小学生の頃、空を見上げるのが好きだった。
子どもを持ったら、名前は「空」にしようと決めていた。
青いのはいつも一緒なのに、色は毎日少しずつ変化していて飽きなかった。
小学生の頃は自分が他人と考え方が違うということが分からなくて、他人との関わり方や適切な距離を間違えてばかりだった。
自分と同じように他人も考えているし、私は極めて普通で、私の考えていることは皆何も言わなくても理解しているのだと思っていたので、よく嫌味も言われたし仲間外れにもされた。……当時はあまり感じなかったけれど。
今考えるとよく分かるのだけれど、当時はクラスメートから距離を置かれていることも分からなければ、時々嫌な顔をされるのが何故なのかも分からなかった。
ごくたまにはっきりと物を言う子がいて、面と向かって悪口を言われたり、そんなつもりではないことを誤解されて責められたりして傷付いた。泣いてしまうこともあった。
そんな時は、校庭の片隅の「みどりの森」という落ち葉や石を捨てる場所で、涙が消えて悲しくなくなるまで空を見上げているのが常だった。
青い空は大きくて、私という存在の小ささがよく分かった。それと同時に、クラスメートの存在も空から見れば小さいんだということもよく分かった。
「みどりの森」で、木が風で揺れて絵を描くように青い色が見えたり見えなかったりするのを見ていると落ち着いた。
夏には、木が空に絵を描いているみたいだなぁと思っていた。冬には、木は葉が全てなくなっていて砂糖菓子みたいだなぁと思っていた。
青い青い空は、私のことを全て受け入れてくれる気がしていた。
そんな時本当に嫌だったのは、時々先生が通りかかって、何をしているの?と聞かれることだった。
先生に言ったってどうにもならないと諦めていることで傷付いたから、職員室ではなく校庭の片隅で三角座りで空を見ているのだ。
放っておいてくれ、そう思っていた小学生はさぞ扱いにくかっただろうと今になってみれば分かる。
空を見上げなくなったのはいつからだろう。
そう気付いてから、なるべく、また空を見上げるようになりました。
やっぱりあの頃と同じように、慰められているようにも励まされているようにも感じる。何より、自分の小ささに安心する。
そして、心が楽になるのが分かります。