ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

ミシシッピー・バーニング(1988年)

一限目の授業から衝撃を受ける映画を見て、一日中ボーッとしていた。
映画のタイトルは、『ミシシッピー・バーニング』。


スリルは怖い。暴力は嫌い。殺しはもっと嫌いだ。
だから、サスペンスもミステリーもお化け屋敷やジェットコースターも大嫌い。
だけれども、この映画『ミシシッピー・バーニング』はそれらが満載。
けれど、目をそらしちゃいけないと思った。全部見なければと思った。
拳銃を撃つシーンも、首吊りのシーンも、家が燃えるシーンも、殴られ蹴られるシーンも全て見た。
正直、吐き気がしそうだった。目をそらして耳を覆って、スマホをいじって日常を感じたかった。
それでもきちんと見たのは、昔というほど昔ではない時代に、人種差別が確かに存在したという事実から目をそらすことになると思ったからだ。


授業を受けていたのはいつもの半分ぐらいだったように思う。
前回からこの映画を見ていたから、皆暴力的な映画を見るだけの授業など避けたのだろう。



《あらすじ》~Wikipediaより引用
時は公民権法制定前の1964年。
ミシシッピ州フィラデルフィアで3人の公民権活動家が行方不明となる。それを調査するために、ベテランFBI捜査官2人(ウォードとアンダーソン)が公民権運動家の失踪した田舎町に捜査に行く。ところが、その町では人種差別が公然と行われており、さらに事件の捜査を開始した二人に対し町のKKKや保安官等が捜査の妨害を図ろうとする。しかし、2人は失踪した3人の行方を究明しようと試みるのと同時に、人種差別主義者も追いつめていく。



怖かった。次々と殴られ、殺される黒人たちと燃やされる家。
それよりも怖かった。こんなことが本当にあったのだという史実が。
そして未だに人種差別は根強く残っているということが今の私にはとてつもない恐怖だ。
日本だって、日本人以外を嫌う風潮が強くなってきている。それが差別でないとは言わせない。
ただ、KKKは、映画の中で黒色人種も黄色人種も認めないと言っていたけどな。
私は、いつかこんな世の中が変わると信じているけれど、人は簡単には変わらないということもまた信じている。
結局、人間は自分が差別される立場に立ってみて初めて、平等とは何かということについて考え始めるのだろう。
「本当の敵は貧乏だった」
法の下の平等とは何だ!」
その叫びが今も離れない。


映画としては面白かった。
周りの人皆に見てみて欲しいと思う。ぜひ。
映画は史実とは異なり、FBIは関与していなかったそうだ。
【こちらも参考に。http://www.fujinaga.org/blog/bt/2005/01/post_77.html


怖かったけど、今は怒りの方が大きい。
こんな世界であってはいけない。差別も貧困もなくしたい。
ただ、私が一番怒っているのは。
映画から目をそらし授業に来なかった、向き合おうとしない同級生たちだ。



愛の反対は、無関心だ。