先日、なかなか泣けないという話で小学校以来泣いていないと書いたのですが、そういえば、中学生の時に文章を読んで泣いたことがあったと思い出しました。
後にも先にも、文章を読んで泣いたのはあれっきりです。
中学3年生の時、まだ卒業を意識していない頃に原稿用紙を配られ、文章を書かされました。書かされましたという表現も何ですが、別に書きたくもなかったし読みたくもなかったのです。
卒業を目前に控え文章を書いたことも忘れた頃に、学年全員分をまとめた薄い冊子が配られました。美術の時間に書いた、学年の誰かの自画像版画が表紙だったことも覚えています。
学校から帰って、誰もいない家の中でその冊子を読みました。
薄いページの間は、部活での同学年の絆に感謝していることや中学でどの行事が思い出深かったか、修学旅行で忘れられないことや先生への感謝、進路への思いなどに溢れていました。それらを最初から読み進めていた私は、同じクラスの男の子が書いた文章から目が離せなくなりました。
「私にとっての思い出は、この中学校で過ごした全てです」
「今この時は、今しかありません。
けれど、もし戻れるなら、同じ場所で、同じ時間を、同じ人と」
ぼんやりとした記憶なので、だいたいしか合っていないと思いますが。
(引用しようと思って探したのですが、見つからなかったです。また見つかったらこっそり書き直しておこうと思います)
あの時、なぜだか泣けて泣けて。
中学校をとうとう卒業してしまうこと。仲の良い友達と離れ離れになること。高校生活が不安なこと。好きな人と離れ離れになること。その人に気持ちを伝えられないまま卒業すること。心に積み重なった全て、忘れなくていいのだと言われた気がしました。
たくさんの嫌なことがあった中学時代でした。それでも、「同じ人と」という言葉が憎いと思いました。同じ人と過ごしたい、幸せだった時間が浮かびました。そこを我が侭に贅沢に駆けた自分が見えました。そして、そんな私を許してくれるような、やさしい文章でした。
文章を読んで泣いたことはあの一回きり。あの時の私が、一番欲しい言葉が凝縮された文章だったので泣けたのだと思います。
ありがとう。読み終わったあと、そう呟いた気がします。けれど、ついぞ本人には直接言えなかったのが心残りです。
これを読んで、自分の文章だ……ってなったKくんは連絡をください。ご飯行きましょう。この時のお礼として奢らせてください。あの頃あなたが好きだった(と思われる)Uも誘うから。
名前でだいたい私が誰かは分かるんじゃないかな。当時の思い出でも語りましょう。