても良いと思います。
私は笑顔に慣れすぎて、笑顔でなければ人は親切にしてくれないと思っていました。無意味に笑顔を振りまいて、他人の親切を受けようとしていました。私は笑顔に慣れすぎて、他人が笑顔であってもそれが普通だと思っていました。無表情だと怖いと感じて、笑顔で接してくれて当たり前だと思ってしまっていました。



笑顔でなくても、人は道を教えてくれるし荷物を乗せるのを手伝ってくれます。
笑顔でなくても、店員は物を売ってくれるし料理を運んでくれます。
笑顔でなくても、言葉が解らないのを察して身振り手振りで教えてくれます。

笑顔でなくても、それを咎められることなんてありません。私は私が笑いたい時だけ笑えばそれで良いと言われているようで、だから、中国にいるのはすごく楽です。

楽しくないのに、嬉しくないのに笑顔を振りまかなければならないなんて、何てストレスフルなことをしていたんだろうと、日本を思います。そんなストレスフルなことを無意識ながら、他人に強いていた自分を思います。



自分にも他人にも優しくありたいと、そう願ってきました。
もしかしたら中国人は、初めからその方法を知っているのかもしれません。

私と誰かと私だけ

私の文章が誰かの考えるきっかけになれば、誰かの心に残ることがあればいい――なんて考えていません。



だって、私の文章は、ただの足跡です。廃棄物とか残りかすとか、そういう言葉でもいいです。必要な部分は残っていない、ただ打ち棄てられるだけの、価値のないもの。


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ブックマーク数が欲しい頃もありました。読者数を増やしたい時期もありました。運営からのおすすめに載りたい季節もありました。

でも、誰のために書いているのかを考えて向き合った時に、ブログのお陰で心の平安や成長や気付きを得ていると自覚した時に、私はもう自分以外のことを考えて文章を書かなくても良いのだと知りました。自分のためだけに何かを得れば良いのだと悟りました。

今は、感動も感謝も感心も関心も、興味も期待も好意も同意も、要りません。読まれたその一瞬後に忘れられても構わないんです。



そもそも、文章を読んでもらえることだってあんまり期待していないです。それは、私自身がとても厳しいからだと思います。
特に長文は、はっきり言ってしっかり読み込むことなど少ないです。流し読みして、あるいは真ん中らへんをすっ飛ばして読んで、それで引っ掛かるものがあればもう一度初めからきちんと読むのですが、なければ印象に残ることなく終わりです。いえ、引き込まれる出だしでないと読み始めることすらありません。
そんなものなのではないでしょうか。

だからこそ、文章に目を通してもらえることだけで満足です。



私が私のために考えて、私のために並べて整理して、結論や結論のようなものを導き出した、それは私の中にしかありません。それ以外のものはこうして残しておけるけれど、それは私のためだけに取ってあるから、誰にも分け与えてないものです。
一番良いものは独占しているから、それ以外がどうなろうが知ったことではないし全然構わないのです。



自分の文章の受け止められ方もどうだって良いことで、私の文章が誰にも影響を及ぼさなくたって良いのです。文章って、娯楽だと思うのです。読むことって、楽しみだと思うんです。
何より、私自身が、何かに悩んだ時、誰かの文章を読みたいなんて思わないんです。素人のものならなおさら。気を紛らわしたいということはあるかもしれないけれど、役立てようと思って何かを読むことなんて私にはありません。
だから、逆の立場になりたいなんて、誰かの支えになりたいなんて思わないんです。



ブックマークもコメントも、もらえたら嬉しい。だけどそれを受け取る時には既に、私は一番欲しかったものは手に入れてしまっています。
ここに一つ一つ文章が埋まっていって、私の心の欠片や残りかすが溜まっていって、ここが山になれば良い。山脈はきっと豊かな水をもたらすから、その時は心の海で自由に泳ぎ回りたいと思います。

南半球の妹

「南半球では、月が逆なんだよ」
という私の言葉に、
「は?意味が分かんない。昼間に月が上るってこと?」
と盛大にボケた返事をしたのは私の妹です。
その妹の話をしたいと思います。



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最近分かったのですが、彼女の中には様々なマイルールが存在しているようなのです。

例えば、洗濯物を干している時に手伝われることが嫌いだと彼女は言っていました。洗濯物には干す順番があるから、らしいのです。
父のパジャマから母の下着、私の靴下に至るまできっちりとその順番は決まっていて、それを乱されたくないから、洗濯物は自分一人で干したい。そう彼女は言いました。



その他にも、色々なことに順番や決まりが存在するのだそうです。
お風呂で湯船に浸かる時に足を向ける方向は一日ごとに左右交互。玄関から中に入る時は左足から。玄関から外に出る時は左足から。
驚く私と母親に、
「皆そんなに縛られずに生きてるんだねぇ」
と彼女は感心していました。

私たちが縛られていないとすれば、彼女は何に縛られているのでしょうか。



私が意味が分からなかったのは、電柱やコーンなどの背の高い人工物が道にある場合、その延長線上は跨いではいけないというルール。さらにその延長線上を跨ぐ足は左右交互であること。
「そこに影がある場合もまた難しいんだよね」
と言っていたのには深く突っ込みませんでした。



私でない他人に心というものが存在することを、時々思い返して不思議な気持ちになることがあります。

自分の中でどんなに厳格なルールを持っていても周りには知られていない妹のように、知られたところで理解し難いことだと思われる妹のように、誰もが他人が踏み込めない領域を持っているということ。それが私には見えもしなければ気配も感じられないことに、時々寒いような気持ちになることがあります。

それは血が繋がっていても同じことで、私は妹が死ぬほど悩んでいても、それを言葉や態度に出されなければ、何にも分かりません。
他人と関わるのが難しいなぁと思うのはそんな時です。そしてそれは、南半球のことを想像するよりも難しく感じます。



「南半球は、北風じゃなくて南風が冷たいんだよ。南極が近いからね」
という父親の言葉に
「なるほど〜それは一番納得できる」
と、笑い転げる私をよそに一人頷いていた、妹の話でした。

ねぇ先輩、

大学に通っている時、先輩たちが大好きでした。
先輩たちが全てで、体育会系と間違われるほどに先輩命で、熱狂的に先輩たちが大好きでした。



私は、先輩たちは思いやりのある気遣いの出来る優しい人たちで、大人だと思っていて、心から尊敬していました。
それなのに、大学を休学すると同時にすとんと、先輩に対する興味が失ってしまいました。私の中で、それまでの超重要から興味なしのポジションへ、先輩たちは一気に移動してしまったようで、そのまま一年半が過ぎてしまいました。

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先輩たちは大好きでした。けれど、サークルをまとめるやり方には疑問を感じていました。サークル内で人を募集して、サークルよりも優先して外部の活動をやろうとするやり方が気にいらなかったのです。

私は先輩たちが大好きでサークルが第一だったから、自分の中でどうしていいか分からなくなってしまったのだと思います。先輩たちの言うことを優先させればサークルが第一でなくなり、サークルを第一とすれば先輩たちと同じではなくなるということに、戸惑ってしまったのだと思います。

私はその矛盾に悩むことに疲れ果ててしまいました。だから、その矛盾をなくそうと、先輩たちを好きだという気持ちがいつのまにか、抜け落ちていったのだと思います。



先輩たちが大好きだった気持ちに、あの気持ちに嘘はありませんでした。

私は本当に先輩たちが大好きで大好きで大好きで信頼していて、人生で初めて「先輩」と呼べる人を好きになれて、すごく尊敬している人たちと同じ時間を共有できて、一緒に遊びに行ったりご飯を食べたりして、すごく幸せでした。あの頃の私のきらきらは眩しいほどに、他人からも私は充実して見えたと思います。



それが今は違う気持ちを持ってしまうようになっただなんて、本当は考えたくもありません。先輩たちの就職先も知らなくて、連絡すら取っていないなんて。
私は、私は自分のことが時々恐ろしくなります。
あんなに温かい、熱い気持ちを持っていたはずの私の胸の中は、今はひんやりと冷えていて、あんなに大切だったはずの人の面影すら残していないなんて。



この文章を書き終わっても、私は先輩の誰にも連絡をしないと思います。

私は私の中の先輩たちを、大好きだったあの頃のままにしておきたいのかもしれません。その偶像を壊してしまうのが怖いのかもしれません。現在なんて知りたくないのかもしれません。

けれどいつか、私が私より大人だった人たちを許せるほど大人になった時には、メールをして会ってみようと思います。出来るなら、あの頃と同じ私の笑顔のままで。
「先輩」と呼び掛けて。