ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

強みは何かと聞かれたら

ありがたいことに、インターンシップ先やアルバイト先、あとは少しだけ学校でも褒められたことがあるのですが、共通点に気付きました。


ゼミでは自分が出せなくて息苦しい。本当の私は、ゼミ以外の場所での私。
この差は何なのだろう。
そう考えた時、ある共通点がありました。
それは、私が発言しても良い空気があること。
自由な発言が許される時、私は積極的になるように思います。


私のゼミでは協調性が重視され、思ったことはあまり言えないです。皆の話の流れに逆らうような意見は曖昧な言葉で流されて。中心にいる人以外は発言しないミーティングと意見が反映されない議題。ゼミが最優先の空気に不満は許されないという雰囲気。先生に過剰に気を遣わなければならない慣習があり、当然のように全員参加が基本の飲み会では先生に合わせ高いコースが予約されます。


……こう書くと、なんてゼミなんだと言われるかもしれませんが。
私の大学ではたぶん一番いいゼミで。
就職率は100%、メディア掲載数学内ナンバーワン、当然競争率は激しく、研究のための設備も整っています。
先生は穏やかで、民間も経験した自分に厳しいタイプ。年齢より若く、ストイックで研究熱心(論文の数は学内一とか)。日々ダイエットを積み重ねて体型を維持し、愛妻家で息子を可愛がる良いお父さん。
研究は学生主導で、グループで進める研究は、協調性を育てるのにもってこい。プレゼン能力も向上し、リーダーになればリーダーシップも鍛えられる。プレゼンは先輩たちにチェックしてもらって、最後に先生。
その成果は、メディアに掲載されることで知名度を増し、より宣伝することで就職の際の武器にする。
先生を尊敬し立てる気持ちが分かりすぎるほど分かる良い先生と整った環境。
けれど私には先生は、完璧すぎて人間味を感じないから怖いしゼミ内の空気はなんだか息苦しいのです。ゼミの先輩とはなんとなく合わなくて喋りにくいし、私が他人とはズレているからか、意見を言っても首を傾げられることがほとんどですし。先輩と仲良くなければゼミ室にも行きにくい。ゼミ室にはほとんど来ない、振られるまで喋らない、グループLINEではほぼ発言しない、技術はない、先輩と仲良くないむしろ喋ることを避ける……etc    積極的ではない、と捉えられていると思います。


逆に、私の大好きなS先生の授業は発表形式で、どんなとんちんかんな意見を言ったとしても認めてやんわりと軌道修正、意見を言うことが大事、内容がいいと褒めてもらえる。
先生個人は個性の強い人で、強烈な毒を含む話は面白く、毒を吐くわりには優しさが垣間見え、飲み歩くのが好き。
お前の発言と答案には独特の視点がある、と褒められました。
アルバイト先やインターンシップ先では質問はたくさんしましたが、答えてもらえると納得して従いました。うんと年上が多かったからか自分の意見を言っても納得できるように説明してもらえ、否定されることはまずなかったです。
むしろ、コミュニケーションを取らないといけないから皆よく喋りよく聞く人でそれが推奨されていました。
積極的、お喋り、行動力がある、向上心が強い、人見知りをしない、外に出たいタイプ……etc
概ねゼミ以外のその他の場所での評価は、ゼミとは逆なことが多いと思います。


私は、考え方が珍しいとよく言われます。
どうやら、他人とは異なる視点を持っているようでして。つまり協調性はないんですけどね(笑))
ということは、それを生かすには発言して他人に伝えるしかないんです、私には。でも他人と異なるが故に否定されても、他人に合わせられない。だから違うと言われれば、肩身の狭い不快な思いをしなくていい発言しないことを選んでしまい、無口気味になってしまうのです。
私の価値を伝えるには発言するしかないから、それが否定されたとき、私は私の持つ可能性を封印せざるを得ません。
だから、ゼミの空気では自分の価値を見つけられなかったのでしょう。


私は気付けました。……モラトリアムをまだ長引かせることになりそうですが(笑))


私は、自分はここが強いのではないかと気付いたときから生きやすくなりました。これからは自分の強みをいかに最大値に持っていくかを考えて生きていけます。
気付けて本当に良かった。
今までどうして協調性がこんなになくて、堅苦しい話し合いが苦手なんだろうと思っていたんですけど、私は自由な発言が許されている場所でないと自分を生かせなかったんです。


自分は何が強みなのか。そして何が好きなのか。
探し続けるのが生きること、なのかな?