ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

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出会わなければよかった人などないと笑います。

裏切りの準備

私は、他人を心の底から信頼することが出来ません。家族でも同様なことを悲しく思います。
いつからこんな風になってしまったのか、小学生の頃は逆に、全ての人を信じられると思っていました。クラスメイトだというだけで助け合うべきだと思っていたし、身の回りにいる大人を疑うなんてとんでもないことでした。



でも今、私は他人を心から信頼することが出来ません。心からというのは、信頼にも私の中にはレベルがあって、心からでなくある程度までは信頼出来る人もいるからです。

信じられない、少し信じられる、まあまあ信じられる、大分信じられる、とざっくり言うとこんな風に私の中では他人が分けられています。
きっと皆、心の中ではどの程度の仲かどこまでの友達かとお互いを図っているものだと思います。それと全く一緒です。

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「権力」というものを持っている人は、疑ってかかってしまいます。それは、身近な所では学校の先生たちや、少し離れると、子どもなりに社会の様子を伺うことで形成されたものです。

理解を示そうとする人ほど、私は警戒してしまいます。

成績が下がっても構わないと言いながら実際に下がると激怒した父親、正解はないから意見を自由に言うようにと促しながら、教師用の指導用教科書に載っていない答えを言うと黙ってしまった先生、ゆーかは頑張り屋だよねと笑顔を見せる一方で可愛げが無いと囁いた先輩、誰かに相談してくださいと薄っぺらい文字の並ぶ文部科学省からのプリント、言ってくれれば良かったのにと顔をしかめる同級生。



信頼してしまうと、それが裏切られた時に傷付いてしまうから、傷付きたくないから、なるべく傷が浅くなるように予防線を張っているのです。


だって、私は裏切られてきたから。



小学生の頃、鈍感と周りから言われてしまう今よりも更に鈍感で、他人の悪意にすら気付けない子どもでした。それは結果的にあの頃の私を守ってくれたのだと思いますが、その反動か、中学に上がってから他人は信用出来ないと徹底的に疑うようになってしまいました。

自分でも悲しく思います。それでも、今の今までそれは私を守ってくれています。心の傷は、深くいかずに食い止められています。



私は、でも、他人を信じてみたいなと思っています。
今の私にはそれはどうしても無理だとも思います。

けれど、いつか信頼出来る相手が現れた時に、笑える自分でいたいです。そう出来るにはどうしたらいいのか。全く分からないけれど、とにかく、他人を疑ってしまいながらも信頼したいという思いだけでも抱いていたいです。