ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

私と誰かと私だけ

私の文章が誰かの考えるきっかけになれば、誰かの心に残ることがあればいい――なんて考えていません。



だって、私の文章は、ただの足跡です。廃棄物とか残りかすとか、そういう言葉でもいいです。必要な部分は残っていない、ただ打ち棄てられるだけの、価値のないもの。


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ブックマーク数が欲しい頃もありました。読者数を増やしたい時期もありました。運営からのおすすめに載りたい季節もありました。

でも、誰のために書いているのかを考えて向き合った時に、ブログのお陰で心の平安や成長や気付きを得ていると自覚した時に、私はもう自分以外のことを考えて文章を書かなくても良いのだと知りました。自分のためだけに何かを得れば良いのだと悟りました。

今は、感動も感謝も感心も関心も、興味も期待も好意も同意も、要りません。読まれたその一瞬後に忘れられても構わないんです。



そもそも、文章を読んでもらえることだってあんまり期待していないです。それは、私自身がとても厳しいからだと思います。
特に長文は、はっきり言ってしっかり読み込むことなど少ないです。流し読みして、あるいは真ん中らへんをすっ飛ばして読んで、それで引っ掛かるものがあればもう一度初めからきちんと読むのですが、なければ印象に残ることなく終わりです。いえ、引き込まれる出だしでないと読み始めることすらありません。
そんなものなのではないでしょうか。

だからこそ、文章に目を通してもらえることだけで満足です。



私が私のために考えて、私のために並べて整理して、結論や結論のようなものを導き出した、それは私の中にしかありません。それ以外のものはこうして残しておけるけれど、それは私のためだけに取ってあるから、誰にも分け与えてないものです。
一番良いものは独占しているから、それ以外がどうなろうが知ったことではないし全然構わないのです。



自分の文章の受け止められ方もどうだって良いことで、私の文章が誰にも影響を及ぼさなくたって良いのです。文章って、娯楽だと思うのです。読むことって、楽しみだと思うんです。
何より、私自身が、何かに悩んだ時、誰かの文章を読みたいなんて思わないんです。素人のものならなおさら。気を紛らわしたいということはあるかもしれないけれど、役立てようと思って何かを読むことなんて私にはありません。
だから、逆の立場になりたいなんて、誰かの支えになりたいなんて思わないんです。



ブックマークもコメントも、もらえたら嬉しい。だけどそれを受け取る時には既に、私は一番欲しかったものは手に入れてしまっています。
ここに一つ一つ文章が埋まっていって、私の心の欠片や残りかすが溜まっていって、ここが山になれば良い。山脈はきっと豊かな水をもたらすから、その時は心の海で自由に泳ぎ回りたいと思います。