ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

私じゃなくてあなたのために

自分に禁じている言葉があります。口に出すだけじゃなくて思うだけでも。
それは例えば、「自分なんか」とか「私なんて」という自分を貶める言葉。



大学時代、居酒屋でホールのアルバイトをしていました。居酒屋はやっぱり酔っ払う人が多くて、一番若い私はよく「美人だねぇ」「かわいいねー」という言葉を掛けられることもありました。
もちろんそれは事実からはほど遠くて、その証拠に素面でそれを私に言う人なんていないんです。
そんな言葉を掛けられたときのテッパンは、「お酒入ってなかったらまた違うふうに見えますよ〜」「お酒切れてからまた言ってください」と笑顔で流すこと。これはテッパンで盛り上がるので、何回言ったかしれません。



もうそろそろ卒業を控え、バイトを辞める時期も見えてきた頃、社長と呼ばれている白髪のその男性は、やっぱり私に言いました。
「あんたは綺麗だ」
もちろん私はテッパンの返し。
「お酒切れたらそんな風に見えなくなりますよ〜」
するとその方は、何本も運んだ日本酒は幻だったかのように、ふいに真面目な表情になって言ったのです。

「自分を貶めてはいけないよ」

私はそんなことを言われたのは初めてで、正直戸惑っていました。固まっていた私に、その人は続けました。
「自分をな、そんな風に貶めては駄目よ。あんたは綺麗だ、それは心根もだ。だから、自信を持ちなさい」
私は、いつもより小さな声でありがとうございます、と言って、そうするとそれでいいんだ、と満足気にされたのでそのまま失礼します、と下がりました。

廊下を歩き出すと、じんとしてしまって涙が浮かびそうになったので、それを遮るようにいつもより大きな声で「いらっしゃいませ」と声を出していつものように仕事に戻りました。



f:id:tyuruyuuka:20190721211923j:plain:w300



それから考えたのは、私が私を貶めるってことは、私を好きでいてくれる人や信じてくれている人に対しても失礼なことになるのだということです。
私を頭がいいって言い続けてくれているS先生やどこだって生きていけると抱きしめてくれたIさんや、なんだかんだ言いながら連絡してくれるHさんに、失礼なことを私はしたくないから、だから、私は、それ以来、自分に対して貶める言葉を考えることすらしないようにしています。
だって、あの人に申し訳ない。
そう思えば、私は私を信じられるんです。



今、少なくない意味で人生の岐路に立たされていて、一週間後にどうなっているか分からなくても、それでも私は私を信じたい。
頑張れ私。私を信じてくれている人に、次に会った時に笑顔を見せられるように。
私は優秀だ、自意識過剰と思われたって自分に言い聞かせ続けます。
だって、あの人に失礼だから。



保育園に通っていた頃から変わらない、この生きにくい世界で、あなたのためにも生き抜いてみせる。そう決めたから。
頑張れ、私。