ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

自由の檻

私は昔から自由に生きたいと願っていて、自由に振る舞っているように周りからも見えていて、大人になったら母みたいに独立するのだろうと昔から自分でも思っていました。
それは独立したいと思っていた訳ではなくて、私の性格では企業で生きていくのは大変ではないだろうかと思ったからです。

働いている自分をイメージできなかった頃は気付いてみれば遠くなり、今は私は大きな会社の中にいて、喜んで歯車として働いています。



独立したり、フリーとして働いたりということが持て囃されていた頃、それらに向き合うには私は臆病で、自分で仕事を見つけて自分で自分を管理することに及び腰でした。

新卒で就職活動をしていた頃、それでも大企業は向かないだろうという自身に対する先入観で、中小企業ばかりエントリーしていました。実際に就職した会社は小さな会社は、私にとってはイマイチでした。

私は自分で意識していた方向とはまるで正反対で大企業向きの性格をしていて、もう後がなくて応募した大きな会社で、今の私はのびのびと働いています。
大企業は堅苦しくて何も出来ないと聞いていたけれど、意外なほど改善案が通ったりむしろ改善をしろと迫られたり上司がフレンドリーに話をしてくれたりと面白いことが多いです。

社長の性格がダイレクトに反映されるあの小さな会社では、気まぐれな社長の方針転換に振り回されて辛かったです。
お堅いけれど新しいことにもチャレンジする意欲を見せる自分の会社が好きで、そんな社風だからか私のことを面白がってくれる周りの人にも恵まれていて、上司と飲みに行くことや上司の性格や人間関係を見極めて接することも苦ではなく、自分でも意外なほど私は会社という場所に適応できています。



先入観は良くないというけれど、それは自分自身に対してもそうなのでしょう。
自分のことは自分でもよく分からないし、自分の中にだって外にだって、まだまだ知らない部分が隠れているのです。何が向いているかなんてその時になってみなければきっと分からないのです。
あの頃の自分に伝えるなら、そしてこれからの自分へ戒めとして送るなら、自分自身をも縛る先入観を持たないように後悔なく選択して生きろというメッセージです。
飛び込んでみた世界は意外と快適かもしれないし、窮屈かもしれない。けれどやってみなければ自分に向いているかなんて分からない。そんな選択を怖がらずに続けていける自分でありたい。
自由でありたいと願いすぎて、その願いであっても自分を縛ってはいけないのです。

先入観で自分を雁字搦めに縛っていたことに気が付いた今、改めて考えています。