ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

noteと私の歴史

久しぶりにnoteにログインしてみました。
お知らせを確認すると、「6周年記念のバッジを獲得」と出てきて、要らないなあと笑ってしまいました。

フォローしていた人を確認しました。
私と同じように宣言して辞めている人、アカウントを削除している人、ピタリと更新が止まっている人、アフィブログを始めている人、人気アカウントに成長している人。
noteが好きだった過去の自分には想像も出来ない世界が今の世界で、なんだか面白いです。



確認してみたら、2015/5/21。それが私がnoteを始めた日のようです。
大学の図書館の片隅で、noteを更新していたのを思い出します。苦しくて、寂しくて、だから救いを求めていたんです。
あの頃、毎日スキをくれた方、ありがとうございました。本当に救われました。



その後こういう考えていることを文章にしたものを書くようになって、4ヶ月くらいでフォロワーが100人を超えました。
あの頃は、フォロワーの数をとても気にしていたことを覚えています。



コンスタントに文章を書くようになりました。
好きな文章を書く人がいました。コメントをくれる人がいました。親近感を持つ人がいました。
タイムラインには他のどこにもないあたたかい空気感があり、私はnoteが好きでした。
間違いなく、私の支えでした。



そして、ブームが来ました。
noteにとってはリリース直後以来の2回目のブームだったようです。
人が溢れました。記事が溢れました。
有料記事で稼ぐ儲かるといった記事が増え、人口が増え、毎日フォロワーが増えました。
そんなことからは目を逸らして、私は文章を書きました。
スキがつくのが嬉しかった。フォロワーが増えるのが嬉しかった。
そして、私のnoteはおすすめには載りませんでした。それを気にしていました。



次第にブームは落ち着きました。
しかしその頃から、私はnoteという媒体に距離を感じていたようです。
だんだん、他人の文章を読まなくなっていきました。
プレミアムも始まって、私が求める場所とは変わってきていました。



当時フォロワーは450人を超えていたはずです。
(これは自慢なんですが、公式からのおすすめにも載らず交流も全くと言っていいほどしていないのに、ここまでフォロワーが増えたって当時結構すごかったと思ってます。)
2016年10月、更新がガクッと減っています。
ちょうど休学して1年。振り返ると、おそらく私の中で何かが掴めたようです。もしくは手放せたようです。そう、思います。


それでも細々と、思い出した時に更新していました。
考えた時に考えたことを吐き出す場所として、手放すことは出来なかったのです。



そして、2020/8/15。
なんだか違和感を持っていた運営への不信感と、私の求める場所ではなくなったことが理由で、私はnoteにさよならをすることに決めました。



ブログはnoteがいつ閉鎖してもいいようにバックアップとして作っていて、記事もほぼ同時更新していたので、こちらに居場所を移すことにしました。
そして今があります。



今は、ブログが楽です。
思ったことを書いていくだけの、つまらないブログですが私にとっては居場所なのです。

彼の人へ

片恋の話をします。
彼のことを書くのは、できればこれが最後にしたいと思っています。



彼と出会ったのは、中学3年生の時でした。
そして好きになって、高校は別々、成人式の時にちらりと見かけたくらいでそれっきりです。
彼が初恋という訳ではなく、けれど今までで一番好きだったことは間違いがありません。
幾つか彼について書いた記事はあるので、リンクを掲載してこれ以上は言及しません。果てしなく長くなりそうなので。


tyuruyuuka.hatenablog.com

tyuruyuuka.hatenablog.com

tyuruyuuka.hatenablog.com

tyuruyuuka.hatenablog.com


そして、そんな彼の現在を知ってしまいました。
彼の空気感は変わっていませんでしたが、彼は、どうやら変わっているようでした。

彼は、ひどく自信なさげでした。
自分のことを「こんなだから」と表現し、絶望の空気と諦めの気配を漂わせていました。
「たった一人でいいから自分を好いてくれる人が目の前に現れて欲しい」
そう願う彼は、中学生の頃の私のことなど覚えていないのでしょう。
目の前に果てしなく広がっていた大きな未来を何の気負いもなく自分のものにしていこうとする彼に、私は惹かれていたのです。

私の知っている彼は、思春期に特有の自信とそれゆえの傲慢さとそれと相反しながらも共存する脆さを持っていて、そんなところが好きだったんです。
いたずらっぽく笑う屈託のない笑顔と、その顔に時折落ちる陰が好きだったんです。



だから、変わってしまった彼に私は驚いてしまって好意すら驚きに変わってしまって、そんな自分も悲しいです。
そして、どんな人間であっても、人を貶めてはいけないんです。例え、それが自分自身であっても。
私の好きだった人を貶めるのはやめてと私は叫びたかったんです。




今のあなたを知ってからも胸の高鳴りが止まらないくらい、私はあなたが好きでした。
勇気の出なかった自分自身を責めた夜が何度あったか。背中を思い出して切なくなったこと、道行く人にハッとして振り返ったことも何度も。細い綺麗だった指や一度だけ名前を呼んでくれた声を思い出して胸を苦しくして、電車の中でバッタリ再会しないかと期待して。
自信のないあなたを今すぐ抱きしめたい。あなたには価値があるんだよって何回でも言い聞かせたい。
でも、私は、今のあなたに恋はできない。



あなたも変わり、もちろん私も変わってしまった。



ありがとう。好きでした。
ありがとう。こんなにも、人を好きになれる私を教えてくれて。
ありがとう。どうか、幸せに生きて。


そしてどうか。あなたをすっきりと忘れられますように。

筋トレ4ヶ月半

筋トレを始めて4ヶ月半なので、進捗報告をします。

①場所
お腹、背中、太腿、二の腕。
ただし二の腕はがっしりしてきてしまったので現在お休み中。

②時間
週6で毎日30分〜。
毎日やりたいけれど、お酒を飲んだだの夜食べただので週1位はしない日があります。

③どのように
YouTubeTwitterで寝ながら出来る筋トレを検索。効くものをやる。カウントは50回。
立たないといけないものは絶対しない。スクワットとクランチはやったら死ぬと思っている。

④筋トレ以外
O脚改善を10分弱、内臓を元の位置に戻すための逆立ちを5分、ふくらはぎの浮腫みを取るのをできるだけたくさんを心掛けているものの、たぶん10分くらい。

⑤ルーティン
一日一部位。
きつく感じなくなってきたら、別な動きにして身体が慣れないようにする。
筋トレ以外は毎日する。

⑥効果
太腿、足首、二の腕は確実に細くなりました。
特に太腿は目をみはる程の効果で、下部分がキュってなって太腿に隙間が!!外側も肉が落ちた、気がする。
しかしなぜ付け根は細くならないのですか。最近始めたきついトレーニングの効果が期待されるところです。
お腹は、みぞおちの下部分に筋肉がついたような?
下腹などはまだまだなので、今後に期待したい。

⑦メリット
浮腫みが取れる。筋肉がついた気がする。ほっそりした身体を感じて日中悦に入れる。



私は今まで全く運動をしたことがなく、体育の授業も大嫌いでした。
しかし職場の皆さんが続々と筋トレを始めているのをきっかけに、やらなきゃかなぁと思い始めました。
さらに、妹が筋トレの効果で確実に身体が締まっていて、こんな近い身体の人間に効果があるなら私にもきっとあるだろうと思ったのが始めたきっかけです。
この私がプロテインを飲むようになるなんて!(ただし、週2〜4回)
ピュアソイプロテイン、豆乳の劣化版という感じで意外に飲めるし美味しいです。



続いていることが飽き性の私にとっては驚きで、いつまで続くかは分からないけれど、出来るだけ継続したいものです。

里芋にはなれない

私の住んでいる部屋には外干しのスペースがあります。隣の家とギリギリの境、1幅mもない土のスペースに物干し竿。
忌々しいことに草が我が物顔で占拠しているので、定期的に草取りと言うよりは草を引きちぎる作業をしなければなりません。
一昨日、そのように草を除去していたところ、なにやら葉っぱを見つけました。トロに出てくるような、特徴的な葉。
あれは、里芋の葉。



そういえば。と思い出しました。
親から里芋が送られてきたのですが、食べずにいたら腐っていたことを。そして、臭いがひどく捨てるのも面倒で、そのまま窓から放り出したことを。
あの葉はもしや、あの時の里芋ではないでしょうか。



偉いものですね、放っておけば芽を出して、また新たな命を育むなんて。
何十億年という命の繋がりを知りながら次の世代は生まないと決めている私のことを、里芋はどう思っているのでしょうか。


たまに思うのです。
もし私が、例えば今とは違う時代に生まれていたら子どもを生みたいって思っていたのかな、なんて。
生きているのは楽しくはあるし幸せも多くあるけれど、次の命を繋ごうとは思えない自分を罪作りとは思いながらも肯定してしまうのです。
繋がってきた命の中で、そんなことを選択したものがいないから私はここでこうして存在している訳で。
その命たちに、ごめんなさい。私は里芋にはなれなかった。



さて。
里芋は葉が枯れだしたら収穫のようです。
たまには里芋を食べるのもいいかもしれません。

小娘だった私

最近妙に、昔この記事を書いた時のことが思い出されます。


tyuruyuuka.hatenablog.com


「小娘ごときが」 「ガキが文句言うな」 

といつもいつも言われていました。 うんざりでした。私だって好きでこの年齢でいるんじゃないと思っていました。


そう、本当にそうでした。
子どもって言われるのも嫌で、でもそれが嫌に感じるのはやっぱり幼かったからかもしれません。
だから、こう書いているのは自分でも素直に偉いなって思いました。

私は今の年齢でしか感じられないことを感じていくべきだし、もう昔の年齢で感じられることは感じたからです。


昔の私にこう言いたいです。

歳を重ねるって思ったより難しい。身体は勝手に歳を感じさせてくるのに、なかなか精神的にはそうはいかないみたい、って。
今でも私はぶわーって怒ってしまうし態度が悪いことだってある。歳をとってもやっぱり他人の気持ちは分からない。
このまま、年齢だけが大きくなっていく恐怖と、それに伴って身体が老いていく恐怖にかられるときもある。
でも。
どうか、あなたは今を精一杯生きて欲しい。
かつての私が生きてきた時代が、その思い出が今の私を支えているように、もっとずっと未来の私のことも支えてくれるはずだから。



なんだかんだ私は自分自身のことが好きで、その時を思うように望むように生きてきました。
たぶんそれは、これからも変わりません。
だから昔の私も、そのままでいいのかななんて甘いことを考えてしまいます。



ジイさま、歳をとるのは、思ったより難しいですね。
私にもようやくそんなことが分かってきました。
それでも、あなたには小娘と呼ばれるのでしょうね。
そんなことも嬉しいと思える私は、もしかすると成長したのでしょうか。難しいです。

天気が良い日@A先生

朝起きて、天気が良くて嬉しくて、模様替えをした活動的な一日でした。
模様替えしたあと、やっぱり気に入らなくてほとんど元に戻しました。
満足して、買い物に出掛けました。
子どもが遊んでいて、光が溢れていて、気温もちょうど良い日。ふと、死んだ人のことを思い出してしまうのは、そんな死の連想からは遠い明るい日に限ってなのはどうしてなのでしょうか。



A先生は、高校の教頭先生でした。
痩せていて、ヒゲが濃くて、眼鏡を掛けていました。暗くて近寄りがたい感じの、そんな先生でした。
なぜA先生に大学へ提出する書類を見てもらうことになったのか、よく覚えていないのですが、おそらく国公立大学を志望する生徒がそもそも少なく、その中でも私は一風変わった入試を受けることになっていたのでそのフォローのためだったと思います。
なんにせよ私は、担任に言われてはてなマークを浮かべながらも職員室へ向かい、話をしました。



意外なことに、A先生は暗い先生ではありませんでした。
話してみると割と気さくで、明るくはないけれど快活とは言える先生でした。
書類を大学に提出するまで、何度も通いました。
「ちゅるさんと話していると、アイディアがどんどん湧いてくる」
電気もつけていない空き教室の隅で、目をキラキラさせて話していたのを覚えています。
先生の目には、私は優秀な学生だったのでしょうか。



入試が終わったあとには、その大学のあるところのご当地キャラが描いてあるぷっちょと付箋を買って帰り渡しました。
喜んで、いてくれたでしょうか。



私が志望した大学に通い出した後、A先生は転勤になったと知りました。
連絡先を聞いておけば良かったと思いました。

その3年後だったでしょうか、妹が大学で出会った友達から、高校の卒業式の直前に校長先生が倒れて亡くなったと聞いたのです。A先生でした。



もしも、人の記憶に残っている限りは本当に死んだことにはならないというのを正しいとすれば、A先生はあと60年近くは生き続けられることになります。
尊敬できる人でした。あの頃は気付いていなかったけれど、尊敬していました。
A先生は、今の私を、良くやったと褒めてくれるでしょうか。喜んでくれるでしょうか。



A先生、世界はこんなことになっていて、私は平凡な社会人になっていて、でも何とか毎日を生きています。
一緒にお酒でも飲んでみたかったと、今になって思います。
あの頃、あの古い校舎で向き合ってくれてありがとうございました。私も楽しかったです。

ドケチとして

昨夜、カレールーばかりを11個もレジに持って行った自分を店員さんはどう思ったのだろうと思いながら雨の音を聞いています。
気の抜けたジンジャーエールはそこそこ美味しいけれど、つまみでも作ってお酒が飲みたいです。



私はケチで、あまりお金を使っていなくて、今月は家賃等を含めても42,500円しか使っていなくて満足しています。
その割には昨日お菓子とつまみとお酒で1,700円使っているのですが。
(激安のシェアハウス住まいで通勤と利便性を犠牲にしているため家賃が激安なのです。)


忍たま乱太郎にきり丸というキャラクターがいます。
彼はドケチで、小銭の落ちる音に反応し、それに対しての反応は人体の限界を突破していて、趣味は小銭を数えること。
昔は深く考えたことがなかったのですが、彼の特性はお金に苦しんできた生い立ち故。
きり丸は戦で親を亡くした戦災孤児で、たった一人で生きていてアルバイトで生計を立ててきたからこそ、お金に対してシビアでドケチ。



考えてみると、お金がないと言われて育ってきました。
事実、我が家にはお金がありませんでした。奨学金を貰う時に見た書類を見て、どうやって子どもを二人も育てたのか腰を抜かしそうになった位です。
外食をした記憶がほとんどありません。お菓子を買って貰えるのは誕生日と遠足の前の日。本は図書館へ貸りに行き、洋服は貰い物でした。お小遣いはなく、ケータイは大学進学時に自分で買いました。
他人にお菓子を分けることへ抵抗があり、外にランチに出ることが苦痛で、お金を掛けたくないあまりに時間を惜しまず使ってしまう。
最近になって、その理由が育った背景なのだからまぁいっかと思えるようになって、自分を許せたのはきり丸のおかげです。きり丸ありがとう。



カレールーを売り尽くしを狙って1年分買い溜めしたり、ポイントを貯めて生活用品を買ったり、3%引でないと卵を買えなかったり。
それでも、砂糖を使っていないお高めのカレールーや平飼い卵を選べるようになり、食に対しては使えるようになってきました。
服飾費もそうかもしれません。洋服は、高い方が持ちが良いので躊躇わず買えるようになりました。



それでも、給料日を特段意識しなくてもお金が貯まっていくのはやはり徹底した節約のせいなのでしょう。
それを恥ずかしいと思う気持ちもあります。
でも、そんな自分を許せていけたらいいなぁと思います。

働いている私の願い@「働かないふたり」

例えば、なぜ生きていかねばならないのかと自問自答してしまう日。
例えば、もう何もかも面倒くさくて、一生笑えないんじゃないかと思ってしまう日。
例えば、上手くいかなかったことばかりが思い出されてしまう日。


ただ、自分の中にいる泣き虫な自分と手を繋ぎたい時、必ず読む漫画があります。




f:id:tyuruyuuka:20210823171706j:plain
©吉田覚(新潮社)


働かないふたり - 吉田 覚 / 第1回 | くらげバンチ
(リンクさせたくらげバンチ以外でも、私はLINEマンガやpixivコミックでも読んでいます。)


「働かないふたり」。題名の通り、働いていない兄妹ふたりのお話。
部屋に引きこもって遊んだり色々な人と関わっていったり。ふたりが日常を過ごす、それだけのお話です。
けれど、素直でアホで賢くて健気なふたりに、私はたくさんの夜を励まされてきました。



この作品の魅力は、変わっていないようで成長していくキャラクターだと思います。
生活の中で成長し、他人の言葉に影響され、時には助け合って生きている登場人物に、勇気と笑顔と安心を貰えます。
ふたりがただ笑っているところやバカバカしく友達と騒いでいるところを読む、というよりも覗いていると、なんだか自分を肯定されているような気がして、どんな状況でも笑っていていいんだと迎え入れられる気分になるのです。
そして、そんな場合じゃないと(ふたりの)お母さんに怒られたくなるのです。




余裕をもって日々を過ごしたいです。
感情に振り回されず、常に笑って、弱い人にも強い人にも親切に、支えてくれる人を大切に、毎日を楽しく、悪意を向けられても微笑んで。

その願いは、叶わないからこそ持っているのだと思います。

ついイライラして、小さなことで落ち込んで、余計なことを言ってしまい、周りを見られず、疲れ切って笑えない。
そんな毎日の中で、どうか、明日も他人にやさしくできますように、という願いをささやかに叶えてくれるのがこの作品です。


できることならばいつまでもこの働かないふたりを愛し、ふたりのためにも働ける自分でありたいです。

平日休みの過ごし方

某国民的行事のおかげで、一時的にシフト制で仕事をしています。
今日は平日休みだったのに、会社に行く時と変わらないぐらいの時間に起きてしまいました。
歯磨きをして、実家から送ってきた野菜を会社に持って行く弁当用にカレーにしました。



いい感じの時間になったので洗濯機を2回回し、洋服とシーツを干して、漫画を読んでいたらスーパーの開く時間になったので買い物に行きました。
風が吹いていたので気温ほど暑くは感じず、日陰を歩きながらスーパーとドラッグストアに行きました。
ドラッグストアではクーポンを駆使して生理用のナプキンを、スーパーではお酒とつまみと醤油を買いました。
買う予定だった卵は値引きされておらず、買いませんでした。最近値引きされていることが少ない気がするのですが、気のせいなのか本当なのかはまだ確かめられていません。



平日なのにそこそこ人はいて、並んで会計を済ませて併設のホームセンターでトイレットペーパーを買って、また暑い道を帰りました。醤油が重くて、少し挫けそうになりました。



帰ったら部屋着に着替えて、お酒をあけました。
揚げ春巻きと柿の種とさけるチーズをつまみに、レモンサワーを500ml。
趣味が悪いのは自覚した上でですが、他人が働いている時に昼から飲むお酒が、罪悪感と背徳感と優越感が相まって一番美味しい。
お酒の残りが少なくなった頃すっかり気持ちよくなり、何もないのに笑ってしまいながら最近のお気に入りの「忍たま乱太郎」を見ました。
忍たま乱太郎」は日常・ほのぼの・一話で楽しめると私の求めるアニメの条件を満たしていることが最近分かりました。そしてキャラが魅力的で嫌な気持ちになることがない。良い作品です。20期と21期がお気に入り。
お酒を飲み干すとそのままベッドに横になり、少し眠りたいと目を閉じていたらいつの間にか眠っていたようで、目を覚ますと洗濯物を仕舞わなければならない時間でした。



目が覚めて歯を磨き、少しスマホを触っていたらこの時間です。
お酒も飲んでたくさん食べてしまったので、顔のマッサージをして筋トレをして早めに眠ろうと思います。昼寝をしたばかりなのにまだ眠たいのです。



貴重な平日休みに何もせず終わってしまいました。
でも、この休みをうだうだと過ごすのも贅沢で好きです。
コロナの流行をきっかけに私の生活も幾つか変わったことはありますが、最たるものに、休みを家で過ごすことに罪悪感がなくなったことがあります。
夏の陽射しを眺めながらとろとろとベッドの上で時間を溶かすのは幸福で、明日の仕事も頑張れそうです。

聞こえてはいけない

考想化声。
この言葉をご存知でしょうか。

自分の思考が声として聞こえる、という症状で統合失調症の典型的な症状なのだそうです。
私は今朝この言葉を知ってぞっとしています。

私は、私の耳には、私の考えや読んだ文章が、音として届いているのです。

tyuruyuuka.hatenablog.com

tyuruyuuka.hatenablog.com

tyuruyuuka.hatenablog.com



昔から、私は思考が止まることがありません。
他の人には、頭の中が無音だったり何も考えていない瞬間があると知った時、とても驚きました。
私の場合、意識がある限り、常に何かを考えています。目に入ったもの耳に聞こえるものへの感想、休日をどう過ごすか、仕事の段取り、友達にいつ連絡するか。
そしてそれらの思考は声として私の頭の中に響いているのです。頭の中でずっと考え続け、その考えは声として聞こえ続けているのです。
これはもうずっとずっと、私の中に「意識」というものが芽生えてから変わらなくて、それなのに、普通のことではなかったなんて。



文章を読んでいる時も、正確には私は「聞いている」のです。目が追っている文章が声として私の耳の中に響いてくる。それを聞いて私は文字を理解しています。それによって読むのが遅くなるということはなくて、むしろ早い方です。
この文章を書いている時も、私は私の書きたいことを文字の打ち込みと同時に読み上げています。聞き取って書いている、という表現が近いでしょうか。
音楽が頭の中で流れている時は、並行して自分の思考も声として聞こえます。
歌う時は、頭の中に声やバックコーラスや伴奏が流れていてそれに合わせています。



そしてこの記事を読みました。
頭の中で常に考えていて、そしてそれが声として聞こえるというのは、やはり、健常ではないらしいです。

小島慶子さんがADHDの薬を服用し、驚いた感覚。「みんなこんなシーンとした世界に暮らしているの?」(withnews) - Yahoo!ニュース



しかるべき病院で検査を受けたら、私は病気か発達障害なのかもしれません。
けれど変わった人間であると言われながらも面白がられ、それなりに会社でも評価をしてもらい、コミュニケーションに長けていると言われる私にとっては、どうも納得がいきません。
これは私の性格が良かったのか環境が良いのか育ち方が良かったのか単に軽度なのか。いずれにせよ幸運なことには間違いありません。



とりあえず、この思考と共に今日も生きていかなくては。
気が向いたら、検査を受けてみてもいいかもと思っています。