ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

幸せでありたい

大学に通っている時、私はたぶん、鬱の入り口にはいたと思います。

シャワーを浴びるのが面倒になり、自炊が面倒になり、掃除が面倒になり、他人と連絡を取るのが面倒になり、出掛けるのが億劫になり、笑った時に顔が引きつるのを感じるようになり、ひたすら眠り、1日14時間寝ても眠く、とにかく大量に詰め込むように食べるようになり、満腹になっても食べることを止められなくなり、時間ぎりぎりに行動するようになり、笑顔になるのが辛くなり、走ってくる車に突っ込みたくなったり、川に飛び込みたる衝動と闘ったりしました。

あれが鬱だったかどうかなんて、専門家ではない私には全然分かりません。ただ、感じていました。このまま行けば戻れなくなると。



それでも、自分はもっと頑張らないといけないと思っていました。気合いを入れて生活しなきゃと思っていました。そうすればちゃんと生活出来るんだ、って。

それは、最近ちょっと鬱気味なんですよねー、と冗談めかして打ち明けた時に、
「その程度じゃまだまだだよ」
って言われたからです。



「私はもっと辛くて、パニック障害になったよ」
「昔は暴力とか振るわれて当たり前だったから」
「そのくらい働くなんて当たり前よ」
「自分で自分が鬱と思えるなら、鬱じゃないんじゃないの」



今思えば、自分が辛いなら自分の基準で判断すべきでした。
他人と自分の基準は異なると、私は私を守ってあげるべきでした。



その人たちだけじゃないです。私も、例えば私の時はこうだった……って思ってしまったり、自分の方がずっとよく頑張ったと思ってみたり、そんなこともあります。
でも、なんかそれって、ただ辛さを倍増させるだけなんじゃないかって思うんです。どちらの側も。



どうして自分の方が辛かったと思うのは、きっと自分の方が上だと思いたいからなんですよね。自分の方がもっと辛いことに耐えてきてすごいんだって。
でも、辛いことの量って、測れないんじゃないかって思うんです。だって皆同じ環境にいるわけじゃないし、背負うものはそれぞれ違うから。
同じ立場にいたとしても、家族がいるかどうか、経験があるか、楽観的か悲観的か、体は健康かどうか、そんなことで随分感じ方は変わってくるはずです。



あの頃の私に言って聞かせたいです。

空を見て幸せだと思うことが当然だったあなたがそう感じられなくなったのなら、それは異常だと。例えあなた以外の世界中の人間が空を見たくらいで笑顔にならなくても、あなたにはそれが当然だったのだから。
いつも笑顔だと言われるあなたが、笑顔を苦痛に感じるのならそれは異常だと。例え笑顔にならない人間がいるのだとしても、あなたは笑顔が普通だったのだから。



そして今の私に言って聞かせたいです。

あなたはあなたであり、他人ではない。だから、他人に対して自分だったらもっと……と思うのは止めなさい。それはあなたの不幸をつくり他人の不幸をつくるのだと。あなたが生きにくいように他人も生きにくいのなら、否定し合いながら生きていくのは不幸だと。



それを私がきちんと出来るようになれば、少しは誰かが生きやすくなってくれるでしょうか。
幸せを自慢し合える、そんな関係を誰かと築けるでしょうか。

私はそう信じます。


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