ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

未来のイスタンブールから

昨日載せた記事過去のイスタンブールより)は、もう半年も前に書いたものだ。日付を逆算すると、9月4日〜6日に書いたものだと思う。
過去の私に、言いたいことがある。
今の私は幸せです。



あなたが懸念していたゼミ生との距離はだいぶ近いものです。東京で就活用の部屋を借りてるから泊まりにおいで、とグループラインで言ったらすぐに何人かから連絡がくるくらい。エントリーシート見てください、って連絡がくるくらい。お土産よろしく、って気楽に言われるくらい。だから心配しないで。

私は復学して幸せで、それでゼミも楽しくて、あなたが意気がってたよりもずっと大学も生活も楽しい。だから心配しないで。



過去の私に言いたいことがある。いろんな人に声を大にして言いたいことがある。きつかったら休んだほうがいいよ、って。

そこを乗り越えなきゃこれから先……とか言う人はいると思う。でも、自分の人生、心壊したら勿体無くないですか。
他人は所詮他人事でこちらにも首を突っ込んでくる。だから、それを拒否できるのも強さです。

そしてね、周りと上手くいかないことは自分とその人たちが合っていないだけで、違う人たちとだったら上手くいくことなんて、それこそ腐るほどあるんだって忘れないで欲しいと思う。自分を責めることは簡単だけど、周りが悪いかもしれないって思えるのも強さです。



ゼミで全く目立たなくてつまらない人ポジションだった私は、休学後、独自の立ち位置を持っている面白い人ポジションになりました。
私自身は何も変わらないのに、受け入れる側が違う人になっただけでこんなに過ごしやすくなるのかってびっくりしました。


だから、過去の自分に言ってあげたいんです。周りに自分が合わせられないってだけじゃなく、周りが自分に合わないんだって思える勇気を持ってみて、と。
時として誤解されるけれど、強さは自分中心のものでも問題ないはずの性質を持っていると、今の私は信じている。自分らしくいられる場所を探すのも強さだと私は信じている。



過去の私、大丈夫、いつだって世界は、あなたを受け入れてくれる人を乗せて回っている。

未来の私、それを証明するために生きていって欲しい。

イスタンブールに吹いていた風を私は忘れない。あの風と同じ風は、いつかここにも吹くはずだ。

過去のイスタンブールより

イスタンブールが好きだ。
泊まっているホステルはちょっと暗くて階段が急で夜になると音楽がうるさいけれど、この街の雰囲気が好きだ。トルコ人が好きだ。
久しぶりに心から好きだと思える国と会えて嬉しい。



旅が終わる。あと3回ここで寝たら私は日本に帰る。部屋を借りて、学生証を作り直す。そして、大学生に戻る。
何が学べたか、と問われたら、何も学べませんでした、と答えるしかない旅を2年も続けてきた。

何かを感じたこともある。何かを考えたこともある。でもそれを言葉で表せ、自分の変わったところを見せろ、と言われたらどうしようもないことばかりだ。



私はもう自分を見失わないと思う。自己中心的でいいのだと思えるようになった。

他人の顔色を伺って黙っている私より、自分の好きなことをお構いなしに喋っている私の方が私は好きだ。そしてそんな私を嫌いな人と無理をして付き合うより、そんな私を面白がってくれる人とだけ付き合っていた方がずっと幸せでいられる。
それは社会に出たら無理だと言われたこともある。でもそれに気付いているかそうでないかの違いは大きい。自分の好きなこと、幸せでいられることを知っているかどうかの違いは大きい。だから、それが何だと言い返したい。私はただ気付いた、そしてそれが大事なんだと。



大学に戻ったら、年が2つ上だとか休学していただとか、そんなことでゼミ生から少し距離をおいた付き合いをされるだろう。それは2年前の私が怖く感じていたことだ。でも今の私は、むしろそれを楽しみにしている。隙間をすり抜けるようにして生きていた大学という場所で、私は胸を張って歩けるようになっているだろうと思う。自分の世界を、あの中で心地良く作り出していきたいと思う。



(休学前に書いたテキストが出て来ました。記念に載せておきます。)

【原田マハ】楽園のカンヴァス

いつまでも続くような物語が好きです。


小説の最後、「で、どうなったの?」が分からない作品が好きです。
彼女はどこまでも歩き続けられる気がした、とか見上げると青い空が広がっていた、とかとにかく、その後どうなったかを読者に任せるような、そんな結末の、物語が好きです。



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久しぶりに小説を読んだなと思って、そうじゃなくて久しぶりに面白い小説を読んだんだと気が付きました。ページをめくりたくて、でもめくるのが惜しくて、でも先を急いてしまう、そんな物語を。

情熱――そう、情熱が駆け抜けていくような、でもそれは作品に出てくる絵画の中になのかそれとも作品それ自体になのか。それを知りたくて知らなくていいような気もして、それで、焦るかのように読み続けてしまう、そんな物語でした。



アンリ・ルソー。彼の絵を巡る、美術家の、なんだろう、情熱をかたむけた一週間。でしょうか。
彼の名前は聞いたことがあるけれど、正直よく知りません。けれどこれを書いたあとに、ブラウザの検索窓に打ち込んでみる気もありません。この物語に出てくるルソーを信じ続けていたいから。



結末がはっきりしない小説が好きなのは昔からです。
最後に何もかもがくっきりはっきり描写されてしまうと、もうなんたか、想像の余地もなくなるような、未来を断定されてしまうような、そんな気になるから好きじゃないんです。

未来は、どこまでも続く。今日が片付いても、明日がやってきて、その後ろには明後日がくっついている。だから断定なんて出来るわけがない。そう思います。
そして、断定できないからこそ、もがくことも出来るし、苦しまなければならないことだってある。でもそんな日常を生きていたいと思うから、だから、断定されていない、思うにまかせたままの未来が好きなんだと思うんです。



恋する相手に再び出会った、その感想も出ないまま、物語は終わってしまいました。
何も明らかにされていないのに、何かが解決したような気になっているだけ。
それなのに私がこんなにも満足しているのは、久しぶりに小説を読んだからなのでしょうか。



さて、近所の図書館には原田マハの作品が他にもあるはずです。
明日、行ってみようかと思います。

田舎者の空

ギリギリで電車に乗って、ドアの近くにいました。
一駅目で何人かが降りていった時、よろめいて手すりに掴まろうとしたら、降りようとした人の邪魔になったらしく押しのけられました。私を押しのけたその人は、何事もなかった顔でエスカレーターを降りていきました。

何とか踏ん張った私に、隣にいた帽子にマフラーの粋な男性が小さく会釈をしてくださいました。そこで少しほっとして、その後、嫌だったとか不快だったとかそういうのじゃなく、私は恥ずかしくなりました。
だって、押しのけられたその瞬間、私はとっさに自分の持っていた硬い鞄を大きく揺らして、その人に当たればいいと願ってしまったから。



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私たちは、人が集まって街が出来ていることも、忘れがちになっているみたいです。
一対一で向かい合う時は慮る気持ちとか思いとか。そんなものは隣で吊り革に捕まっている人にはないかのように、つい振る舞ってしまう。疲れ切って乗った電車の中で、自分が座ることだけを考えてしまう。


そんなことが都会に慣れるっていうことなら、私は都会に染まりたくないなって考えてしまいました。他人に気持ちがあるってことを忘れずに暮らしていきたいんです。私はいつまでも田舎者でいい。

だって、私の鞄にぶつかって「避けりゃあいいのに」って聞こえるように言ったおばさんが、幸せなようにも気が晴れたようにも見えなかったから。



東京で一ヶ月暮らしてみて、だいぶ都会のことが分かったような気がします。

人がたくさんいるって、良いことだけど困ったことでもあります。
人は確かに、多くなるほど物に見えてくる。中島みゆき様が歌っていることは正しいです。でも私は、その中で生きてみたい。物に見える他人たちが、気持ちを持っているってことも忘れずに。
電車の中でぶつかられても殺意を持たないこと。押しのけてまで走らないこと。分からない人を馬鹿にしないこと。私はそれだけ持っている、田舎者としてこの都会で生きていきたいんです。



東京にも空があります。どれだけの人が見ているか分からないけれど。でも、とにかく、都会にも、空があるんです。
私はその空を見上げて生きる。田舎で見ていた空と同じだと信じて、この都会で生きていきたいんです。

ストッキングに夢は入らない

今上京しています。東京という場所に私だけの小さな空間を持って早20日たちました。
上京の理由は就職活動というシンプルなものです。

面接とか説明会とかで一緒になった大学生たちに聞くと、就活辛いってよく聞きます。
でも私は辛いことなんて全然なくて、むしろ色々な人事の人に会えて話を聞けて、色々な会社の中を覗けてすっごく楽しいです。毎日降りたことのない駅で降りるのが楽しいし、説明会に行く時は第一志望になるかもってわくわくします。
その就職活動をしていて思ったのが、私は幸せなんだなぁってこと。



よく面接で聞かれる質問の一つに、「あなたの夢(目標)は何ですか」というものがあります。

正直めちゃくちゃ困ります。

私の望み、それは「明日も笑って過ごしたい」この一言に尽きるからです。それ以上は望んでいません。私はそのシンプルな望みだけを大切に抱え込んで生きています。


昨日面接で聞かれた「宝くじで一億円当たったらどうしますか」という質問に欲しいものなんて思い当たらなくて、「就活用のパンプスが足が痛くてたまらないので、足が痛くならないパンプスが欲しい」だなんて答えてしまいました。



友達にどうしたら目標って決まるのかなと相談したら、欲しいものとかないのって聞かれて、新しい友達と足が痛くならないパンプスって答えて笑われました。
だって、満たされているから、欲しいものなんてもうないんです。
私は十分すぎるほど幸せで、もう、どうしようって思うくらい。



明日も幸せでいたいんです。それだけが私の望みです。そして他人を妬むことも憎むこともなく、一日を過ごしたい。出来れば、大好きな場所で。
そしてそれは今限りなく近い形で満たされていて、そんな今に目標なんて生まれてこなくて。


空が青いだけで幸せになれる私に、大きな夢を持てだなんてちょっと無理難題だろうと考えながら、それでもストッキングを履く時はわくわくします。

料理長のこと

時刻は4時半でした。時間はもう朝と言って良くて、でもまだ真っ暗な時刻。息だけが白くて、寒くて。扉を閉めた料理長を振り返ると、煙草の火だけが動いているように見えました。
料理長と呼んでいる、私の店の店長について書いてみようと思います。



料理長は、私がバイトしている地元では大きい居酒屋の事業部長兼総料理長、私が働いている店の店長も兼任しています。つまりめっちゃ偉い人。社長と専務の次に偉いのでトップ3になります。
それは重々承知の上で働いているわけですけど、そんな感じの全然しない人で、自分のするべきことをきちんとしていたら役職が付いてきたという感じの人です。何か疑問に思うことがあって尋ねたら「俺も分からん」ってすぐ言います。でもすぐ他の人に電話して聞いてくれます。「俺はホールのことは知らんよ」っていつも言います。でも動き回っている私たちの様子から的確にホールの状況を把握しています。些細なことを報告するとうるさそうに興味なさそうにしています。でも小さな報告も覚えていてこちらがびっくりすることも多いです。



「お前がいないとこの店は回らん」
その言葉は料理長の本音だと思うけれど、ただ私が長時間働けるだけ、他の新人より出来ることが多いだけだということも分かっています。でもちょっと気恥ずかしかったから、
「またそんなこと言って、騙されませんよー。ミスばっかりだから、辞めろって言われるかもしれないのに」
って新人の女の子の前で混ぜっ返したら、
「何言ってんだ、ばか」
って怒られました。



忙しい時に業務用の携帯電話が鳴ると、舌打ちしています。その電話が出る前に切れるとさらに怒っています。
「コンピュータは使えない」と言って、私に業務連絡や新メニューを打たせます。
2時の閉店時間を過ぎて、事務所で作業をしていると思わぬ本音を聞けることもあります。
他の子には言わないくせに、私には休み取るなとか皿を洗えとか、言いやすいからって甘えてるなと思う時もあります。
でも、足りない時間の中でまかないをきちんと作ってくれます。



2年休んでまた復帰した今、昔は分からなかったことが分かるようになってきました。料理長の凄さとか。
本人に直接なんてとても言えないけど、料理長を尊敬しています。この人の下で働こうって、この人のためにクレームを出さないように頑張ろうって思えます。
今日のシフトもスタートからラストまで。でも料理長と一緒なら、私は今日もこなしてみせます。

理系男子のご報告

今日のゼミで例のHくん――私がちょっと気になっている男の子――と会いました。というか一緒に会議してたみたいな。……いや正直に言いましょう。会議してるなう。その場で聞いてるだけでnote書いてる私。この時点で普通に彼にも嫌われそうw

それはまぁ置いといて、たぶん置いといちゃいけないんですけど置いといて、Hくんの声すごい良いです。落ち着く。低すぎず高すぎず。
声を聞きたいから喋りたいと思うレベル。羨ましい。



しかもやっぱりHくん頭良いです。他人の発表に対する質問が頭良い。
質問ってその人のレベルというか、頭の良さみたいなものが如実に出るものだと思ってるんですけど、切れ味すごいです。質問された方のえぐられ方がハンパない。
だって、理解していないと質問なんて出来ないじゃないですか。何も知らずに質問なんて出来ないから、質問出来るって頭良すぎか、って思いながらチラ見しています。
私の方が2つ年上なんだから、もうちょい私も頑張らねば。



でもね、何が気になるかって、Hくんの顔色が白い。1ヶ月前くらいにHくん鬱気味って聞いているし、私も鬱だった時には顔色がすごく悪かったらしいから、純粋に心配。
声掛けたいけど、自分も鬱でしたアピールって思われないかとか余計なお世話ってうざがられないかとか無駄なこと考えています。でも顔白いの。大丈夫かな。



しかし我ながら、恋の仕方が分かりません。恋の落とし穴探してます。
Hくんが好きな人になるかもっていう実感もないですし。ただそばにいるからでしょって言われたら言い返せない。声の良さは主張出来るけど。
とにかく書いてみたくて、Hくんのことを書いてみました。理系男子良いですね。

募集中です

ちゅるゆーか23歳、彼氏が欲しいです。



彼氏が欲しいなんてことを考えているのは人生で初めてで、私は自分自身の考えに驚いています。
ずっと余裕がなくて、自分自身のことだけに精一杯で、だから恋なんて彼氏なんてそんな余裕ないと思ってきたのです。でもなんだか、そんなことじゃなくて、誰かの存在が欲しくなりました。それは友達じゃなくて家族でもなくて、何なんだろうと考えてみたら恋人っていう存在かなって思ったんです。



ちょっと気になる人ならいます。

ゼミで(私が休学して2学年下がったために)同じ学年になったHくん。私たちの学部は社会学系の学部なんですけど、彼はちょっと珍しく理系で、文系しか出来ない私とは全然考え方や感じ方が違って、そういうところがすごく面白くて頭いいなって純粋に尊敬できて、彼の考えていることをもっと知りたいって思います。もし付き合おうって言われたら喜んで!って二つ返事で言う。そんなレベルでは気になっています。
好きかって言われたら、まだちょっと違いますけど。



彼氏、いたことありません。年齢=彼氏いない歴とか全然自分では気にしてません。恋愛なんてずっと興味なかったし、中学校以来好きな人すらいなかったんです。
その中学校以来、自分の中の恋愛する器官が死んだんじゃないかってくらいそんなベクトルに心を動かさずに生きてきました。本当のところを言えば、今でもそれは疑っています。でも、それを生き返らせたくなってきました。


あー、S先生がせめて10歳若かったら10歳差だからまだ私の恋愛対象内で安心して恋愛的な意味でも好きになれたのになー。まぁ大学教員と学生なんてご法度だから彼氏とかいう意味では意味ないけどな!!(笑い事にしかできない)



とりあえず、出会いの場の決定的な不足に抗おうと思います。まずは誰かを好きになれればいいな。でもあれですよね、好きな人から恋人にステップアップさせるには告白とかしないといけないんですよね面倒くさいな。……とか言ってる時点でダメな気しかしませんが。3月までのToDoリストに「彼氏をつくる」って書いてみましたけど、実現可能性が我ながら低すぎて、のっけから及び腰です。経験もないですしね。

私より年上で長髪とか奇抜な髪型とかではなくて、眉毛いじってなくて、気の強い女大丈夫だよ!っていう男性がいらっしゃいましたらご紹介ください………… リアルでは紹介してくれなんて言えないんですけど。

「時間軸」で生きる

カザフスタンで出会った人とLINEをしていて、その人がこんなメッセージを送ってきました。
「同じ時間軸を生きてると思えない。砂漠に生きてる人も、大都会に生きる人もみんな同じ24時間だけど、時間軸絶対違う。」



これを読んだ時、時間軸って皆一緒じゃないかと思ったけれど、でもこのメッセージがなぜか気になって読み返すうちに、「時間軸」という言葉がものすごく意味のあるように思えてきたのです。
時間軸って、きっと時間に対する考え方だけじゃない、もっと毎日の過ごし方とか生き方とかに関係するものなんじゃないかと思えるようになったのです。
「時間軸」って、何なのでしょうか。

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時間軸。
私はそれは、個人個人の中にある時間に対する捉え方や時間の過ごし方に対する基準のように思えます。誰にも作り変えることの出来ない、自分の中に通った自分自身に対する絶対的な基準。
それが、あの人の言った「時間軸」ではないだろうかと思うのです。
生きていれば、いえ生きていくために、自分自身の基準というものは絶対に必要になってくるものだと思います。だから、きっと皆の中に一つだけある。それが「時間軸」なのではないでしょうか。



日本がどこか狭く感じて、旅に出たあの時。私は自分の時間軸を完成させるために旅に出たような気がするのです。何かか違うと違和感を感じて、今いる場所を飛び立とうとしたあの時。
それから2年がたって、私は私の中に揺るぎないものを手に入れたような気はします。それを時間軸と、たぶん呼べると思います。
けれどその時間軸を、私は見つけたわけではありません。それは自分の中に形成するものであって、どこかから持ってくるものではないから。
今の私の時間軸は、私が外の世界に触れ合ううちに見たものや聞いたものの摩擦で作り出したものです。摩擦や不協和音に目をやり耳をすまし、異なる文化を受け入れたり緩やかに拒否したりしながら、その結果結晶として残った何か。それが私にとっての「時間軸」です。



私はこれからも、私の「時間軸」で生きるのでしょう。周りとの摩擦の中で、それに負けない自分自身のための絶対的な基準としてそれを持っていくのでしょう。そして、その「時間軸」は摩擦を繰り返す中で、私の人生の中で緩やかにしなやかに形を変えながら存在していくのでしょう。
私は、生きていくうちに出会うであろう、異なるたくさんの「時間軸」と触れ合うこともがとても楽しみです。それから、それを通して変化していくであろう自分の「時間軸」も。
それが、私の「時間軸」にとっての生きるということです。

非定型うつ病な日

非定型うつ病という言葉をご存知でしょうか。私は今日初めて知りました。

医療法人和楽会のウェブサイトによると、過食や過眠、「気分の反応性」が症状として挙げられています。
私は、2年前を思い出して、ゾッとしています。

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2年前の私、休学する前の私、体重が今より13キロも多いです。理由は過食です。

学校が終わって、バイトが始まる前にドラックストアに行って、袋一杯のお菓子や菓子パンを買ってきて、ひたすら食べました。ドラックストアって安いから、千円ちょっとでかなりの量を買えました。それを一人で黙々と食べて、バイトが終わったら賄いもたくさん食べました。
太った自分は大嫌いでした。痩せていると言われていた高校時代までの自分がとても遠く感じました。だから何度かダイエットもやってみたけど、すぐリバウンドしました。痩せられない自分がますます嫌いになりました。



そしてあの頃の私は、とにかく太っていて、そしてひたすら眠かったです。あれを過眠と言わずしてどういうのだというほどの睡眠時間。

眠っても眠ってもまだ眠くて、朝やっと起きて学校に行って授業中ずっと寝ていて、あんなに寝つきが悪かったのに10分の休み時間にも寝て、次の授業でも寝て、バイトに行く前に寝て、バイトから戻ってきた後も寝て、次の朝になる。
数えたら14時間も寝ているのにまだ眠い。そんな日々を送っていました。



バイトは好きだったからバイト先では本当に明るかったのに、でも大学では本当に暗くて重苦しい気分を味わっていました。他のうつ病とは異なる特徴、気分の変応性。

大学が嫌いでした。それ以上に、積極的でなくてゼミの同期に役立たずだと思われているだろう自分は見たくもありませんでした。 大学では、全然いたくない場所だから積極的になれるはずなんてなく、無気力で最低限のことだけをこなすことに精一杯でした。
バイト先では明るいから、悩んでいると言っても信じてもらえなかったし辛いと言っても幸せそうに見えると言われるし、うつ気味だと言ってもうつってもっと重いものだと言われていました。
自分がどこか変だと自覚しているのに、それでも笑える時もあるし幸せだと思える瞬間もあるから、何でもないのに自分が立ち止まり続けているんじゃないかと苦しんでいました。



自分は過食症じゃないかと思ったり、でも吐かないからそれは違うし、やっぱり自分に甘いだけなんじゃないかと悩んでいました。私は休学してストレスがなくなって自然に元通りになれたけれど、それでもまたあの時に戻ってしまうんじゃないかという恐怖に常に怯えています。

食べ物を食べてしまう自分が怖くてたまりません。際限なく食べ尽くしてしまいそうな自分が怖い。他人の視線が怖い。無能と思われることが怖い。ドラッグストアは次々と買い込んだ自分が現れそうで怖い。

非定型うつ病という言葉を知らずに悩んでいる、2年前の私のような人がきっとたくさんいる。こんな雨の日は、ますます怖くなるんです。