ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

【中島みゆき】ホームにて

『涙の数ため息の数
   溜ってゆく空色のキップ
 ネオンライトでは燃やせない
 ふるさと行きの乗車券』


この『空色のキップ』って、帰ろうと思う気持ち、という解釈もありじゃないですか?
歌詞の解釈って色々あると思いますけど。
涙やため息が溜まっていく。そしてそれは帰りたいという思いを強くしていく。
ネオンライトでは燃やせないんです。都会では消すことが出来ないんです。それが『ふるさと行きの乗車券』。
まあこじつけの一つとして考えていただければ。


ということで、中島みゆきさん「ホームにて」。
槇原敬之さんのカバーもとっても良かったです。


最初の歌詞。

『ふるさとへ向かう最終に
乗れる人は急ぎなさいと
 やさしいやさしい声の駅長が街なかに叫ぶ』


最終。これを逃せば今日は帰れない。つまり、明日もここで過ごさなければいけない。
それなのに、それだから、ふるさとへ呼ぶ声はいつもやさしい。


『走りだせば間に合うだろう
 かざり荷物をふり捨てて
 街に街に挨拶を
 振り向けばドアは閉まる

 ふるさとは走り続けたホームの果て
 叩き続けた窓ガラスの果て』


街に挨拶をしようとしたらドアは閉まる。
一番の歌詞の中の『乗れる人』は、街に挨拶をしなくても乗れる人、という意味なのでしょうか。
ふるさとはホームの果てにある。帰りたくて帰りたくて、窓ガラスを叩かずにはいられなかった。
走りだせば、それも『かざり荷物をふり捨てて』走りだせば間に合うと分かっている。
いいえ、おそらく、『かざり荷物をふり捨てて』走り出さ"なければ"間に合わないと分かっている。
けれど街に挨拶をせずにはいられない未練。やり遂げたかったこと、叶えたかった夢。そして振り返ってしまうこと。それらが、いつまでも人を都会に縛り続けるものなのでしょうか。
そしていつの間にか、「ふるさと行きの最終に乗"れない"人」になってしまうのでしょうか。


『たそがれには彷徨う街に心は
今夜もホームにたたずんでいる』


今夜もホームにたたずんで帰りたいとは思う。でも、未練は確かにあるから汽車には乗れない。
個人的にはここの部分の中島みゆき様の歌唱は最強です。未練と郷愁が抑えきれないのが伝わってきて、月並みな表現ですが胸がぎゅっとなります。


……昨日、この歌が頭から離れなかったんです。帰りたいんでしょうか、私。