ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

バスの中でオーラ

バスの中で、高校の時の同級生を見かけました。



その子は華やかで美人で、クラスの中心グループにいた子でした。
私と同じバスの車内で、スマホをいじってから窓にもたれて少し眠っている姿は王道の現代っ子でやっぱり美人だったけれど、でも、なんだか違いました。
確かに、すっと通った鼻筋にぱっちりとした目元、少し尖った雰囲気を醸し出す顔の形などは当時と変わらなくて、相変わらずの美形でした。けれど華やかさはなかったんです。



私には、ただの少し疲れた若い女の人に見えました。勿体ないなぁって思いました。
私は、顔や体形よりも雰囲気で他人を見ます。雰囲気と言うのかオーラと言うのか人によって表現は変わるのでしょうが、ともかくそういうもので他人を認識します。
彼女のオーラを覚えている私には、彼女と彼女が、同じ人とは信じられませんでした。


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高校生だったあの頃、その子が笑うと空気が振動するのが分かるような、その子が動いたところの空気に色がつくような、そんな華やかさを身に纏っている子だったのに何だかただの女の人に見えました。
もしかしたら、彼女は彼女の持っていた華やかさを高校時代もしくは短大時代に使い切ってしまったんだろうか。彼女が降りてゆくのを見ながら、寂しい気持ちになりました。



私の母親のよく使う言葉に、「ピーク」という言葉があります。
母親曰く、人間にはピークがある、と。幾ら学生時代にカッコよかったからといって、大人になってもカッコいいとは限らない。小学生がピークの人もいれば二十歳がピークの人もいるし、もっと年を取ってからピークが来る人もいる。
そのピークはきっと容姿だけではなく、雰囲気や運や仕事でもきっとあるのだと思います。



私にもきっとピークがある。それが終わってしまったのかこれから来るのかは私自身には分かりません。でも、例え安泰と呼ばれる人生でなくとも後ろ指を差される人生であっても、自分を削りながら生きる人生でいいから、誰かの目に留まる光を発していたい、そう思います。
例え元同級生の目に見えなくともあの子に光があって、誰かに見えていますように。そう願った、バスの中でした。