ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

幸せな休学後

今とても幸せです。
木曜日は大学の授業がなくて、今日は天気が良いから布団を干して、日当たりの良い窓辺でご飯を食べて、窓を開けていると外から金木犀の香りが漂ってくるんです。時々近所の人の物音が聞こえてきて、平和だなって思います。

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大学を2年休学しようかなって思った時、友達がいなくなるなって思いました。帰ってきたら授業を一人で受けないといけなくて、ゼミも見知った人がいなくなって、友達も就職していて、楽しくなくなるんじゃないかって思いました。2年前の手帳には、そういうことが書いてありました。でも何もかも、大学って場所に嫌気がさして、2年後の自分に全てを押し付けて、後ろを見ないようにして飛び出しました。
帰ってくるって決めた時、知っている人のいない生活も楽しそうだなって思いました。旅から旅へと暮らすのも悪くないけれど、きちんと勉強してバイトと両立させて、地に足をつけたような生活を送ってみたいって思いました。
そして今、授業を一人で受けて夜は一人で家で過ごして、それを幸せだと感じる自分と出会って、私はそれがすごく嬉しいです。



今、学校には友達がいません。授業は一人で受けています。でも、休学する前よりも授業が楽しいです。それに、休学してるから友達がいないのは当然と受け止めているからか、寂しくなんかありません。
学校の外には、おかえりって言ってくれる人がたくさんいました。だから、私は学校では一人かもしれないけれど、孤独感なんて感じません。大学の人間関係だけが全てじゃないって、ちゃんと分かってるんです。
時々、大学が窮屈に思えたら、先生のことを考えるようにしています。復学した時に挨拶に行ったら、嬉しそうにしてくれたS先生。困ったことがあったら何でも協力しますと言ってくれた先生が、同じ建物にいると考えると救われる気がします。



2年前の自分を思い出すのも嫌でした。
でも、あの時の自分のお陰で気付いたこともたくさんあるし、あの頃の自分が繋いでくれた出会いもたくさんあって、今では感謝したいと思います。
誰に否定されてもいい、私は私の2年間と、これから卒業するまでの1年半を愛したいです。

私なんてくそくらえ

中国では、Google検索が出来ません。インターネットは検閲されています。駅に入る時には荷物検査があります。あちこちに監視カメラがあります。
中国には、自由な言論がありません。



ところで、炎上って怖いと思いますか。
私は、ちょっと怖いです。有象無象の人たちの中に言葉をナイフにして切り込んでくる人がいるんじゃないかと怖いです。
注目を集めるということは同じだけの批判も集めるということで、それに晒されるだけの覚悟が私にはありません。


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中国にいて、日本には言論の自由があるんだと思えました。
日本には言論の自由があって、言いたいことも言えて書きたいことも書けて、それなのに、どうして私は、誰に遠慮してためらいがちに書いているのでしょうか。
私には中国のことはよく分からないから、批判をしようとは思いません。
でも、自由な場所にいる癖に不自由ぶる私のことは、痛烈に批判しようと思います。炎上も批判も、ブラウザを閉じてしまえば私を直接傷つけることなどないのに、私は何を怖がっているのでしょうか。
自由があるのに、書きたいことも書こうとしない私を、嫌悪しようと思います。誰かに何かを遠慮して、私は何を書いた気になっているのでしょうか。
自由に、思うがままを綴るために、本名ではなくちゅるゆーかとして、顔も住所も隠してネット上にいるのではないのかと、自分を叱咤しようと思います。



最近、「くそくらえ節」という歌を知りました。岡林信康氏の史上最強の放送禁止歌
最初に聞いた時に、衝撃をおぼえました。こんなことを歌ってもいいんだと感動しました。
それと同時に、氏の勇気が眩しく思えたのです。この歌を歌うのって相当勇気が要っただろうし、怖くなくても、賞賛と同じだけの相当な批判も集まっただろうと思ったんです。
「くそくらえ節」が発表された時よりもインターネットが発展して、言いたいこともより言いやすくなった筈なのに、私は彼の勇気が、まだ眩しく思えるだけです。



自由な場所にいて、その自由すら謳歌しようとしない私が私は嫌いです。
常に捨て身で、自分で自分を傷つけて言いたいことを言えたらと願います。
この文章はきっと中国の検閲には引っ掛かってしまうから、中国を出てからネット上に載せます。その時には、少しは自分のことを好きになれるように、文章を書いてみたいと思います。

S先生へ〜再会という名の2通目

一つだけ残ったトルコのお土産をS先生に渡そうと思ったのは気まぐれだったかもしれないけれど、思いついてみるととても素敵なものに思えて、それからずっと先生のことを考えていました。

箱のまま持っていくわけにはいかないよなぁと考えてこの間買った洋服の入っていたちょっとおしゃれな紙袋に入れて、それから朝まですごく緊張していました。

最初は私の授業が終わってから、昼休みに先生の部屋を訪ねて行こうと思っていたけれど退室のタイミングが掴めなさそうで、2限の前に訪ねようかと思ったけれど2限に先生に授業が入ってることに気付いて直前で止めて、結局先生の授業終わりに教室に行って渡すことにしました。



S先生ーと私らしく語尾を伸ばして呼び掛けたら、弾かれたようにはいと顔を上げた先生に思わず笑ってしまって、その私に気付いた先生が見る間に笑顔になってくれたのが嬉しかったです。
先生は私の記憶よりも少し瘦せていて、私は思ったようにダイエット出来なかったからちょっと恥ずかしくなりました。でも、きっとこの直前にしていた講義ではこの笑顔は出さなかったんだろうと思ったら、気持ちが弾みました。

「困ったことがあったら言ってきなさい」と言われたけれど、たぶんそんなことはなくて、それだけどそう言ってくれる人がいるというだけで心がじんわりとなるのが分かります。



先生に会う前はドキドキして緊張します。尊敬する人に好かれている幸せが私を捕らえているのだろうと思います。
尊敬する人に接するのは昔からとても苦手で、逆に避けてしまったり妙に上がってしまったり。でもそれだともう距離を詰めるなんて出来ないから、先生に対しては頑張って緊張しないように遠ざけないようにしたいと思えている、それも成長かもしれません。



……とここまで書いて良い一日だったと思い返して、寝ようと布団に入ってスマホを確認したらメールが来ていて、ゼミ用のメールだったから普通にゼミの連絡かと思って何気なく開いてみたらS先生からでびっくりしました。
前に交換したメールよりもずっと砕けた口調だったこと、前に送ったメールのアドレスじゃなかったからおそらく署名の部分を見てアドレスを打ち込んだんだろうということ、そんな些細なことにも緊張してしまう私じゃまだまだだと思います。
用件は「御礼」ということだったけれど、「喜んで協力します」とまた書いてあったから、たぶん社交辞令じゃなかったということを強調したかったのかなと思いました。返信を考えるのにものすごく時間を掛けてしまって、余計なお心遣いは私には無用ですよと思いながらも、でも生真面目に御礼メールを送ってくる先生は良い人だなぁと思うのです。



先生に好かれるほど私は頭が良くないと思うし、先生に目をかけられるほど私は能力がないと思うけれど、先生に好いてもらえる私なら私は好きになれます。だから「これからもよろしくお願いします」でメールを締めくくったんです。

まだ

別に忘れているわけではないんです。このブログの存在を。
ただ書くほどのこともないというか、書く気がないというか。

でもこのブログがあることが、私の中で何か支えになっていることは事実です。
帰ってくる場所がある、書ける場所がある、ただそれだけのことが、支えになっていることは確かなんです。


まだ、旅の途中。

あなたは優しいですか

高校一年の時の国語の授業で、先生が言ったのです。

「私たちは、自分に得のあることを進んでする訳です。例えば、隣の人の消しゴムが落ちた時に拾ってあげるのは、その人と良い関係を築いておきたいからです。
もし、普段から意地悪をしてきたりお礼も言わないような人だったら、親切にしないということもできるんですよね」



この先生の例え話を、上海で思い出しました。
中国人は無愛想だとネットで読みました。確かに、店員はにこりともしないです。
でも、笑顔を向けられるのと優しくされるのは全く違うことです。


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バスでも地下鉄でも、誰もが率先してお年寄りや子供連れに席を譲ります。でも、黙って真顔のまま、席を立つだけです。
道を尋ねても、ただ方向を指差されるだけのこともあります。笑顔で気を付けて、なんて言われません。
そこに優しさがないなんて思いません。笑顔になる理由がないから笑顔にならないだけです。



笑顔でいても心の中では泣いていることがあるように、無表情でも心の中は慈愛で溢れていることがあっても良いと思います。
私は笑顔に慣れすぎて、笑顔でなければ人は親切にしてくれないと思っていました。無意味に笑顔を振りまいて、他人の親切を受けようとしていました。私は笑顔に慣れすぎて、他人が笑顔であってもそれが普通だと思っていました。無表情だと怖いと感じて、笑顔で接してくれて当たり前だと思ってしまっていました。



笑顔でなくても、人は道を教えてくれるし荷物を乗せるのを手伝ってくれます。
笑顔でなくても、店員は物を売ってくれるし料理を運んでくれます。
笑顔でなくても、言葉が解らないのを察して身振り手振りで教えてくれます。

笑顔でなくても、それを咎められることなんてありません。私は私が笑いたい時だけ笑えばそれで良いと言われているようで、だから、中国にいるのはすごく楽です。

楽しくないのに、嬉しくないのに笑顔を振りまかなければならないなんて、何てストレスフルなことをしていたんだろうと、日本を思います。そんなストレスフルなことを無意識ながら、他人に強いていた自分を思います。



自分にも他人にも優しくありたいと、そう願ってきました。
もしかしたら中国人は、初めからその方法を知っているのかもしれません。

私と誰かと私だけ

私の文章が誰かの考えるきっかけになれば、誰かの心に残ることがあればいい――なんて考えていません。



だって、私の文章は、ただの足跡です。廃棄物とか残りかすとか、そういう言葉でもいいです。必要な部分は残っていない、ただ打ち棄てられるだけの、価値のないもの。


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ブックマーク数が欲しい頃もありました。読者数を増やしたい時期もありました。運営からのおすすめに載りたい季節もありました。

でも、誰のために書いているのかを考えて向き合った時に、ブログのお陰で心の平安や成長や気付きを得ていると自覚した時に、私はもう自分以外のことを考えて文章を書かなくても良いのだと知りました。自分のためだけに何かを得れば良いのだと悟りました。

今は、感動も感謝も感心も関心も、興味も期待も好意も同意も、要りません。読まれたその一瞬後に忘れられても構わないんです。



そもそも、文章を読んでもらえることだってあんまり期待していないです。それは、私自身がとても厳しいからだと思います。
特に長文は、はっきり言ってしっかり読み込むことなど少ないです。流し読みして、あるいは真ん中らへんをすっ飛ばして読んで、それで引っ掛かるものがあればもう一度初めからきちんと読むのですが、なければ印象に残ることなく終わりです。いえ、引き込まれる出だしでないと読み始めることすらありません。
そんなものなのではないでしょうか。

だからこそ、文章に目を通してもらえることだけで満足です。



私が私のために考えて、私のために並べて整理して、結論や結論のようなものを導き出した、それは私の中にしかありません。それ以外のものはこうして残しておけるけれど、それは私のためだけに取ってあるから、誰にも分け与えてないものです。
一番良いものは独占しているから、それ以外がどうなろうが知ったことではないし全然構わないのです。



自分の文章の受け止められ方もどうだって良いことで、私の文章が誰にも影響を及ぼさなくたって良いのです。文章って、娯楽だと思うのです。読むことって、楽しみだと思うんです。
何より、私自身が、何かに悩んだ時、誰かの文章を読みたいなんて思わないんです。素人のものならなおさら。気を紛らわしたいということはあるかもしれないけれど、役立てようと思って何かを読むことなんて私にはありません。
だから、逆の立場になりたいなんて、誰かの支えになりたいなんて思わないんです。



ブックマークもコメントも、もらえたら嬉しい。だけどそれを受け取る時には既に、私は一番欲しかったものは手に入れてしまっています。
ここに一つ一つ文章が埋まっていって、私の心の欠片や残りかすが溜まっていって、ここが山になれば良い。山脈はきっと豊かな水をもたらすから、その時は心の海で自由に泳ぎ回りたいと思います。

南半球の妹

「南半球では、月が逆なんだよ」
という私の言葉に、
「は?意味が分かんない。昼間に月が上るってこと?」
と盛大にボケた返事をしたのは私の妹です。
その妹の話をしたいと思います。



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最近分かったのですが、彼女の中には様々なマイルールが存在しているようなのです。

例えば、洗濯物を干している時に手伝われることが嫌いだと彼女は言っていました。洗濯物には干す順番があるから、らしいのです。
父のパジャマから母の下着、私の靴下に至るまできっちりとその順番は決まっていて、それを乱されたくないから、洗濯物は自分一人で干したい。そう彼女は言いました。



その他にも、色々なことに順番や決まりが存在するのだそうです。
お風呂で湯船に浸かる時に足を向ける方向は一日ごとに左右交互。玄関から中に入る時は左足から。玄関から外に出る時は左足から。
驚く私と母親に、
「皆そんなに縛られずに生きてるんだねぇ」
と彼女は感心していました。

私たちが縛られていないとすれば、彼女は何に縛られているのでしょうか。



私が意味が分からなかったのは、電柱やコーンなどの背の高い人工物が道にある場合、その延長線上は跨いではいけないというルール。さらにその延長線上を跨ぐ足は左右交互であること。
「そこに影がある場合もまた難しいんだよね」
と言っていたのには深く突っ込みませんでした。



私でない他人に心というものが存在することを、時々思い返して不思議な気持ちになることがあります。

自分の中でどんなに厳格なルールを持っていても周りには知られていない妹のように、知られたところで理解し難いことだと思われる妹のように、誰もが他人が踏み込めない領域を持っているということ。それが私には見えもしなければ気配も感じられないことに、時々寒いような気持ちになることがあります。

それは血が繋がっていても同じことで、私は妹が死ぬほど悩んでいても、それを言葉や態度に出されなければ、何にも分かりません。
他人と関わるのが難しいなぁと思うのはそんな時です。そしてそれは、南半球のことを想像するよりも難しく感じます。



「南半球は、北風じゃなくて南風が冷たいんだよ。南極が近いからね」
という父親の言葉に
「なるほど〜それは一番納得できる」
と、笑い転げる私をよそに一人頷いていた、妹の話でした。

ねぇ先輩、

大学に通っている時、先輩たちが大好きでした。
先輩たちが全てで、体育会系と間違われるほどに先輩命で、熱狂的に先輩たちが大好きでした。



私は、先輩たちは思いやりのある気遣いの出来る優しい人たちで、大人だと思っていて、心から尊敬していました。
それなのに、大学を休学すると同時にすとんと、先輩に対する興味が失ってしまいました。私の中で、それまでの超重要から興味なしのポジションへ、先輩たちは一気に移動してしまったようで、そのまま一年半が過ぎてしまいました。

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先輩たちは大好きでした。けれど、サークルをまとめるやり方には疑問を感じていました。サークル内で人を募集して、サークルよりも優先して外部の活動をやろうとするやり方が気にいらなかったのです。

私は先輩たちが大好きでサークルが第一だったから、自分の中でどうしていいか分からなくなってしまったのだと思います。先輩たちの言うことを優先させればサークルが第一でなくなり、サークルを第一とすれば先輩たちと同じではなくなるということに、戸惑ってしまったのだと思います。

私はその矛盾に悩むことに疲れ果ててしまいました。だから、その矛盾をなくそうと、先輩たちを好きだという気持ちがいつのまにか、抜け落ちていったのだと思います。



先輩たちが大好きだった気持ちに、あの気持ちに嘘はありませんでした。

私は本当に先輩たちが大好きで大好きで大好きで信頼していて、人生で初めて「先輩」と呼べる人を好きになれて、すごく尊敬している人たちと同じ時間を共有できて、一緒に遊びに行ったりご飯を食べたりして、すごく幸せでした。あの頃の私のきらきらは眩しいほどに、他人からも私は充実して見えたと思います。



それが今は違う気持ちを持ってしまうようになっただなんて、本当は考えたくもありません。先輩たちの就職先も知らなくて、連絡すら取っていないなんて。
私は、私は自分のことが時々恐ろしくなります。
あんなに温かい、熱い気持ちを持っていたはずの私の胸の中は、今はひんやりと冷えていて、あんなに大切だったはずの人の面影すら残していないなんて。



この文章を書き終わっても、私は先輩の誰にも連絡をしないと思います。

私は私の中の先輩たちを、大好きだったあの頃のままにしておきたいのかもしれません。その偶像を壊してしまうのが怖いのかもしれません。現在なんて知りたくないのかもしれません。

けれどいつか、私が私より大人だった人たちを許せるほど大人になった時には、メールをして会ってみようと思います。出来るなら、あの頃と同じ私の笑顔のままで。
「先輩」と呼び掛けて。

あなたが好き、だからSNSが嫌い

ずっと、自分がSNSを嫌いなのは、他人と繋がることが嫌いなのだと思っていました。
でもふと気付いたんです。たぶん私は、一対一以外の遣り取りが苦手なのです。



多数に向けて発信されたものは、読んでいる側も自分だけに向けられたものだと思わない。でも確かに発信は誰かに向けてするもので、そこに反応がなければないでちょっと悲しい。

それは分かっているのだけれど、受信の時は自分だけに向けられたものではないから反応するべきか微妙だったり、自分とは直接関係のない人たちもいたりして、戸惑ってしまいます。結局反応しないことが多くて、それはそれで話し掛けられたのによく分からないから無視したみたいな、変な気分になります。
発信する時は、反応がないのを気にしてみたり、反応を友情のバロメータにしてみたりするんです。



そんなことが嫌いなのだと思います。私は話し掛けられたら返事がしたいし、話し掛けたら反応が欲しいし、自分が掛けているのと同じ重さで相手にも向き合って欲しい。私は欲張りで、自分と同じ質量の情を相手に求めてしまうみたいです。
だから、それが実現されない、一が多数に向かって発することが苦手なのです。



と書いていると、ブログもそうだと言われそうなのですが、私にとってnoteは違うのです。

ブログは繋がらなくて良いし、交流もしないという選択肢があります。
それから、私は誰かのためにこのブログを書いている訳ではないのです。いえ、たった一人以外の誰かのために。その誰かは自分です。
書いている間、私は自分と向き合っています。自分に向き合い、問い掛け、思い出し、掘り出し、訂正し、新たなものを見つけ、磨き、また心の中にそっと戻しています。


その作業の残骸の文章が、私のブログの文章なのです。このブログが誰か私以外の目に触れているのは、それは残骸なのです。私が自分と向き合った、ただの足跡。



もう一つ、SNSで不自然に感じることがあります。

自分の近況を求められてもいないのに伝えることとか、自分の考えを求められてもいないのに表明することとか。それは果たしてコミュニケーションなのか、と。

近況を知ることで、その人を知った気になってしまうなんて、おかしなことだと思うんですよね。自分の選択肢や行動や置かれている環境だけを知って、私と会ったような気分になって欲しくないんです。それらを知っただけで、誰かと繋がっているような気分にもなりたくないんです。


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自分の中の違和感を大切にしたいです。例えこの感覚が時代錯誤だったとしても、私しか感じていないものだったとしても、この不和は、私が自分で自分を守るために必要なものだと思うから。

だからこれからも、SNSは最低限どうしても必要なものにしか手を出しません。そう決めました。



あなたと一対一の遣り取りがしたいです、って言うことは気恥ずかしくて、勇気が要ります。
でも、これからもそう伝えていきたいです。

幸せでありたい

大学に通っている時、私はたぶん、鬱の入り口にはいたと思います。

シャワーを浴びるのが面倒になり、自炊が面倒になり、掃除が面倒になり、他人と連絡を取るのが面倒になり、出掛けるのが億劫になり、笑った時に顔が引きつるのを感じるようになり、ひたすら眠り、1日14時間寝ても眠く、とにかく大量に詰め込むように食べるようになり、満腹になっても食べることを止められなくなり、時間ぎりぎりに行動するようになり、笑顔になるのが辛くなり、走ってくる車に突っ込みたくなったり、川に飛び込みたる衝動と闘ったりしました。

あれが鬱だったかどうかなんて、専門家ではない私には全然分かりません。ただ、感じていました。このまま行けば戻れなくなると。



それでも、自分はもっと頑張らないといけないと思っていました。気合いを入れて生活しなきゃと思っていました。そうすればちゃんと生活出来るんだ、って。

それは、最近ちょっと鬱気味なんですよねー、と冗談めかして打ち明けた時に、
「その程度じゃまだまだだよ」
って言われたからです。



「私はもっと辛くて、パニック障害になったよ」
「昔は暴力とか振るわれて当たり前だったから」
「そのくらい働くなんて当たり前よ」
「自分で自分が鬱と思えるなら、鬱じゃないんじゃないの」



今思えば、自分が辛いなら自分の基準で判断すべきでした。
他人と自分の基準は異なると、私は私を守ってあげるべきでした。



その人たちだけじゃないです。私も、例えば私の時はこうだった……って思ってしまったり、自分の方がずっとよく頑張ったと思ってみたり、そんなこともあります。
でも、なんかそれって、ただ辛さを倍増させるだけなんじゃないかって思うんです。どちらの側も。



どうして自分の方が辛かったと思うのは、きっと自分の方が上だと思いたいからなんですよね。自分の方がもっと辛いことに耐えてきてすごいんだって。
でも、辛いことの量って、測れないんじゃないかって思うんです。だって皆同じ環境にいるわけじゃないし、背負うものはそれぞれ違うから。
同じ立場にいたとしても、家族がいるかどうか、経験があるか、楽観的か悲観的か、体は健康かどうか、そんなことで随分感じ方は変わってくるはずです。



あの頃の私に言って聞かせたいです。

空を見て幸せだと思うことが当然だったあなたがそう感じられなくなったのなら、それは異常だと。例えあなた以外の世界中の人間が空を見たくらいで笑顔にならなくても、あなたにはそれが当然だったのだから。
いつも笑顔だと言われるあなたが、笑顔を苦痛に感じるのならそれは異常だと。例え笑顔にならない人間がいるのだとしても、あなたは笑顔が普通だったのだから。



そして今の私に言って聞かせたいです。

あなたはあなたであり、他人ではない。だから、他人に対して自分だったらもっと……と思うのは止めなさい。それはあなたの不幸をつくり他人の不幸をつくるのだと。あなたが生きにくいように他人も生きにくいのなら、否定し合いながら生きていくのは不幸だと。



それを私がきちんと出来るようになれば、少しは誰かが生きやすくなってくれるでしょうか。
幸せを自慢し合える、そんな関係を誰かと築けるでしょうか。

私はそう信じます。


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