ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

道のりが遠く

コロナというウイルスが出現して以来、私も知らなかった私のことを私は知りました。
外出が思っていたよりもずっと嫌いなこと、人との関わりは最低限しか要らないこと、職場に向かうのが好きなこと。
そして、親が嫌いかもしれないこと。



記憶には、3種類あるといいます。手続き記憶、意味記憶エピソード記憶
私はこのうちのエピソード記憶が滅法強く、昔の友達にあった時、そんなこと覚えてるのと驚かれることはしょっちゅうです。
昔のことならば小学3年生の時に父親と行ったデパ地下で買ったコロッケの種類、小学校卒業時にタイムカプセルに入れた手紙の内容、直近で言えば2年前の上司が4日間連続で着てきた服装、全て詳細に語ることができます。

そんな記憶力が役立つかと言うと、私はなくなれば良いと思っています。嫌なことも何度も思い出して、あまり自分のためにはならないからです。



そして、それらの記憶にはもちろん親のことも多く含まれていてます。
言われた嫌なこと、されて嬉しかったこと、されて憎んでいること、言われて喜んだこと、喧嘩したこと。
親自身も忘れている事細かなことを、私は全部憶えてしまっているのです。


私の親はいわゆる毒親というやつでもなんでもなく、むしろ私は大切にされた方だと思っています。
でも許せないされたことや言われたことを私は忘れられなくて、好きと断言言えるほどではなくて、それでも嫌いにはなりきれなくて、帰省が毎回億劫なんです。
コロナを理由に帰れない今の日々はとてもおだやかで、どこかほっとしている自分がいます。
酷い親であれば嫌いとはっきり言えるのに、良い人たちだから、そんな自分がとても悪い人間だと思えてきて辛いです。



皆どこかで折り合いをつけて生きられているはずなのに、私は記憶力のせいにして向き合わないままでいる。
これらの感情をどう名付けたら良いのか私には分からなくて、コロナを理由に背を向けています。

帰りたい、ではなくて帰りたくない。
帰れなくてごめん、ではなくて帰らなくてごめん。


まだ私には、実家は遠すぎるのです。