ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

休みたかった

会社を休みたかったです。
少しずつ心が傷ついて、それは刺し傷じゃなく擦り傷で、ほんの少しずつ削り取られていく感じがして、もう限界に近くなっていることを感じています。
上司にも先輩にも会いたくないけれど、それでも今日の私は他人といなければ駄目な気がするので化粧をしました。一番濃い口紅を塗って。

今週末妹と会わないといけないのも憂鬱で、あの子は最近私を可哀相がるのがお気に入りだから、だんだんと好きではなくなってきました。



吐き気がする気がします。胃のあたりが痛い気がします。
昨日手続きを失敗して1000円楽天モバイルに払わないといけなくなったことも重ねてストレスで。
ナチュラルに傷つけてくる先輩になんか会いたくないし、柔らかな清涼剤のような上司は明日までいないし、大好きな上司は別の場所だし、友達なんて今の事業所にはいません。


指先に力が入らなくて、会社に行きたくなくて、直前まで行くことを迷いながら歯磨きをしました。
このままふらっと意識をなくして死んでしまいたいとこんな日は思ってしまいます。



土日が全然休めなくて、寝不足で、だるくて、もう心から笑えるなんてないんじゃないかと思うのに、会社で当然とされている私はよく笑い何にも傷つかない私なんです。



この間まで、土日は外出しているのが好きだったから、同じテンションで予定を入れていましたが、もう無理みたいです。
このまま埋まってしまいたい。



会社に行きたくないんです。
それでも一人でいるのは嫌なんです。
天気が良かったら、川べりでお酒を飲みながらお菓子をつまむみたいな贅沢をしたかったんです。……いいえ、それよりも、ただ、眠りたかったんです。



心が、死んでいるようです。
来週いっぱいまでは、仕事は休めない。でもそれを乗り越えたら休みを取っているので、旅行に行きたいのです。
早く、この鬱状態から抜け出せますように。それまではただ深く深く落ち込まなくては。

疲れている日

疲れている。たぶん。とても。
心が動かなくなって、一人でいたいのに独りではいたくなくて、先週に続いて定期圏内を行ったり来たりしています。
電車の中は、一定の揺れが心地良くて誰も私に興味なんてなくて、落ち着く。これを味わえるだけでも、都会に出てきて良かったと思えます。



疲れました。
先輩の自尊心を満たしてあげること。でも半分くらい流すこと。嫌いな上司を嫌うこと。憎らしさが他のことにまで影響を及ぼしてくること。仕事ができないこと。まだ何も分からないこと。細々とした人間関係のこと。心から笑い合いたい大好きな人がいないこと。睡眠不足なこと。筋トレも出来ていないこと。ウエストが細くならないこと。それなのに食べてしまうこと。疲れていること。元気がないこと。やる気がないこと。友達がいないのかもしれないと思うこと。妹を憎んでいるかもしれないこと。洗濯物が乾かないこと。寝ても寝ても眠いこと。未読の漫画が溜まっていくこと。何にもやる気が出ないこと。明後日から忙しくなること。ここが居場所ではない気がすること。遠くへ行きたいこと。見たことのない景色が見たいこと。

私の気持ちは私にしか解決できないと分かっているのに助けを求めたくて、でもそんな人などいなくて、いたとしても声を掛けたくはないこと。



どうして私は私なのだろうとか私以外だったら楽だったのかとか絶対に辛さは一緒だとかぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ考えて、でも頭は働いていなくて、電車の外の景色は流れていくだけで私と関係なく川が流れているのを見下ろしたりします。



今日は友達と約束があるからたぶん満足するほどは眠れなくて、来週も耐えなくてはと思うと泣きそうになります。
どうして頭は働いてくれなくて景色は流れるだけで私の頭の中は私にしか分からないのでしょうか。


たまに自分が嫌いになって、けれど自分だけでも好いてあげないと私が可哀想です。
後先も考えずに、このままこれを公開してあとで死ぬほど恥ずかしくなりそうです。

本10選

Twitterでバズっていたので、「#名刺代わりの小説10選」というタグを初めて知りました。
そういう読書好きのための活用法があるのだなぁと思いながら、私の中で決めるとしたら何になるかなぁと考えました。
私の中では好きな本というよりも、人生に影響を及ぼした本を考えたいなぁと思いました。



1.狂乱家族日記シリーズ/日日日
作者名はあきら、と読みます。中学3年生の時、初めて読んで初めてハマったライトノベルでした。
恋の思い出も、高校生活の最初の辛さを癒やしてくれた感謝もあります。個性的なキャラクターやいろいろな考え方は、思春期に読んだということもあり私に絶大な影響を及ぼしました。
私の人生を語る上で避けては通れない本。


2.ぼくは勉強ができない/山田詠美
もはや古典として読み継いでいくべき名作。初めて読んだのは小学5年生か6年生だったと思います。
何度読んでも学びがあり、全てを理解できたら本当の大人になれる気がします。
私のものの捉え方の大半は、中島みゆき氏と山田詠美氏が形成していると思います。


3.放課後の音符/山田詠美
中学生の頃、寝る前に飽きることなく読み返しました。素敵に生きるとは何か、私に教えてくれた本。
「夏はうんと日に灼けることだ。(中略)そうすれば、どんな暑さも味方に付けることが出来る。」
この文章のせいで、私は今でも日焼けを悪だと思うことができないでいます。


4.もの食う人びと/辺見庸
家にあった分厚い本。知らない世界を教えてくれた、食べるとは生きるとは何かを見せつけてくれた本。食べることは生きることだという考え方は、もしかするとこの本を読んで身についたのかもしれません。


5.タスキメシ/額賀澪
スポーツ嫌いの私に、箱根駅伝の世界を見せてくれた本。スポーツも良いのかもしれない、と思いました。
諦めること、逃げること、大人になって考えなくなった一生懸命さは、私には眩しくて宝物のように思えました。
額賀澪氏は、頑張っている人を描くことが得意な人なのだと思います。

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6.(題名を忘れてしまった本)/作者不明
小学校の図書室にあった本。
貧しい家で生まれ育った中学3年生の主人公は、チラシを見てスーパーをはしごし、夕食をつくり、下の兄弟の面倒を見ている。高校受験時、全ての回答を裏面に記入して提出し、国語に至っては満点だったが、家庭のために進学を諦める。最後は暗いものではなく明るい未来を夢見る主人公の姿で終わったと記憶しています。
どんなに頭が良くても、家庭の事情で進学できない生徒がいるならば、本当の天才は東大にいるのではないのかもしれないと思いました。この本のおかげで、学歴で他人を見ない私を獲得しました。


7.働かないふたり/吉田覚
現在も連載中の漫画作品。働かない兄、働けない妹とそんなふたりの周りの日常を描いたお話です。
この作品には、本当に何度も救われてきました。
嫌なことがあった時、働きに行きたくない時、イライラした時、落ち込んだ時。もうずっと救われています。
きっとこれからも救われ続ける、大好きな作品です。

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8.赤毛のアンモンゴメリ
出会って良かったと心から思える本。昔アニメで見た時は全く心惹かれなかったのに、本で読むとなんてマリラとマシュウの愛は素敵なことでしょう。アンの生き生きとした性格は魅力的なのでしょう。
赤毛のアン、アンの青春、アンの愛情、アンの娘リラ。この4冊は大好きです。

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9.ひざまずいて足をお舐め/山田詠美
大学生の頃初めて読み、それ以降何度も読み返しています。
印象的なエピソードは幾つもあり、軽く紹介など出来そうもない程人生への示唆や教えに溢れている本です。
こういう本を読んでから社会に出れたことを嬉しく誇らしく思う私がいます。


10.海外でハローワーク下川裕治
下川裕治氏にはバックパッカーの旅に出るほど多大な影響を受けている私ですが、この本に出会った時は、「そうか、海外で働くという手があったか!」と頭を殴られるような衝撃を受けました。
私の可能性と世界を文字通り拡げてくれたことに感謝します。



日常、ふっと本の文章が頭をよぎることがあります。または意識して動くことがあります。
ここまで挙げた本は、全て私の生活でそんな風に私に常に働きかけてくる本です。
そしてこれからもきっと、そんな風に私を助けてくれる本です。



惜しくも選外
嘆きの美女/柚木麻子
ボックス!/百田尚樹
少年少女飛行倶楽部/加納朋子
なんでも魔女商会シリーズ/あんびるやすこ


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エリザベート

エリザベートというミュージカルを、愛しています。
日本の映像化されているものは全て、エッセン版も観ました。それぞれに違いがあり、何度見ても飽きず、エリザベートの魂や死ぬことについて考えます。
(ちなみに宝塚版は初演が正義、東宝版はBlackバージョンが好きです。)



役者さんについては。
花總まりさんの宝塚版初演でのエリザベート、透明感や純粋さが表れていてとても好きです。鏡の間のシーンでは毎回見とれてしまいます。もちろんそれ以降も素敵なのですが、あの透明感や自由を求める気持ちの強さが、初演で一番煌めいているように見えるのです。
ルキーニは宝塚版では轟悠さんがお気に入り。東宝版は成河さんのあの下品さが大好きです。王妃を殺したことに納得のいく狂っているルキーニ像が私は好きです。
ヴィンディッシュ嬢は、宝塚版の海乃美月さんがずば抜けています。あの眼。本当におかしいのではないかと思ってしまうあの眼。素晴らしい演技力に見る度に惹き込まれてしまいます。


そして何と言ってもゾフィー。私はゾフィーというキャラクターが大好きで、観る度に彼女が背負っていたものや守りたかったものについて考えます。
宝塚版でゾフィーが亡くなってしまうシーンがないのがとても残念です。
宝塚版では出雲綾さんの厳しくも優しさのあるゾフィー夏美ようさんの恐いけれどどこかユーモアのあるゾフィーが特にお気に入りですが、各ゾフィーを見比べてどんな性格で作ってあるのかを推察するのが楽しいです。
ゾフィーエリザベートの中では悪役ですが、彼女もまた、歴史の主人公の一人だったと愛しく思います。



暇で考えることがない時、なぜあの物語の語り手はルキーニなのかと考えます。
ルキーニとは何者なのか、エリザベートは死を愛したのか。死は、味方なのか。
いつか私にも、否、生まれてからずっと私に迫り続ける死について、向き合えるのはエリザベートのおかげです。
物語は完成されていても受け手の私達は幾らでも想像や解釈を広げることができる。物語の美しさに感謝するのです。



死について、考えたい時にエリザベートはおすすめです。
生について、考えたい時にエリザベートはおすすめです。
史実とそうでないことが巧みに混ざった物語は、想像や解釈を自在にしてくれます。
エリザベートをいつでも鑑賞できる時代に生まれて良かったです。

日常

旅が日常だった頃があります。
大きなバックパックを抱えて、飛行機や列車やバスに乗っていればそれが旅でした。
私はもはや消えかけているバックパッカーの最後の方の一人でした。
いつも街や町に溶け込めないことが当たり前で、自分の中に値段の基準をつくってそれを試しながらの買い物でした。
1000円をケチっては空港で一晩や丸一日を過ごしたりしました。
考えると何とも贅沢な時間の使い方で、それでも私は何かと闘っていたのかもしれないと今になって思うことがあります。



狭いところでより良く眠るコツは、上半身ではなく脚を伸ばして眠ることです。
家族連れはその他のグループよりも信頼性があり、子どもがいるおばさんが一番頼りになります。
その土地の価格の基準になるのは水で、それを100円と考えると、その他のものの値段はどれくらいが相場かを推測できます。(この感覚を身につけることが、ぼったくりを避けるコツだと思います。)
長距離のバス移動は、トイレがその辺の草むらだったりするのでパンツスタイルよりもスカートが良いです。
迷ったら、まずは落ち着いて何かを食べると良いアイディアも浮かびます。
そんな今の会社員としての生活には何の役にも立たないことをたくさん身につけました。

私は、あの旅が無駄だったと思うことが好きです。私は無駄なことを2年間全力でやって、社会に出る前の儀式としました。
無駄で良いと思っています。完璧な人生なんて、一体何が面白いのでしょうか。



あの頃のことを思い出すことがあります。
エキサイティングでつまらなくて、ありきたりで発見の多かったあの日々。今の私には過ごせそうもありません。
けれど、あの頃の私にはきっと過ごせなかった日々を今の私も送っています。
どちらが良いとか悪いとかではなくて、今の幸せの尻尾を手の中に時々捕まえられればいいなと思います。

情けは

職場に、先輩のWさんとIさんがいます。
Wさんは何でも出来る人で、Excelを使いこなし資料を完璧に作り抜群の記憶力を持っています。
Iさんはミスの多い人です。間違った資料や確認不足のファイル、それらは枚挙にいとまがなく、先輩のWさんにいつも指摘されながら仕事をしています。
しかし、上司にラーメン屋に連れて行って貰っているのは、誰もが好いているのは、ミスばかりでも憎めない優しい人柄のIさんなのです。
Wさんは仕事が出来ても、それを振りかざして正論で相手を叩くところがあります。いつだって1番でいたいことが伝わってくる話し方をします。正しくても仕事が出来ても、皆がどこかで避けてしまうのがWさんです。

人間は、仕事が出来る人が好きです。しかし、二人の先輩を見る時、仕事が出来てもそればかりではいけないと心底感じます。



品川庄司の品川氏は、テレビ局のスタッフに嫌われているからテレビに出られない、としている番組を見たことがあります。
その昔飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃、散々に威張り散らし居丈高に振る舞った結果。その頃の下っ端さんたちが偉くなった今、代償を支払っているという話でした。
一見、人気や知名度だけで動いているように見える仕事でも、それを作るのに人が介在する以上、感情が必ず介入する。当然のことのはずなのに、忘れてしまいがちなことです。


品川氏のエピソードを聞いた時、私が思い浮かべたのは吉田拓郎氏の言葉でした。
ラジオでミュージシャンになりたいが何が大切かという質問のメールを読み上げた後、「人柄です」と即答されたのです。「ミュージシャンを選ぶ時には人柄を重視する、気持ちよく仕事が出来ない人とは仕事をしない」、そんなことを続けて言われました。
もちろん、技術が伴ってのことだと思います。けれど、どんなに技術があっても人柄が悪ければ駄目だというこの考え方は、ほとんど全ての職業に当てはまると年を重ねるにつれて実感するようになりました。
なぜならば、他人と接しない仕事なんてないからです。


情けは人の為ならず、したことはいつか自分に返ってくるに決まっていて、他人に優しくしている人には本人が気付かなくとも何かしらが返ってきているものです。
居酒屋勤めだった頃、良い常連さんにはお得になる情報が行き渡り、お酒の量が多めになり、パフェの生クリームが増えました。完全に各店員の裁量や心掛けの範囲内で、気付いていない人も多かったはずです。けれど、何かしら得をしていたのです。
そんなことが、世の中には考えるよりもずっと多く存在しているはずです。


他人に優しくなりたいです。それは優しくないからこそそう思うのかもしれません。

逃げ続けて

昔見たニュースでは、子どもの自殺が一番多いのは9月1日だと言っていました。
中学2年生の頃、私は教室に入りたくなくて別室登校をしていました。
別にいじめも受けていかったけれど教師のあの暗い雰囲気が嫌いで、今思うと我儘だったのかもしれないです。けれど、そのことで、今まで後悔したことなんてありません。

何度も言われました。
社会に出た時やっていけないとか、逃げたら駄目だとか。先生たちは入れ替わり立ち替わり私を諭しました。私はただ、うるさいなと思っていました。
あの時も、今でさえそんな言葉たちに耳を貸す気はありません。
逃げて逃げて逃げ続けて、私は、ちゃんと幸せに暮らしています。


嫌なことからは、逃げて良いと思います。
ただ、何もしない逃げを選んでしまうと、いつか自分が苦しんでしまう気がします。だから、代わりになるものをしていた方が良いとは思います。
私は教室からは逃げたけれど、きちんとテストは受けていました。
大学時代はゼミが嫌いで嫌いで、休学したのはそこからの逃げですが、海外を旅したのは良い思い出と経験になりました。
就職する時も苦手な分野は選ぼうとしなかった結果、出来ることを伸ばして今は得意のエクセルの技術を存分に生かして楽しく仕事ができています。


だから、何かプラス1が自分の中で出来ているなら、逃げても問題ないというのが持論です。
逃げることで心が健康になるなら健康はプラス、逃げることで新しいものが見えるようになればプラス。
人生は意外に長く、意外な側面を皆持っているなので、少しくらい変わったことをしていても大丈夫です。



私は、これからも逃げ続けると思います。
嫌いなものは視界に入れようとしないと思います。
将来の自分が困らないのであれば、それも私なりの正しい人生の過ごし方です。

コロナ感染の記録

新型コロナウイルス感染症に罹患したので、その記録など。
私はものすごく軽症で、本当に運が良かったです。
体感としては、これよりもひどい風邪もひいたことがある程度。一貫して食べれて自由に動ける。味覚・嗅覚の障害なし。後遺症は残らないことを祈ります。


2022/08/16
喉に違和感、痛みがある
あまり気にしないで寝るも夜中1時半頃、喉の痛みで飛び起きる

2022/08/17
喉がひどく痛む
声がガラガラでおかしい
熱っぽい気がしてお昼に体温を図るも36.4℃
飴と梅昆布茶を大量購入
梅昆布茶で足が浮腫む

2022/08/18
喉の痛みが引き続き
声もガラガラ
朝の体温37.8℃
夜の体温37.7℃
ややぐったりではあるが、日常生活は送れる程度
飴を死ぬほど舐める
梅昆布茶の塩分で足が浮腫んでパンパン
思いついて風邪薬を飲み始める
痰が出るも濃くて小さい

2022/08/19
喉の痛みは引き続き
声が少し戻る
朝の体温37.2℃
夜の体温37.0℃
足の浮腫みがほぼ取れる
お昼頃限界が来て眠る
鼻水が増える
堪えきれなくなってたまに大きく咳き込む
血の混ざった痰や大きな痰が出る

2022/08/20
喉は痛いが、声はほぼ戻る
体温36.8℃
足の浮腫みも取れるが顔が浮腫む
熱はないのに頭が痛むので頭痛薬を引き続き飲む
飴の舐めすぎで傷んだ口内が少し治る
夕方2時間ほど寝ると峠を過ぎたのを感じる
歯茎がかゆい、薬が効くと治まる

2022/08/21
喉の痛みはほぼなくなる
咳が出る
体温36.6℃
引き続き頭が痛むので頭痛薬服用
頭の横を押さえると気持ちが良い
歯茎がかゆいが、薬が効くとおさまる
午前中に寝たら回復した気がする
喉の奥が痛かったのが昨日は口の上、今日は鼻の後ろと前へ移動している
眠るたびに良くなっているのを感じる

2022/08/22
昼間4時間ほど眠る
鼻詰まりや鼻水が気にならなくなる
時折激しい咳き込みがある
喉があまり痛くなくなった
頭痛が少なくなり、薬も一回で済む
36.5℃

2022/08/23
軽い偏頭痛のような痛み
声が戻る
声を出す際の違和感は残る
咳が軽くなる
発作的な咳き込みが朝以降出なくなった
夜36.0℃

2022/08/24
寝不足からか声が再び出しにくくなる
喉がちくちく痛む
咳き込みは時たまではあるが依然ある
体温は平熱のまま

2022/08/25
体温平熱
喉の痛みあり
食欲がない

2022/08/26
体温平熱
喉の痛みあり
偏頭痛のような痛み
咳が大分減った

2022/08/27
痰と咳以外は平常通り
喉も意識しないと気にならなくなった

2022/08/28
咳もほとんどない
痰は時々出るが、気にならない
喉の痛みなし


(上記追記)
・一貫して食欲あり
・市販の頭痛薬(薬局で一番安い薬)が良く効く
・アイスには大変お世話になった

松本侑子氏の赤毛のアン

1993年集英社松本侑子氏訳「赤毛のアン」を読み終わりました。
訳注が充実していて、色々な言葉の解説、出典が豊富で満足感が高いものでした。村岡花子氏の訳では省かれている部分も訳されているので、少し不思議に思っていたところや不自然だと思っていたところも納得出来ました。
特に素晴らしいと思ったのは、風景描写の美しさ。
こんなにプリンス・エドワード島やグリーン・ゲイブルズから見える景色は美しかったのかと、アンが島や家を愛していた理由が良く分かりました。


私なりの、村岡花子氏訳、松本侑子氏訳の比較です。


松本侑子氏訳
・美しい風景描写
・充実した訳注
・全文訳なので、あれ?と思う部分がない
村岡花子氏訳に比べ、マシューの存在感が大きい気がする


村岡花子氏訳
・とにかく面白く、読みやすい
・ぐいぐいと読者を引っ張っていき、先へ先へと読ませる筆力
・アンだけでなくマリラが魅力的
・マシューの愛の深さが、根底に漂っている感じがする



同じ作品のはずなのに、マシューの存在感が違う気がするのはなぜなのでしょう。
登場回数が少なく思えるもののマシューの愛が全体を通して漂っている村岡花子氏訳、マシューが要所要所で存在感を発揮する松本侑子氏訳。
訳者によって印象が違うものになるのがとても良く分かりました。



松本侑子氏訳を読んで良かったのは、何よりも、訳者あとがきで、私の言いたかったことと不満だったことへの答えが書かれていたことです。

二冊めの「アンの青春」以降、作品の筋書きはともかく、アン自身の魅力は大きく損なわれていく。(略)
赤毛のアン」でのアンは、聡明で、誇り高く、それでいて心優しくて、夢や憧れを大切にする少女だった。(略)
しかし、アンは最後に、(略)平凡な女になる。女は個性や自我を捨てなければ大人になれないとでも言うように…………。アンの家庭は、もちろん不幸ではない。しかしその平穏な家庭の陰で、アンは、どこかしら憂うつに沈んでいる。「赤毛のアン」のアンは、心弾むような喜びに満ち溢れていたのに、その輝きはどこにもない。
アンをこのように変貌させたのは、他でもない、モンゴメリである。
(略)
アン・シャーリーの憂うつは、まさに、晩年のモンゴメリの憂うつである。

4巻以降面白くなくなったアン・シリーズを読んで、私はモンゴメリを恨んでいました。あんなに想像力豊かで魅力的なアンを、平凡で心優しい欠点などない女性にしてしまったモンゴメリが、恨めしくて堪りませんでした。
夫を支え子どもたちを愛し、欠点など見当たらない皆に慕われる女性、なんてつまらなくて魅力を感じない大人になってしまったのかとアンをなじりたくなりました。あの燃えるような生命力はどこに行ったのかと悲しくなりました。

けれど、当時の女性の置かれた立場や押しつけられたジェンダー観に縛りつけられていたモンゴメリを思うと、心から哀しく思います。
アン・シャーリーもその犠牲になってしまった。
そして現代もそうではないと言えるでしょうか。


誇り高く活発な女性が、今より先を生きるアン・シャーリーが、これから先の私たちの未来では自由に生きていけるようにしていきたいものです。



次はシェイクスピア不思議の国のアリス若草物語を読んで、さらに「不思議なキリスト教」(
著:橋爪大三郎大澤真幸)も再読しようと思っています。
世界が広がるのは楽しいです。


tyuruyuuka.hatenablog.com

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自傷行為

他人のことは知らない。けれど、私は時々、食べることを自傷行為として使うことがある。



大学生の頃、ゼミに行くことがとても苦痛で、お菓子をたくさん食べて食べて胃に詰め込んでいたりしました。
お酒を飲んでお菓子を食べてお腹がはちきれそうになるまで入れてから寝ていたのは社会人になってからすぐでした。
そして先日の土日をそうやって過ごしてからまた今日の月曜日に食べ物を詰め込んで、私はこの心を抱えて寝ようとしています。



異動になりました。
異動自体はずっと覚悟していて、慣れ親しんだ場所に行くだけなので苦痛ではないのです。
けれど、先週の金曜日、異動前の最後の出勤日に、私の上司はテレワークを選びました。先輩二人も、予定通りテレワークでした。


私だったら、急遽でも出勤を選んだと思います。



異動先の先輩は、とにかく仕事を自分で抱え込む人で、自分でやったほうが速いから、慣れてるからすぐだから、と仕事を分けてはくれない人です。
今日もそんなところを見てしまって、嫌いたくないのに嫌いになってしまいそうで、自分が嫌いになりそうで。



昔から、その場所を去る時にそこを嫌いになってしまうことが良くありました。
そこにいる時は、嫌いにならないように好きでいるようにという努力で蓋をしていた感情が、離れる時に一気に噴き出すようになってしまうのです。



片道2時間弱の通勤時間。思うように行けないスーパー。慣れない仕事。慣れない居場所。
罰であるかのように食べて、罪を忘れるように飲むお酒。
しばらくは、精神的に落ち着かない日々が続くのでしょう。