ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

料理長のこと

時刻は4時半でした。時間はもう朝と言って良くて、でもまだ真っ暗な時刻。息だけが白くて、寒くて。扉を閉めた料理長を振り返ると、煙草の火だけが動いているように見えました。
料理長と呼んでいる、私の店の店長について書いてみようと思います。



料理長は、私がバイトしている地元では大きい居酒屋の事業部長兼総料理長、私が働いている店の店長も兼任しています。つまりめっちゃ偉い人。社長と専務の次に偉いのでトップ3になります。
それは重々承知の上で働いているわけですけど、そんな感じの全然しない人で、自分のするべきことをきちんとしていたら役職が付いてきたという感じの人です。何か疑問に思うことがあって尋ねたら「俺も分からん」ってすぐ言います。でもすぐ他の人に電話して聞いてくれます。「俺はホールのことは知らんよ」っていつも言います。でも動き回っている私たちの様子から的確にホールの状況を把握しています。些細なことを報告するとうるさそうに興味なさそうにしています。でも小さな報告も覚えていてこちらがびっくりすることも多いです。



「お前がいないとこの店は回らん」
その言葉は料理長の本音だと思うけれど、ただ私が長時間働けるだけ、他の新人より出来ることが多いだけだということも分かっています。でもちょっと気恥ずかしかったから、
「またそんなこと言って、騙されませんよー。ミスばっかりだから、辞めろって言われるかもしれないのに」
って新人の女の子の前で混ぜっ返したら、
「何言ってんだ、ばか」
って怒られました。



忙しい時に業務用の携帯電話が鳴ると、舌打ちしています。その電話が出る前に切れるとさらに怒っています。
「コンピュータは使えない」と言って、私に業務連絡や新メニューを打たせます。
2時の閉店時間を過ぎて、事務所で作業をしていると思わぬ本音を聞けることもあります。
他の子には言わないくせに、私には休み取るなとか皿を洗えとか、言いやすいからって甘えてるなと思う時もあります。
でも、足りない時間の中でまかないをきちんと作ってくれます。



2年休んでまた復帰した今、昔は分からなかったことが分かるようになってきました。料理長の凄さとか。
本人に直接なんてとても言えないけど、料理長を尊敬しています。この人の下で働こうって、この人のためにクレームを出さないように頑張ろうって思えます。
今日のシフトもスタートからラストまで。でも料理長と一緒なら、私は今日もこなしてみせます。

理系男子のご報告

今日のゼミで例のHくん――私がちょっと気になっている男の子――と会いました。というか一緒に会議してたみたいな。……いや正直に言いましょう。会議してるなう。その場で聞いてるだけでnote書いてる私。この時点で普通に彼にも嫌われそうw

それはまぁ置いといて、たぶん置いといちゃいけないんですけど置いといて、Hくんの声すごい良いです。落ち着く。低すぎず高すぎず。
声を聞きたいから喋りたいと思うレベル。羨ましい。



しかもやっぱりHくん頭良いです。他人の発表に対する質問が頭良い。
質問ってその人のレベルというか、頭の良さみたいなものが如実に出るものだと思ってるんですけど、切れ味すごいです。質問された方のえぐられ方がハンパない。
だって、理解していないと質問なんて出来ないじゃないですか。何も知らずに質問なんて出来ないから、質問出来るって頭良すぎか、って思いながらチラ見しています。
私の方が2つ年上なんだから、もうちょい私も頑張らねば。



でもね、何が気になるかって、Hくんの顔色が白い。1ヶ月前くらいにHくん鬱気味って聞いているし、私も鬱だった時には顔色がすごく悪かったらしいから、純粋に心配。
声掛けたいけど、自分も鬱でしたアピールって思われないかとか余計なお世話ってうざがられないかとか無駄なこと考えています。でも顔白いの。大丈夫かな。



しかし我ながら、恋の仕方が分かりません。恋の落とし穴探してます。
Hくんが好きな人になるかもっていう実感もないですし。ただそばにいるからでしょって言われたら言い返せない。声の良さは主張出来るけど。
とにかく書いてみたくて、Hくんのことを書いてみました。理系男子良いですね。

募集中です

ちゅるゆーか23歳、彼氏が欲しいです。



彼氏が欲しいなんてことを考えているのは人生で初めてで、私は自分自身の考えに驚いています。
ずっと余裕がなくて、自分自身のことだけに精一杯で、だから恋なんて彼氏なんてそんな余裕ないと思ってきたのです。でもなんだか、そんなことじゃなくて、誰かの存在が欲しくなりました。それは友達じゃなくて家族でもなくて、何なんだろうと考えてみたら恋人っていう存在かなって思ったんです。



ちょっと気になる人ならいます。

ゼミで(私が休学して2学年下がったために)同じ学年になったHくん。私たちの学部は社会学系の学部なんですけど、彼はちょっと珍しく理系で、文系しか出来ない私とは全然考え方や感じ方が違って、そういうところがすごく面白くて頭いいなって純粋に尊敬できて、彼の考えていることをもっと知りたいって思います。もし付き合おうって言われたら喜んで!って二つ返事で言う。そんなレベルでは気になっています。
好きかって言われたら、まだちょっと違いますけど。



彼氏、いたことありません。年齢=彼氏いない歴とか全然自分では気にしてません。恋愛なんてずっと興味なかったし、中学校以来好きな人すらいなかったんです。
その中学校以来、自分の中の恋愛する器官が死んだんじゃないかってくらいそんなベクトルに心を動かさずに生きてきました。本当のところを言えば、今でもそれは疑っています。でも、それを生き返らせたくなってきました。


あー、S先生がせめて10歳若かったら10歳差だからまだ私の恋愛対象内で安心して恋愛的な意味でも好きになれたのになー。まぁ大学教員と学生なんてご法度だから彼氏とかいう意味では意味ないけどな!!(笑い事にしかできない)



とりあえず、出会いの場の決定的な不足に抗おうと思います。まずは誰かを好きになれればいいな。でもあれですよね、好きな人から恋人にステップアップさせるには告白とかしないといけないんですよね面倒くさいな。……とか言ってる時点でダメな気しかしませんが。3月までのToDoリストに「彼氏をつくる」って書いてみましたけど、実現可能性が我ながら低すぎて、のっけから及び腰です。経験もないですしね。

私より年上で長髪とか奇抜な髪型とかではなくて、眉毛いじってなくて、気の強い女大丈夫だよ!っていう男性がいらっしゃいましたらご紹介ください………… リアルでは紹介してくれなんて言えないんですけど。

「時間軸」で生きる

カザフスタンで出会った人とLINEをしていて、その人がこんなメッセージを送ってきました。
「同じ時間軸を生きてると思えない。砂漠に生きてる人も、大都会に生きる人もみんな同じ24時間だけど、時間軸絶対違う。」



これを読んだ時、時間軸って皆一緒じゃないかと思ったけれど、でもこのメッセージがなぜか気になって読み返すうちに、「時間軸」という言葉がものすごく意味のあるように思えてきたのです。
時間軸って、きっと時間に対する考え方だけじゃない、もっと毎日の過ごし方とか生き方とかに関係するものなんじゃないかと思えるようになったのです。
「時間軸」って、何なのでしょうか。

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時間軸。
私はそれは、個人個人の中にある時間に対する捉え方や時間の過ごし方に対する基準のように思えます。誰にも作り変えることの出来ない、自分の中に通った自分自身に対する絶対的な基準。
それが、あの人の言った「時間軸」ではないだろうかと思うのです。
生きていれば、いえ生きていくために、自分自身の基準というものは絶対に必要になってくるものだと思います。だから、きっと皆の中に一つだけある。それが「時間軸」なのではないでしょうか。



日本がどこか狭く感じて、旅に出たあの時。私は自分の時間軸を完成させるために旅に出たような気がするのです。何かか違うと違和感を感じて、今いる場所を飛び立とうとしたあの時。
それから2年がたって、私は私の中に揺るぎないものを手に入れたような気はします。それを時間軸と、たぶん呼べると思います。
けれどその時間軸を、私は見つけたわけではありません。それは自分の中に形成するものであって、どこかから持ってくるものではないから。
今の私の時間軸は、私が外の世界に触れ合ううちに見たものや聞いたものの摩擦で作り出したものです。摩擦や不協和音に目をやり耳をすまし、異なる文化を受け入れたり緩やかに拒否したりしながら、その結果結晶として残った何か。それが私にとっての「時間軸」です。



私はこれからも、私の「時間軸」で生きるのでしょう。周りとの摩擦の中で、それに負けない自分自身のための絶対的な基準としてそれを持っていくのでしょう。そして、その「時間軸」は摩擦を繰り返す中で、私の人生の中で緩やかにしなやかに形を変えながら存在していくのでしょう。
私は、生きていくうちに出会うであろう、異なるたくさんの「時間軸」と触れ合うこともがとても楽しみです。それから、それを通して変化していくであろう自分の「時間軸」も。
それが、私の「時間軸」にとっての生きるということです。

非定型うつ病な日

非定型うつ病という言葉をご存知でしょうか。私は今日初めて知りました。

医療法人和楽会のウェブサイトによると、過食や過眠、「気分の反応性」が症状として挙げられています。
私は、2年前を思い出して、ゾッとしています。

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2年前の私、休学する前の私、体重が今より13キロも多いです。理由は過食です。

学校が終わって、バイトが始まる前にドラックストアに行って、袋一杯のお菓子や菓子パンを買ってきて、ひたすら食べました。ドラックストアって安いから、千円ちょっとでかなりの量を買えました。それを一人で黙々と食べて、バイトが終わったら賄いもたくさん食べました。
太った自分は大嫌いでした。痩せていると言われていた高校時代までの自分がとても遠く感じました。だから何度かダイエットもやってみたけど、すぐリバウンドしました。痩せられない自分がますます嫌いになりました。



そしてあの頃の私は、とにかく太っていて、そしてひたすら眠かったです。あれを過眠と言わずしてどういうのだというほどの睡眠時間。

眠っても眠ってもまだ眠くて、朝やっと起きて学校に行って授業中ずっと寝ていて、あんなに寝つきが悪かったのに10分の休み時間にも寝て、次の授業でも寝て、バイトに行く前に寝て、バイトから戻ってきた後も寝て、次の朝になる。
数えたら14時間も寝ているのにまだ眠い。そんな日々を送っていました。



バイトは好きだったからバイト先では本当に明るかったのに、でも大学では本当に暗くて重苦しい気分を味わっていました。他のうつ病とは異なる特徴、気分の変応性。

大学が嫌いでした。それ以上に、積極的でなくてゼミの同期に役立たずだと思われているだろう自分は見たくもありませんでした。 大学では、全然いたくない場所だから積極的になれるはずなんてなく、無気力で最低限のことだけをこなすことに精一杯でした。
バイト先では明るいから、悩んでいると言っても信じてもらえなかったし辛いと言っても幸せそうに見えると言われるし、うつ気味だと言ってもうつってもっと重いものだと言われていました。
自分がどこか変だと自覚しているのに、それでも笑える時もあるし幸せだと思える瞬間もあるから、何でもないのに自分が立ち止まり続けているんじゃないかと苦しんでいました。



自分は過食症じゃないかと思ったり、でも吐かないからそれは違うし、やっぱり自分に甘いだけなんじゃないかと悩んでいました。私は休学してストレスがなくなって自然に元通りになれたけれど、それでもまたあの時に戻ってしまうんじゃないかという恐怖に常に怯えています。

食べ物を食べてしまう自分が怖くてたまりません。際限なく食べ尽くしてしまいそうな自分が怖い。他人の視線が怖い。無能と思われることが怖い。ドラッグストアは次々と買い込んだ自分が現れそうで怖い。

非定型うつ病という言葉を知らずに悩んでいる、2年前の私のような人がきっとたくさんいる。こんな雨の日は、ますます怖くなるんです。

幸せな休学後

今とても幸せです。
木曜日は大学の授業がなくて、今日は天気が良いから布団を干して、日当たりの良い窓辺でご飯を食べて、窓を開けていると外から金木犀の香りが漂ってくるんです。時々近所の人の物音が聞こえてきて、平和だなって思います。

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大学を2年休学しようかなって思った時、友達がいなくなるなって思いました。帰ってきたら授業を一人で受けないといけなくて、ゼミも見知った人がいなくなって、友達も就職していて、楽しくなくなるんじゃないかって思いました。2年前の手帳には、そういうことが書いてありました。でも何もかも、大学って場所に嫌気がさして、2年後の自分に全てを押し付けて、後ろを見ないようにして飛び出しました。
帰ってくるって決めた時、知っている人のいない生活も楽しそうだなって思いました。旅から旅へと暮らすのも悪くないけれど、きちんと勉強してバイトと両立させて、地に足をつけたような生活を送ってみたいって思いました。
そして今、授業を一人で受けて夜は一人で家で過ごして、それを幸せだと感じる自分と出会って、私はそれがすごく嬉しいです。



今、学校には友達がいません。授業は一人で受けています。でも、休学する前よりも授業が楽しいです。それに、休学してるから友達がいないのは当然と受け止めているからか、寂しくなんかありません。
学校の外には、おかえりって言ってくれる人がたくさんいました。だから、私は学校では一人かもしれないけれど、孤独感なんて感じません。大学の人間関係だけが全てじゃないって、ちゃんと分かってるんです。
時々、大学が窮屈に思えたら、先生のことを考えるようにしています。復学した時に挨拶に行ったら、嬉しそうにしてくれたS先生。困ったことがあったら何でも協力しますと言ってくれた先生が、同じ建物にいると考えると救われる気がします。



2年前の自分を思い出すのも嫌でした。
でも、あの時の自分のお陰で気付いたこともたくさんあるし、あの頃の自分が繋いでくれた出会いもたくさんあって、今では感謝したいと思います。
誰に否定されてもいい、私は私の2年間と、これから卒業するまでの1年半を愛したいです。

私なんてくそくらえ

中国では、Google検索が出来ません。インターネットは検閲されています。駅に入る時には荷物検査があります。あちこちに監視カメラがあります。
中国には、自由な言論がありません。



ところで、炎上って怖いと思いますか。
私は、ちょっと怖いです。有象無象の人たちの中に言葉をナイフにして切り込んでくる人がいるんじゃないかと怖いです。
注目を集めるということは同じだけの批判も集めるということで、それに晒されるだけの覚悟が私にはありません。


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中国にいて、日本には言論の自由があるんだと思えました。
日本には言論の自由があって、言いたいことも言えて書きたいことも書けて、それなのに、どうして私は、誰に遠慮してためらいがちに書いているのでしょうか。
私には中国のことはよく分からないから、批判をしようとは思いません。
でも、自由な場所にいる癖に不自由ぶる私のことは、痛烈に批判しようと思います。炎上も批判も、ブラウザを閉じてしまえば私を直接傷つけることなどないのに、私は何を怖がっているのでしょうか。
自由があるのに、書きたいことも書こうとしない私を、嫌悪しようと思います。誰かに何かを遠慮して、私は何を書いた気になっているのでしょうか。
自由に、思うがままを綴るために、本名ではなくちゅるゆーかとして、顔も住所も隠してネット上にいるのではないのかと、自分を叱咤しようと思います。



最近、「くそくらえ節」という歌を知りました。岡林信康氏の史上最強の放送禁止歌
最初に聞いた時に、衝撃をおぼえました。こんなことを歌ってもいいんだと感動しました。
それと同時に、氏の勇気が眩しく思えたのです。この歌を歌うのって相当勇気が要っただろうし、怖くなくても、賞賛と同じだけの相当な批判も集まっただろうと思ったんです。
「くそくらえ節」が発表された時よりもインターネットが発展して、言いたいこともより言いやすくなった筈なのに、私は彼の勇気が、まだ眩しく思えるだけです。



自由な場所にいて、その自由すら謳歌しようとしない私が私は嫌いです。
常に捨て身で、自分で自分を傷つけて言いたいことを言えたらと願います。
この文章はきっと中国の検閲には引っ掛かってしまうから、中国を出てからネット上に載せます。その時には、少しは自分のことを好きになれるように、文章を書いてみたいと思います。

S先生へ〜再会という名の2通目

一つだけ残ったトルコのお土産をS先生に渡そうと思ったのは気まぐれだったかもしれないけれど、思いついてみるととても素敵なものに思えて、それからずっと先生のことを考えていました。

箱のまま持っていくわけにはいかないよなぁと考えてこの間買った洋服の入っていたちょっとおしゃれな紙袋に入れて、それから朝まですごく緊張していました。

最初は私の授業が終わってから、昼休みに先生の部屋を訪ねて行こうと思っていたけれど退室のタイミングが掴めなさそうで、2限の前に訪ねようかと思ったけれど2限に先生に授業が入ってることに気付いて直前で止めて、結局先生の授業終わりに教室に行って渡すことにしました。



S先生ーと私らしく語尾を伸ばして呼び掛けたら、弾かれたようにはいと顔を上げた先生に思わず笑ってしまって、その私に気付いた先生が見る間に笑顔になってくれたのが嬉しかったです。
先生は私の記憶よりも少し瘦せていて、私は思ったようにダイエット出来なかったからちょっと恥ずかしくなりました。でも、きっとこの直前にしていた講義ではこの笑顔は出さなかったんだろうと思ったら、気持ちが弾みました。

「困ったことがあったら言ってきなさい」と言われたけれど、たぶんそんなことはなくて、それだけどそう言ってくれる人がいるというだけで心がじんわりとなるのが分かります。



先生に会う前はドキドキして緊張します。尊敬する人に好かれている幸せが私を捕らえているのだろうと思います。
尊敬する人に接するのは昔からとても苦手で、逆に避けてしまったり妙に上がってしまったり。でもそれだともう距離を詰めるなんて出来ないから、先生に対しては頑張って緊張しないように遠ざけないようにしたいと思えている、それも成長かもしれません。



……とここまで書いて良い一日だったと思い返して、寝ようと布団に入ってスマホを確認したらメールが来ていて、ゼミ用のメールだったから普通にゼミの連絡かと思って何気なく開いてみたらS先生からでびっくりしました。
前に交換したメールよりもずっと砕けた口調だったこと、前に送ったメールのアドレスじゃなかったからおそらく署名の部分を見てアドレスを打ち込んだんだろうということ、そんな些細なことにも緊張してしまう私じゃまだまだだと思います。
用件は「御礼」ということだったけれど、「喜んで協力します」とまた書いてあったから、たぶん社交辞令じゃなかったということを強調したかったのかなと思いました。返信を考えるのにものすごく時間を掛けてしまって、余計なお心遣いは私には無用ですよと思いながらも、でも生真面目に御礼メールを送ってくる先生は良い人だなぁと思うのです。



先生に好かれるほど私は頭が良くないと思うし、先生に目をかけられるほど私は能力がないと思うけれど、先生に好いてもらえる私なら私は好きになれます。だから「これからもよろしくお願いします」でメールを締めくくったんです。

まだ

別に忘れているわけではないんです。このブログの存在を。
ただ書くほどのこともないというか、書く気がないというか。

でもこのブログがあることが、私の中で何か支えになっていることは事実です。
帰ってくる場所がある、書ける場所がある、ただそれだけのことが、支えになっていることは確かなんです。


まだ、旅の途中。

あなたは優しいですか

高校一年の時の国語の授業で、先生が言ったのです。

「私たちは、自分に得のあることを進んでする訳です。例えば、隣の人の消しゴムが落ちた時に拾ってあげるのは、その人と良い関係を築いておきたいからです。
もし、普段から意地悪をしてきたりお礼も言わないような人だったら、親切にしないということもできるんですよね」



この先生の例え話を、上海で思い出しました。
中国人は無愛想だとネットで読みました。確かに、店員はにこりともしないです。
でも、笑顔を向けられるのと優しくされるのは全く違うことです。


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バスでも地下鉄でも、誰もが率先してお年寄りや子供連れに席を譲ります。でも、黙って真顔のまま、席を立つだけです。
道を尋ねても、ただ方向を指差されるだけのこともあります。笑顔で気を付けて、なんて言われません。
そこに優しさがないなんて思いません。笑顔になる理由がないから笑顔にならないだけです。



笑顔でいても心の中では泣いていることがあるように、無表情でも心の中は慈愛で溢れていることがあっても良いと思います。
私は笑顔に慣れすぎて、笑顔でなければ人は親切にしてくれないと思っていました。無意味に笑顔を振りまいて、他人の親切を受けようとしていました。私は笑顔に慣れすぎて、他人が笑顔であってもそれが普通だと思っていました。無表情だと怖いと感じて、笑顔で接してくれて当たり前だと思ってしまっていました。



笑顔でなくても、人は道を教えてくれるし荷物を乗せるのを手伝ってくれます。
笑顔でなくても、店員は物を売ってくれるし料理を運んでくれます。
笑顔でなくても、言葉が解らないのを察して身振り手振りで教えてくれます。

笑顔でなくても、それを咎められることなんてありません。私は私が笑いたい時だけ笑えばそれで良いと言われているようで、だから、中国にいるのはすごく楽です。

楽しくないのに、嬉しくないのに笑顔を振りまかなければならないなんて、何てストレスフルなことをしていたんだろうと、日本を思います。そんなストレスフルなことを無意識ながら、他人に強いていた自分を思います。



自分にも他人にも優しくありたいと、そう願ってきました。
もしかしたら中国人は、初めからその方法を知っているのかもしれません。