ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

私なんてくそくらえ

中国では、Google検索が出来ません。インターネットは検閲されています。駅に入る時には荷物検査があります。あちこちに監視カメラがあります。
中国には、自由な言論がありません。



ところで、炎上って怖いと思いますか。
私は、ちょっと怖いです。有象無象の人たちの中に言葉をナイフにして切り込んでくる人がいるんじゃないかと怖いです。
注目を集めるということは同じだけの批判も集めるということで、それに晒されるだけの覚悟が私にはありません。


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中国にいて、日本には言論の自由があるんだと思えました。
日本には言論の自由があって、言いたいことも言えて書きたいことも書けて、それなのに、どうして私は、誰に遠慮してためらいがちに書いているのでしょうか。
私には中国のことはよく分からないから、批判をしようとは思いません。
でも、自由な場所にいる癖に不自由ぶる私のことは、痛烈に批判しようと思います。炎上も批判も、ブラウザを閉じてしまえば私を直接傷つけることなどないのに、私は何を怖がっているのでしょうか。
自由があるのに、書きたいことも書こうとしない私を、嫌悪しようと思います。誰かに何かを遠慮して、私は何を書いた気になっているのでしょうか。
自由に、思うがままを綴るために、本名ではなくちゅるゆーかとして、顔も住所も隠してネット上にいるのではないのかと、自分を叱咤しようと思います。



最近、「くそくらえ節」という歌を知りました。岡林信康氏の史上最強の放送禁止歌
最初に聞いた時に、衝撃をおぼえました。こんなことを歌ってもいいんだと感動しました。
それと同時に、氏の勇気が眩しく思えたのです。この歌を歌うのって相当勇気が要っただろうし、怖くなくても、賞賛と同じだけの相当な批判も集まっただろうと思ったんです。
「くそくらえ節」が発表された時よりもインターネットが発展して、言いたいこともより言いやすくなった筈なのに、私は彼の勇気が、まだ眩しく思えるだけです。



自由な場所にいて、その自由すら謳歌しようとしない私が私は嫌いです。
常に捨て身で、自分で自分を傷つけて言いたいことを言えたらと願います。
この文章はきっと中国の検閲には引っ掛かってしまうから、中国を出てからネット上に載せます。その時には、少しは自分のことを好きになれるように、文章を書いてみたいと思います。