ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

これが私

中学生の時、冬の間だけタイツを着用することが認められていました。でも、私は一度も、タイツを履いていったことがありませんでした。
タイツはちゅるらしくないよね、と周りに言われていたからです。



私は後悔しています。

私だって、タイツを履いて行きたかった。だったら、周りに何と言われたって履いて行けば良かったのです。私は縛られていました。らしくない、という言葉に。


f:id:tyuruyuuka:20160301094906j:plain


今の私は、〜らしい・〜らしくない、という言葉が大嫌いです。そんな言葉で縛りつけられたくありません。

高校生らしいとか大学生らしいとか、女らしいとか男らしいとか、どうして決められなければならないの?って思います。枠線を引かれてしまうじゃないですか。そこを越えるのは正しくないと、無言の圧力を掛けてくる言葉ですよ。

はっきり言ってしまえば、私が私らしくないと分かるなんて、私の何を知っているの?と思ってしまいます。人は多面的なのだから、知っている一面がその人の全部だとは限らないじゃないですか。その意味で、自分らしい・自分らしくないという言葉にも同じように違和感は感じますが。



自分がどう在りたいか、どう在るべきかはその時の自分で決めたいです。委ねることもあるかもしれないですが、決めつけられたくはないです。

だから私は、〜らしいとか〜らしくないなんて大嫌いです。でも、一番腹が立つのは、そんな言葉に縛られて見動きがとれなかった自分自身です。



結局私は高校2年になるまで、らしくない、という言葉に縛られてタイツを履くことが出来ませんでした。高校ではそんなことを言う人はいなかったにも関わらず、です。


もっと、自分で自分を認めてあげればよかった。どんな自分でも自分だと、胸を張って主張すればよかったです。



高校・大学と進学する時に、出来るだけ知り合いがいない場所を選択してきたのは、私を縛りつける言葉たちを振り払うためでもあったと思い至ります。知り合いのいない場所で、付き纏う言葉のない場所で、自分を表現したかった思いが私を追い立てていた気がします。



自分らしく、とも私は言いません。いつだってどんな私だって私です。自分の可能性が少しでもあるなら、縛らずにおきたい。

だから、これが私なんですよといつでも笑っていたいです。
そして、どんなあなたでもあなただと、どんなときも誰かを抱きしめられる私でいたいです。