ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

中島みゆき Concert「一会」2015〜2016 劇場版

必ず死ななければならないのなら、いっそ今死にたい。
見終わって余韻に浸りながら、そう思ってしまう映画でした。



ファン以外は見ないであろうこの劇場版のコンサートを、私は「中島みゆき」という存在の作り出す世界に入り込んで見ていました。
見ていたというよりも、「中島みゆき」と向き合っていました。あの人と二人の世界に、私はいました。



中島みゆきを「」で括ったのは、音楽プロデューサーの瀬尾一三さんが、この映画の公開記念トークショーで「彼女の創作方法は皆目知りませんし、知りたくもないです。」と仰っていたからです。
この発言は本当にその通りで、私もそうです。知りたくないものが多いです。あの人が「中島みゆき」として完成されている存在にしか私は惹かれません。

作られていても虚構でも幻でも構わない。私はプライベートの64歳の中島美雪さんには興味がありません。ウィッグを付けて化粧をして、ものすごいオーラを纏って表現の限りを尽くして歌う「中島みゆき」。そんな存在が私は好きです。



こういう考え方は、酷なことかもしれません。私は「中島みゆき」の完璧を求めているから。
けれど、もし中島美雪さんが「『中島みゆき』を演じることを辞めたい」と言ったなら、私は心からお礼を言って祝福します。「中島みゆき」という存在をこの世に作り出してくれてありがとうございました。それだけで十分過ぎるほどです。そう言って笑顔を見せたいです。



そういう意味で、この映画の中で「中島みゆき」は完璧でした。

オーラを纏い、演じるように歌う、あの人は完璧でした。優しく言い聞かせるような歌い方から最後の部分だけドスを効かせて問い掛けられた時、ぞっとしました。『阿壇の木の下で』の途中で「中島みゆき」が舞台の中央で女神に見えた時、ハッとしました。『流星』を歌う演技力にうっとりしました。
最近のアルバムは聞いていないから、知らない曲も多かったのですが初めて聞く曲にも容易に入り込めました。
声も本当によく伸びていて、掠れもしなければ伸ばしが足りないこともありませんでした。伸びて伸びて艷やかで表情豊かで、まるで芝居を見ているかのような表現力のある声。完璧でした。



中島みゆき」がマスメディアに姿を現す度に、ファンであることを誇りに思います。この魅力を知っているかと自慢してまわりたくなります。
生きていて良かったです。
そう思えるものに出逢えただけで、私は仕合わせです。