ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

私たちに絆なんて

私が大学へ進学して一番びっくりしたのは、皆が友達を褒める、ということでした。相手のことを素直に褒めることが大事なこととされていたのです。正直、むず痒くてたまりませんでした。私は褒められることに慣れていなくて、褒めることにも慣れていなかったからです。



私の地元で友達を褒めることは、誕生日や何かの節目以外ではあり得ません。土地柄なのだと思います、私の地元では、友達関係とは『友達でない人には言えないことを言える関係』を指します。



例えば、「友達じゃないし」と言いながら一緒にいる関係や「性格悪いな〜」と言いながら笑い合う関係が友達関係だとみなされるということです。

けれど友達に貶されて、本当に貶されたと思う人はいません。勿論大して親しくもない人にされたら怒るのが当然です。が、友達関係において、どれだけ雑に扱っているかを演出することでお互いにお互いの距離を図り、お互いを確かめることが、この土地におけるいわゆる『普通』です。

誕生日や何かの節目で感謝の気持ちを伝えることとセットにすることで、よりフランクでよりざっくばらんな関係を目指す、それが友達関係だとされているのです。



そんな土地柄で生まれ育ったからでしょうか、テレビが連呼する、絆、という言葉が嫌いです。私にとって絆とは、黙っていてもそこにあるものを指します。持てと言われて、じゃあ持とうかって持つのが絆だとは思いません。

私たちの間には絆があるよね、と誰かと言い合ったこと、今まで一度もありません。ですが確認なんてなくとも、あると思える人が困っていたなら、私は飛んで行きます。



先日、父親の聞いていたラジオで、紹介されたメールに印象的なものがありました。

東日本大震災被災者の方のメールで、

「震災から5年。もうそろそろいいでしょうと、支援の手を引かれました。でも、まだ大丈夫じゃない。まだ支援が必要なんです。絆とは何だったのか」

という内容。



私は思います、年数で手を引くような関係は絆なんかじゃないと。もう充分だと判断出来るようなのは絆とは呼べないと思います。
絆は、一生続く。そう信じて、そうさせたいのが私にとっての絆です。
でもたぶん私は、これから先も絆という言葉は使わないです。だって、安易に口にすることが憚られるほど重い言葉だと思うから。ただ、何かあっても何もなくても、お互いに気を掛ける関係をつくりたい。



とりあえず今日は友達に、元気かと一言だけ、LINEを送ろうかと思います。