ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

生きやすい人生

昨日妹と喋っていて言われたことが印象的でした。

お姉ちゃんの性格だったら生きやすそうなのに

私は協調性はないし出る杭は打たれるしで苦労することも多くて。だから、私は自分自身の性格をとてもじゃないですが生きやすいだなんて思っていないのです。


妹は私とほぼ正反対の性格です。
どちらかというと引っ込み思案で、目立つことはしたがらなくて、冒険より平穏を好む性格。
感情は表に出したがらなくて、女の子らしい。


高校時代には、あまり好きではない子がいました。
好きではない理由は、"考えていることがよく分からない"というシンプルな恐怖でした。
考えていることが顔に出ない、というよりは何も感じない、というような子だったのです。

彼女とは今は二人でご飯を食べに行くほど仲が良いのですが、そのきっかけは、彼女の作文でした。彼女は感情の起伏が少ないことに劣等感を感じていること、そして多少ではあるけれども自分にも感情があることについて作文を書いていたのです。
その作文をきっかけに私は彼女を怖いとは感じなくなったのですが、その彼女に言われました。喜怒哀楽がはっきりしていて羨ましい、と。


私にはその言葉がとっても意外で。

彼女は誰とでも仲が良く、同じ年の子だけではなく先輩後輩からも好かれていました。いつも冷静で、いつも笑顔で、大人っぽくてモテてもいました。片や私は気が強いために好かれないこともある上、自分自身好き嫌いが多いために友達もそんなに多くはないのです。

そんな彼女が、私にないものをたくさん持っているように見える彼女が、私を羨ましいと思っているなんて本当にびっくりしました。


妹と彼女と。
二人の、私とは反対の性格を持つ人にとって、私は羨望の対象のようなのです。


おそらく私は、自由に見えるのでしょう。
ですが、その自由を貫くためには周囲からの批判や圧力は甘んじて受けています。
そして、喜怒哀楽が激しいことの弊害も確かに存在しています。嫌われやすいとか誤解を受けやすいとか協調性が失われやすいとか。

この状況を私は大変生きにくいと感じています。とかく世の中は生きにくいものである、と。


しかし考えてみれば、人間社会で生きている人で生きやすい、生きていく上で何一つも不満がないという人は存在しないのでしょう。
私や、妹や、高校時代の彼女がそうではないように。

生きていくことはいつだって、辛くて厳しくて思い通りにならない。だからこそ生きていくことに楽しみが生まれるのでしょう。