ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

『ともだち』ですか

私は冷たいのだと思います。


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高校時代、毎朝クラスメートと「おはよう」を言い合うことを楽しみにしていました。
でもある日気付いてしまったのです。私から言わなければ、私に「おはよう」と声を掛ける人がいないことに。それはいじめとか仲間外れとかそんな積極的なことではなく、ただ単に、言わなくて良いなら言わないという消極的なものだったのだと思います。
でもその時思ったのです。
自分から「おはよう」を言ってくれるような子を友達だと思いたい、と。一方的に声を掛けているだけの関係なんて寂しすぎると。



学校という場所は人との関わりを持つ機会が多くて、そこにスマホを持って入ると、スマホの中が連絡先で溢れることになります。
『ともだち』だと画面に表示される人は増え、スマホの中にも『グループ』ができ、大して仲が良くない人との繋がりも、信頼する友達と同じ重さで存在します。



それが私はすごくすごく嫌で、自分から「おはよう」と声を掛けないとお互いにただ黙っているだけになるような希薄な関係が許容出来なくて、何かの節目ごとに、友達を整理しています。
年賀状を出さなくなったり、メールアドレスを変えたり、今すごくやりたいのはLINEのアカウントを新しくすること。
そう言ったら、
「人との出会いは一期一会だから、私はどんな人ともずっと繋がっているよ」
と言われたことがあります。



一期一会という言葉を出されると何も言えなくなります。
私は冷たいのです。今は疎遠だとしても、一度は仲良くなった人と連絡が取れなくなることに何の寂しさも感じません。関係をリセットすることに躊躇いもなく、むしろ楽しみにさえしています。
私は冷たいと思います。人を選ぶことにも自分が選ばれないことにも哀しさをおぼえることがありません。繋がりに楽しさをおぼえることもありません。



私は根本的な部分で、他人を信じられないのだと思います。
他人を信じられなくて繋がりを信じられなくて、今あるものしか大事に出来ない。少し離れれば捨ててしまうことも厭わない。
だからアカウントを作り直せなくて、友達以外にも見つけられてしまうFacebookは嫌いで、匿名でリアルでの繋がりのない、いつでも止められるnoteは居心地が良いのです。
でも敢えて言うのなら、私は私と同じ重さで向き合ってくれる人を求めていて、そういう意味では他人にものすごく期待をしているのです。



他人との関係を大事に出来ないのではなく、大事にしていない私は、きっといつか大きなしっぺ返しに遭うと思います。