ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

神様、神様

神様は、いてもいなくてもいいと思っています。
と、宗教勧誘の人に言ったら絶句されたことがあります。


存在すると思っている訳でもなく、存在しないと思っている訳でもなく、もしどちらかの確証が得られたらそちらを信じるというか。
その存在を意識している時と意識していない時があるというか。
やっぱり信じていないのでしょうか。でも、目に見えないものは信じていますし。
今のところ、私の生活は、神様が存在してもしなくても変わらないものなんですよね。


中学生だった時にある大好きな有名人の名前で検索していた際、Googleに提示された候補にある宗教の文字を見つけまして。(Googleさんの候補表示って無慈悲ですよね)
その後散々ネットで調べまくり。どうやら本当らしいという結論に至り。
当時は、めちゃくちゃショックで、しばらくファンやめるかくらいの勢いで落ち込みました。
規模は大きいらしいんですけど、その宗教はいわゆる新興宗教と言われる宗教です。


でも、ふと気付いたんです。
私は、この人がこの宗教を信仰しているからという理由で好きになったんじゃない。私はこの人自身や作るものが好きで好きになったんだ、この人の信仰なんて関係ない、って。
そう思ったら楽になって。


今の私は他人の宗教に口を出す気は一切ありません。どんな宗教だろうが自由に信仰してくださいと思ってます。
そりゃテロを起こすことはいけないことだけれども、責められるべきはテロを起こしたことや起こすに至ったその解釈であって、宗教を信仰していたことではないと思います。その宗教が犯罪を教唆していない限り。教唆していた場合は宗教ではなく犯罪だと思いますが。
信仰している宗教で人間は計れないと思うし、この宗教を信仰しているから嫌な奴だなんていう考え方はすごくナンセンスで感じ悪い。
宗教はその人のアイデンティティだと思うので、それを安易に否定するのは人格否定や他人の自由を奪うことにも繋がるのではないかとも感じますし。


それに、私は信心というものを実は羨ましく思っているのだと思います。
私は何かを深く信じるということが今は出来ません。結局は全てなくなるものだと諦めの気持ちが強くて、実際のところ自分すら信用していません。
だから、時間やお金を惜しみなく宗教のために使える人たちに対して、尊敬と羨ましさの念を持って見るしかなくて。


そういえば、高校の時の夏休みの宿題で日本の宗教について調べたことがありました。
コピペして体裁を整えただけの簡単なやつだったなぁ。。なんて、思い出しながらの文章でした。