ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

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出会わなければよかった人などないと笑います。

鈍感に「気付く」

気付くこと、ということについて以前noteで書かれている人がいました。「気付く」ことの重要さについて説かれていたように思います。



私は「気付けない」側の人間です。
昔から、他人の気持ちに気付けない子どもでした。
……いや、現在進行形に直すべきですね。他人の気持ちを理解できません。


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私には、自分と他人は同じこと思っているはずだと思い込んでいるふしがあります。
昔は気持ちにズレがあるとか考えることは皆異なるとか、そんな当たり前のことすらも分からなかったくらいです。今はそんなことも理解しています。
が、他人が考えることは、私にとってほぼ未知です。そういう考え方があるのか!としょっちゅう感じいってしまいます。



自分と異なる感じ方を想定できずに発言をしてしまい、友達が減ったことは一度や二度ではありません。
でも、その発言をした時の私には、誓って悪意はなかったのです。ただ単に、分からないということか引き起こした更に分からない事態。つまり、何で機嫌を損ねたか分からない為に、何を言えば良いのかも分からなくなるようなことが次から次に起こっていた訳です。
だからといって、私か悪くないという訳では勿論ありません。でも昔は、本当にどうして相手が機嫌を損ねるのかも分からなかったのです。



今でも、鈍感だとよく言われます。
けれど私にはそのつもりはありません。当たり前です、好きで鈍感でいる人などいません。ただ、気付けないことが他人と比べると多すぎるだけなのです。昔に比べると、経験があるので気付けることもだいぶ多くなってきました。にも関わらず鈍感と言われ続けるということは、やはりまだまだ足りないのでしょう。



この鈍感さは、自分自身が傷つきにくい性格だということもあります。ちっとやそっとのことじゃ傷つかない、まぁ鈍感ということです……堂々巡りですね。だから相手もそうだと思い、傷つけてしまうこともたくさんありました。



今も、はっきりと言われなければ分からない事だらけです。まぁ裏返せばはっきりと言われれば理解できるということなのですが。
だから、私に対してはっきりと物を言ってくれる人が友達として身の回りにいてくれているように思います。そんな、私のことを理解してくれて助けてくれる友人たちに「気付ける」だけでも十分だと思うのです。