こんにちは。S先生。突然なんですが、私に一年前送ってくださったメールを覚えてらっしゃいますか。
論文ですかと突っ込みたくなるようなあの長いメールに私は結局返信をしなくて、それが引っかかっていました。自分の中での折り合いをつけるために、とにかく、どんな形でもいいから返信を書いてみようと思ったのでこれを書いています。
あのメールには本当に衝撃を受けました。というか、ぶっ飛びました。
既に作り上げられている思考の枠組みに収まりきらない新たな「情報」と遭遇することで、自分自身の中にある種の「軋み」や「違和感」が生じる場合があります。その時、「軋み」や「違和感」の持つ意味を問い直し反芻する姿勢を持続できた者だけが、自己の思考の枠組み自体を再構成するきっかけを掴むことができるのです。ちゅるはそうした思考回路を持っている稀有な存在だ。
先生が私を高く評価してくださっていることは知っていました。まぁ先生もそれを伝えようとしてくださってたので当たり前の話ですが。
けれど、ここまでとは思わなかった。それが、正直な感想でした。
私には自分のことをそんな風には思えなくて。先生がどこを見てそう感じたのかも分からなくて。
だから、自分の中に生じた「軋み」や「違和感」にこだわり続けなさい。
先生。『自分の中に生じた「軋み」や「違和感」』って何ですか。私は『思考の枠組み自体を再構成』してるんでしょうか。
私の中のスタンダードと世の中の社会常識が、いつも引き起こす不協和音は、いつか私を育ててくれるのですか。
不協和音は嫌いです。小さな頃から、変わっていると言われてきました。それを直そうとして失敗し続けてきました。自分が間違っているのだと信じてきました。
不協和音に耳が痛くて、頭が痛くて、他人と合わせられない自分はどこか欠陥があるのだ、と思わざるを得ないこの世界で、一人で闘わなければならないと心を痛めたこともありました。
誰が何と言おうと、そんなことは一切気にしなくていいから、自分の思うままに進んで行きなさい。
ちゅるの未来を遮るものはなにひとつありません。未来は果てしなく開かれています。
未来は開かれているでしょうか。世界は私を受け入れるほど広いでしょうか。
先生は、私よりも私のことを見透かしているのですか、私のことを買い被りすぎているのですか。
私には分かりません。私には分からないことだらけです。未来は、私に優しいでしょうか。
手紙だからこの際、言い辛いことも言ってしまいます。
これからも、私を信じていてください。私は私のままでいいと言ってください。これからも、私を教え諭してください。
私は毒を吐きながら先生からたくさん吸収して、そんな私を先生が面白がって、私がうんと大人になって、先生が歳をとって、そんな年月を重ねていつか、先生が見たことのない世界を私の肩越しに見せる。そんな夢を見ています。
先生に買い被ったと後悔させないように、頑張ってみたいです。先生が私を信じてくださるように、私も私を信じてみたいです。
これからも、私の先生でいてください。
ちゅるゆーか
P.S.
S先生自身がもし、もしもこれを実際に読まれたら、あぁメールの文章と実際の言葉遣いが著しく乖離しているあいつか、とすぐに分かるでしょうから、そうですね、雑用しますので許してください。メール待ってます。