ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

評価の順番

先行者優位という言葉が嫌いです。



noteがバブルのように流行った時、先行者優位という言葉をたくさん見かけました。
早く始めなよ、という意味も込められていたのかもしれません。でも、私は違和感しか抱けなかった。
先行者が有利であってはいけない、一番遅く参加した人であってもその人に才能がありさえすれば一番に認められるべきだと思います。
チャンスは平等っていうのも幻想だと思いますが、でも、その幻想に現実は限りなく近付いていくべきです。



年功序列、という言葉と似たものを感じるのです。というか、限りなく同類だと思っています。
早く就職したものが上に。早く始めたものが有利に。
年功序列なんてくだらない、そう言っている人たちが先行者優位なんて言っているのに違和感を覚えました。
能力や才能は、時間なんて超えると思うのに。

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本当は先行者優位であって欲しいですよ、noteの世界もブログの世界も。だって、私よりずっと後に始めた人で素敵な文章書く人たくさんいるんですもん。
ため息をついてしまう文章、憶えてしまうほどおすすめ表示されるアイコン、みるみる増えていくフォロワー数。私は嫉妬深いから、自分より才能がある人なんだと分かってはいても、何となく心がチクリとする。
それが、例えばこの人は私よりもnoteを早く始めたからなんだ、と理由がつけられれば私はきっと安心します。私の才能やその人の能力とは関係のないところで完結出来るから。
自分の才能のなさを、認めずに済むから。それはちっぽけなプライドと大きな自尊心を傷付けずに済むから。



それでも、自分を逆の立場に置き換えた時、私は自分自身に一番残酷になります。
一番早く始めたつまらないもの、一番遅く始まった面白いもの。私は迷うことなく後者を取りますし、前者にどんなに今までのストックがあったって構うものか、と思います。
確かに、前者には『早く始める』という才能があるのかもしれない。でも私が求めるのは、『素晴らしいものを生む』才能。
私が前者であった時、私自身を選ばれてもきっと嬉しくありません。だって、私の欲しいものは『素晴らしいものを生む』才能なのですから。



『早く始めて素晴らしいものを生む』、それは確かに先行者優位でしょう。先行者は大きな存在です。それでも、『始めるのは遅いけれど素晴らしいものを生む』人と等しく評価されるべきだと思います。
市場とか集客とか収益とか、そんなことを私が気にしていないからかもしれません。



でも、いつやって来た人も等しくここを楽しめるように、私は先行者という立場を捨てたい。捨てられないのなら、せめて、後行者というレッテルは貼らずにおきたい。
いつ投稿されたものであっても、何より私が楽しむために。
先行者優位なんて、大嫌いです。

仏壇と未来

最近、仏壇に手を合わせると亡くなった祖父の顔を思い出します。

祖父が生きていた頃、私や妹が仏壇に手を合わせるのを、とても嬉しそうに見ていました。私はそれを、決まりというか伝統というか、そんなものを守っているのが嬉しいんだなと思っていました。でも、祖父が亡くなって、なんとなく、祖父の気持ちが分かるようになりました。

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祖父は戦争に行って、生きては帰れないだろうと覚悟していたのだそうです。一度は自分を死ぬものだと考えた祖父にとっては、死ぬことはそんなに怖くなかったのではないか、そう、勝手に予測します。

けれど、自分が死んだ後のことは自分には分かりません。未知への不安があったのではないかと思うのです。そう考えた時に、私たちが仏壇に手を合わせるのに安心したんだろうと思い至りました。



祖父は自分が死んだ後のことを考えていたのだと思うのです。遠くない将来に、自分が死ぬこととそしてその後のこと。その時に、仏壇に手を合わせる孫の姿に、安心していたのだろうと思うのです。
自分が死んだ後も、きっとこうしてくれる。そう、嬉しかったのではないかと思うのです。



死ぬことへの恐怖は誰しも多少はあるのでしょうが、自分に手を合わせてくれる人が一人でもいると思えたら、少しは安心できる気がします。祖父は自分がいない未来ときちんと向き合って、手を合わせる孫に希望を見い出せたのかなと思えたら、少しは私も孝行が出来たのだろうと嬉しくなりました。



私が死んだ後、私に手を合わせる人はほとんどいないでしょう。私は結婚しないし子どもも産まないから。
自分が手を合わせているからか、確かにちょっと寂しい気分になります。そして、手を合わせる人を増やせなくてごめんなさいと、ご先祖に対して申し訳ない気持ちも少しあります。

それでも、私は私なりに自分のいない未来と向き合っていきたいなと、そんなことを考えた、お盆です。

許される空

昔から、空が好きでした。空というよりは、空の青く、果ての見えないところが好きなのです。
川が好きなのは、最近気付いたのですが、おそらく、空と同じで果てが見えないからなのでしょう。海も、同じ理由。列車やバスや、速度の遅い乗り物が好きなのも、果てに辿り着くのに時間が掛かるからなのかもしれません。

果てがないことに、自由を感じるのです。果てがないのは、自由だと思えるのです。これを辿って行っても、ゴールがないんだと思えると、目指さなくていいことに安心します。

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目指すことに、取り憑かれているような気がするのです。私の周りだけなのでしょうか。
一番になること、トップクラスであること。目指すことも大事なのでしょうけど、そうでなくても生きやすいことが大切だと思うのですが。



空を飛ぶ夢は、自由になりたいという願望の表れだと聞いたことがあります。
私は空を飛ぶ夢を見たことはないですが、空も海も青いので、青は自由な色だと思えます。

だから私は青が好きなのでしょう。気が付けば、周囲の人に呆れられるほど、手に取るものは青色です。
許されたい、自由でありたい、もしかすると私はそう思ってそう思って、空が恋しいのかもしれません。



目指さなくていい、目指すべき場所もない、そんな自然を見ると安心します。許されている、そんな気がします。私は別に許されなくても生きていけるはずなのに、それを望んでしまうということもおかしな話なのですが。

もしかしたら、私は許されたいのでしょうか。何を?何から?
生きていることを、空から?

だとしたら、私は、許されるために空を見上げるのでしょうか。



空が好き、というよりも、空がこわい、のかもしれません。

会いに行くんだ、会いに行く

なんとなく、今日は書く気がしなくて、今も書く気がしないのですが、書かないと負ける気がする……と勝手に思ってしまったので書き散らかしてみることにします。
誰も興味もない個人的なこと。



大学のある街に、二泊三日弾丸旅行へ出掛けることになりました。
なりました、っていうか出掛けることにをしました、というか出掛けなければなりません、というか。



詰め込みました、予定。

一日目、午後に着いて、予防接種を受ける。終わったら繁華街に移動して友達と遊んで夜ご飯。その日は漫画喫茶(一晩1,500円ほど)に泊まって、翌朝は美容室へゴー。2時間ほどみておいてください、と言われたカットと縮毛矯正が終わったら、午後から大学へ行ってゼミの先生に顔出しして休学延長願いを教務入試課へ提出。お世話になった先生のところにもチラッと顔出しして、また繁華街に戻って友達と飲み。三日目の午前中は……他の大学にいる先生のところに顔出そうかなと思ってますが、昼はまた繁華街戻って友達とご飯。午後から帰ってきます。



メインは予防接種です。A型肝炎B型肝炎狂犬病の三回目がまだなんですよね。30,000円……命には変えられない。高い。
でも痛いんだろうなぁ。注射嫌いだなぁ。
こちらでも出来るんですけど、二回目に受けた際に母子手帳を忘れてその代わりにと貰った紙をなくしてしまい……記録がきちんと残っているところで受けた方が安心だということで、日程を合わせました。



私は地元の町よりも、大学のある街の方がずっと慣れていて動きやすいです。
バスにも乗り慣れているし、街も歩き慣れている。繁華街が大きいから漫画喫茶も居酒屋も美容室も喫茶店も、全部揃っていて不自由しない。
何より、街の雰囲気が大好き。人も優しいし、言葉も好き。

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皆、会いたい人は私に会いたがってくれる。
それが嬉しくて、今からとても楽しみです。一週間後、お土産どうしよっかなー、とかそんなこと考えてるのも楽しい。
会いたい人に、会いに行く。私は、幸せ者です。

ビビリの気持ち

ビビリです。とは時々書いているものの、そう言えば具体的には書いてないよな、とふと思ったので書いておきます。



小さい頃から、お化けや妖怪や幽霊の類がとても怖かったです。
暗い部屋が怖くて、明るくても部屋の隅が暗いと怖くて、昼間でも怖かった。

夜寝る時に、あの頃、妹と私と母親が並んで眠っていたのですが、二人がすやすやと眠っているのが信じられなかったです。寝付きのすこぶる悪い私は二人が寝てしまったあとも起きていて、少しの物音に、魔女が来たのかもしれない、お化けかもしれない、と怖くて怖くて、布団を頭からかぶって、それでも想像を止められなくて怖くて。

トイレもなかなか一人で行けるようにならなくて、小学校の中学年くらいまで、親を起こしていた気がします。



昼間でも、親の姿が見えないと、人さらいに攫われたのかも、鬼に食われたのかも、とそんな想像ばかりしていました。



怖い話は大の苦手で、学校の怪談でさえ今も怖いです。夜中の鏡は覗き込むのに勇気がいるし、夜道には恐ろしいものがたくさん潜んでいる気がします。

小学生の時、中学生になったらきっと怖がりじゃなくなると信じていて、中学生になると高校に入ったら怖がりでなるなると信じるしかなくて、高校生になった時、私は一人暮らしが出来るのかと不安になりました。



結論から言って、私は今でも、暗い場所や夜が怖いです。
ちょっと怖い見た目の人がいると、あの人は拳銃を隠し持っているかもしれない、さっと車に乗せられるかもしれない、なんて悪い想像がすぐに頭に浮かんでしまいます。
寝る前に物音がすると、泥棒か強盗か、とすぐに考えてしまい、怖くて眠れなくなります。
それを警戒と呼べば多少はいいのかもしれませんが、要するに、必要以上にビビリなのです。

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ビビリがいけないとは思いませんが、心の平安がなかなか訪れないのは心に多少の負担を強いていると感じます。
そのお陰で、もしかしたら回避できている危険も多いのかもしれません。でも、少しは、暗い所を楽しんでみたいなぁと望んでしまうのです。
あぁ、ビビリって、なんなんでしょうかね。

彼と学びたい

「勉強しておけば良かったって気付くのがな、早い人は良い大学に入って良い会社に入って幸せになるねん。遅い人は良くない大学に入って、良くない会社入って結局貧しい人生送ることになるねん」

とタイの空港で後ろに座っていたお父さんが息子に説教していました。



貧しい人生って……そういう単語、まだ使う人いるんだーってびっくりしました。それは他人に決めてもらうことじゃない、ってどうして教えてあげないんですかお父さん。
大学名だけで生きていくことなんてもう出来ないでしょうよ。こんな時代ですよ世界と同じように私たちだって変わっていかざるを得ないんですよ。東京大学出て引きこもりやってる人、うちの近所にいますけど、自宅警備の良い会社に入社したとそういう解釈になるんですかそれは。

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じゃあ最終学歴が農業高校卒で農業してて、結婚して家庭持って子どもも二人いるけどその家庭は裕福でなかったら、そんな人生は貧しいということなんですか? うちの父親はそんなこと思ってないと思いますよ。
好きな仕事して、何だかんだ言いながら妻と二人で出掛けたり家族でテレビ見たりして、毎日家族揃って安いビール飲みながら夜ご飯をゆっくり食べる。自分は幸せだとあの人は信じてる。そしてそれを間違っていると言う権利は誰にもないはずだし、お金はたくさんあるけれど誰も信じられないということも、悲しいことだと思いますよ私は。



勉強しておけばよかったって気付いて、それからでも勉強を始める人は成長し続けられる。気付いても、もう遅いと諦めてしまう人は成長が止まる。
私だったらそう教えますけど。



海外旅行先で、世界見に来て、変化し続ける世界の中の変化について行けていないことを教えるのはナンセンスなんじゃないの、と私はその高校生の男の子をとても可哀想に思ってしまいました。いえ、それも私の考えの押し付けなのでしょう。彼も、父親と同じことを考えているのかもしれない。



でもね。
大学名で縛られるほど世界は狭くない。学び続けずに生きていけるほど世界は広くない。
ただ、彼にそう伝えたいなって思ってしまいました。

夏が好きです

夏が好きです。

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「夏はうんと陽に灼けることだ。私はそう思った。そうすれば、どんな暑さも味方に付けることが出来る。」
山田詠美さん『放課後の音符』の一節を読んでから、日焼け止めなんて塗らないで、思いっきり日に焼けるのが好きです。



人も、夏のような人が好きです。
さっぱりした、スイカのようにすっきりした性格が好きです。
日に焼けている人はセクシーだと思います。痩せている人はあまり好きではないです。
ラフな、暑さと同居できる服装を見ると憧れます。太陽を無駄に反射する、ウォレットチェーンもじゃらじゃら過剰なネックレスも好きではないです。



夏に、暑いねと喋るのが好きです。朝なのに、暑いという不思議な感じが好きです。
たくさんいるのに中々姿を見せないセミの声が好きです。でも、コンクリートの上で死んでいる大量のミミズは好きではないです。



いつも、うっすらと汗ばんでいる感じが好きです。
洋服が、汗で体にまとわりつく感じが好きです。暑さを自分のものにしている感じがします。
せっかくお風呂に入ったのに、すぐに汗をかいてしまって、勿体ないなと思ってしまう時が好きです。



クーラーも扇風機もなくても生きていけます。でも、ご飯を食べる前に冷たい水を飲むと幸せです。
外からクーラーの効いた所へ入った時に、ゆっくりと汗が沈んでいくのが好きです。クーラーの効いた所から外に出て、体がゆっくりと暑さに馴染んでいく感じが好きです。



お盆に、何もすることがなくてぼんやりしているのが好きです。慣れているような、慣れないような人たちと過ごすのが好きです。
その人たちと、夜に空を見上げるのが好きです。天の川が好きです。
静かなのに、静かではない夜の空が好きです。



夏が好きです。
冬よりも、夏が好きです。

ゾロ目の記憶

平成22年2月22日の22時22分に何をしていたか、覚えている方がいらっしゃるでしょうか。
私は、自宅の自分の机で、腕時計を眺めていました。
最近、妙にそのことを思い出すのです。

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今も昔もゾロ目に意味を見出したことがなく、数字にこだわらない私が、2が9つ並ぶその日付時間を意識しだしたのは、副担任の先生の言葉でした。
次に来るのは遠い未来だとか何とか、そんな言葉だったように思います。私はそんな言葉を、前の席にいた好きな人のうなじを見ながらぼんやりと聞いていました。



次に来るゾロ目の遠い未来、私はこの日を憶えているんだろうかと思っていた気がします。それから、こいつの背中も憶えているだろうかと椅子をつま先で蹴ったような気がします。

それよりも後に、私は他人よりもエピソード記憶に優れているという事実に気が付いて、やっぱり実際、こうして何年経ってもあいつのふくらはぎの形なんていう、どうしようもないことを憶えているわけなんですが。



あの時、高校入試がまもなくで、私立の合格通知を貰った翌日に公立高校の志願書を出した私がどう考えていたのか、それはあまり憶えていないのですが、割と静かに、その時間を待っていた気がします。
その時見ていた時計は誕生日に買ってもらったもので、とてもとてもお気に入りで今でもデザインを正確に思い出せます。
それを眺めながら、あいつも、今頃時計を見ているかなぁなんて思っている私は、幸せの笑みだっただろうと今となっては懐かしいです。



次のゾロ目が並ぶ時、私はどうしているのでしょうか。
出来れば、自分と同じくらい大切な人を見つけていられればいいなと思います。

図書館員のドラマ

幼い頃から、週に一度図書館に通っています。だから当然図書館員の顔も覚える訳で、高校生の頃、若い女の人が新しく働き始めたのも知っていました。
ほわほわした雰囲気の人で、いつも笑顔で、キレたことなんてないよなという感じの人。
ある日、通っていた高校の、幾人かの卒業生を招いての講演で見覚えのある顔だなと思ったら、その人だったことがあります。



高校を卒業してから短大へ入り地元の市立図書館へ就職した、とYさんの話は簡単に言うとこんな内容ですが、そんな風に続く講演に退屈していた高校生たちが、講演会が終わった後、Yさんの話で持ちきりになったのです。

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短大で就職出来るようにと司書の資格を取ったYさん、卒業を前にして図書館で働きたいと思って探しても、就職先が見つからなかったそうです。
「本が好きで図書館員になりたかったのですが求人が全然なくて。ないならこっちから探すしかないと思って、あちこちの図書館に電話を掛けました。
でもどこも人数は足りていると言われて断られ続けて」



天然ぼけでのっけの自己紹介からしっかり笑いを取った彼女の話を、珍しく高校生たちはきちんと聞いていました。
司書って飽和状態で仕事ないんでしょ?とざわめきと、求人ないのに電話を自分から掛けるとかすごくない?とほわほわしたその人からは考えられないエネルギーへのため息で満たされた空間で、私たちは続く言葉を聞いていました。



「何度も電話を掛けていたので、『またあんたね』と電話口で良く呆れられていました。
特に、地元の○⭕市立図書館には絶対勤めたかったので、今週足りていても来週は足りないかもしれないと思って、毎週電話をしました」
毎週電話! 高校生の私たちの間から笑いが漏れた時、彼女も笑顔になりました。
「毎週電話していたら、卒業の直前に、一人採用枠があるからと言われて採用されたんです。就職してから、電話攻撃に館長が負けたんだよ、と他の人に言われちゃいました」



『あの図書館の人すごくない?』
体育館を出てからあちこちで聞こえる会話はそれでした。
『分かるー、毎週電話とかパないわ』
『やばすぎでしょ』
驚きというよりも、感嘆。賞賛というよりも、尊敬。



「就職先が決まらずに卒業するのかなと思っていたので、第一希望に就職出来ることになって嬉しかったです。
皆さんも、就職先が見つからなくても、諦めずに最後まで頑張ってください」
 


笑いと、それから衝撃を高校生に与えてくれたYさんは、今日も図書館で働いています。

クリエイティブでないんですが

私は0から1を生み出すということがとても苦手で、自分の頭で考えたものを形にするということが出来ません。図画工作も昔から苦手だったし、曲を作りなさいという音楽の課題も出来なかったし、小説なんて何回チャレンジしても書けないし、デザインを考えることも出来ません。



私は思ったことが全て顔に出るタイプで、すぐに考えていることを当てられてしまいます。感じたことを感じていないかのように、考えたことを考えていないかのように、そうすることが出来ないのです。
それと同じように、文章でも私はフィクションを書くことが出来なくて、だからnoteの文章は全て実話だし私が体験してきたことで、実際に考えていることしか書いていません。
それは単に書けないからで、他の人の作品を読んでフィクションを書いてみたいと思っても、全然アイディアもトリックもどんでん返しもストーリーも登場人物も浮かんでこないので、諦めているだけなのです。
だから、フィクションを書いている人は本当にすごいなと思います。見ていないことを見たかのように、体験していないことを体験したかのように、そう書けるのは羨ましい限りです。

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簡単に言ってしまうと、私の文章はクリエイティブとは言えないよなぁって思うんです。何かに対する意見でもなければ、生産性のある文章ではない。



こんな読者の私は、ネットの世界にに流れているたくさんのものが支えです。更新して新しい作品が表示されると嬉しくて、( ・∀・)←こんな顔になっています。
クリエイターの皆さんにこれからも楽しませて頂けますように。そして、私に創造性が少しでもつきますように。



そんなことを、考えました。