ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

あなたが好き、だからSNSが嫌い

ずっと、自分がSNSを嫌いなのは、他人と繋がることが嫌いなのだと思っていました。
でもふと気付いたんです。たぶん私は、一対一以外の遣り取りが苦手なのです。



多数に向けて発信されたものは、読んでいる側も自分だけに向けられたものだと思わない。でも確かに発信は誰かに向けてするもので、そこに反応がなければないでちょっと悲しい。

それは分かっているのだけれど、受信の時は自分だけに向けられたものではないから反応するべきか微妙だったり、自分とは直接関係のない人たちもいたりして、戸惑ってしまいます。結局反応しないことが多くて、それはそれで話し掛けられたのによく分からないから無視したみたいな、変な気分になります。
発信する時は、反応がないのを気にしてみたり、反応を友情のバロメータにしてみたりするんです。



そんなことが嫌いなのだと思います。私は話し掛けられたら返事がしたいし、話し掛けたら反応が欲しいし、自分が掛けているのと同じ重さで相手にも向き合って欲しい。私は欲張りで、自分と同じ質量の情を相手に求めてしまうみたいです。
だから、それが実現されない、一が多数に向かって発することが苦手なのです。



と書いていると、ブログもそうだと言われそうなのですが、私にとってnoteは違うのです。

ブログは繋がらなくて良いし、交流もしないという選択肢があります。
それから、私は誰かのためにこのブログを書いている訳ではないのです。いえ、たった一人以外の誰かのために。その誰かは自分です。
書いている間、私は自分と向き合っています。自分に向き合い、問い掛け、思い出し、掘り出し、訂正し、新たなものを見つけ、磨き、また心の中にそっと戻しています。


その作業の残骸の文章が、私のブログの文章なのです。このブログが誰か私以外の目に触れているのは、それは残骸なのです。私が自分と向き合った、ただの足跡。



もう一つ、SNSで不自然に感じることがあります。

自分の近況を求められてもいないのに伝えることとか、自分の考えを求められてもいないのに表明することとか。それは果たしてコミュニケーションなのか、と。

近況を知ることで、その人を知った気になってしまうなんて、おかしなことだと思うんですよね。自分の選択肢や行動や置かれている環境だけを知って、私と会ったような気分になって欲しくないんです。それらを知っただけで、誰かと繋がっているような気分にもなりたくないんです。


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自分の中の違和感を大切にしたいです。例えこの感覚が時代錯誤だったとしても、私しか感じていないものだったとしても、この不和は、私が自分で自分を守るために必要なものだと思うから。

だからこれからも、SNSは最低限どうしても必要なものにしか手を出しません。そう決めました。



あなたと一対一の遣り取りがしたいです、って言うことは気恥ずかしくて、勇気が要ります。
でも、これからもそう伝えていきたいです。

幸せでありたい

大学に通っている時、私はたぶん、鬱の入り口にはいたと思います。

シャワーを浴びるのが面倒になり、自炊が面倒になり、掃除が面倒になり、他人と連絡を取るのが面倒になり、出掛けるのが億劫になり、笑った時に顔が引きつるのを感じるようになり、ひたすら眠り、1日14時間寝ても眠く、とにかく大量に詰め込むように食べるようになり、満腹になっても食べることを止められなくなり、時間ぎりぎりに行動するようになり、笑顔になるのが辛くなり、走ってくる車に突っ込みたくなったり、川に飛び込みたる衝動と闘ったりしました。

あれが鬱だったかどうかなんて、専門家ではない私には全然分かりません。ただ、感じていました。このまま行けば戻れなくなると。



それでも、自分はもっと頑張らないといけないと思っていました。気合いを入れて生活しなきゃと思っていました。そうすればちゃんと生活出来るんだ、って。

それは、最近ちょっと鬱気味なんですよねー、と冗談めかして打ち明けた時に、
「その程度じゃまだまだだよ」
って言われたからです。



「私はもっと辛くて、パニック障害になったよ」
「昔は暴力とか振るわれて当たり前だったから」
「そのくらい働くなんて当たり前よ」
「自分で自分が鬱と思えるなら、鬱じゃないんじゃないの」



今思えば、自分が辛いなら自分の基準で判断すべきでした。
他人と自分の基準は異なると、私は私を守ってあげるべきでした。



その人たちだけじゃないです。私も、例えば私の時はこうだった……って思ってしまったり、自分の方がずっとよく頑張ったと思ってみたり、そんなこともあります。
でも、なんかそれって、ただ辛さを倍増させるだけなんじゃないかって思うんです。どちらの側も。



どうして自分の方が辛かったと思うのは、きっと自分の方が上だと思いたいからなんですよね。自分の方がもっと辛いことに耐えてきてすごいんだって。
でも、辛いことの量って、測れないんじゃないかって思うんです。だって皆同じ環境にいるわけじゃないし、背負うものはそれぞれ違うから。
同じ立場にいたとしても、家族がいるかどうか、経験があるか、楽観的か悲観的か、体は健康かどうか、そんなことで随分感じ方は変わってくるはずです。



あの頃の私に言って聞かせたいです。

空を見て幸せだと思うことが当然だったあなたがそう感じられなくなったのなら、それは異常だと。例えあなた以外の世界中の人間が空を見たくらいで笑顔にならなくても、あなたにはそれが当然だったのだから。
いつも笑顔だと言われるあなたが、笑顔を苦痛に感じるのならそれは異常だと。例え笑顔にならない人間がいるのだとしても、あなたは笑顔が普通だったのだから。



そして今の私に言って聞かせたいです。

あなたはあなたであり、他人ではない。だから、他人に対して自分だったらもっと……と思うのは止めなさい。それはあなたの不幸をつくり他人の不幸をつくるのだと。あなたが生きにくいように他人も生きにくいのなら、否定し合いながら生きていくのは不幸だと。



それを私がきちんと出来るようになれば、少しは誰かが生きやすくなってくれるでしょうか。
幸せを自慢し合える、そんな関係を誰かと築けるでしょうか。

私はそう信じます。


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『ともだち』ですか

私は冷たいのだと思います。


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高校時代、毎朝クラスメートと「おはよう」を言い合うことを楽しみにしていました。
でもある日気付いてしまったのです。私から言わなければ、私に「おはよう」と声を掛ける人がいないことに。それはいじめとか仲間外れとかそんな積極的なことではなく、ただ単に、言わなくて良いなら言わないという消極的なものだったのだと思います。
でもその時思ったのです。
自分から「おはよう」を言ってくれるような子を友達だと思いたい、と。一方的に声を掛けているだけの関係なんて寂しすぎると。



学校という場所は人との関わりを持つ機会が多くて、そこにスマホを持って入ると、スマホの中が連絡先で溢れることになります。
『ともだち』だと画面に表示される人は増え、スマホの中にも『グループ』ができ、大して仲が良くない人との繋がりも、信頼する友達と同じ重さで存在します。



それが私はすごくすごく嫌で、自分から「おはよう」と声を掛けないとお互いにただ黙っているだけになるような希薄な関係が許容出来なくて、何かの節目ごとに、友達を整理しています。
年賀状を出さなくなったり、メールアドレスを変えたり、今すごくやりたいのはLINEのアカウントを新しくすること。
そう言ったら、
「人との出会いは一期一会だから、私はどんな人ともずっと繋がっているよ」
と言われたことがあります。



一期一会という言葉を出されると何も言えなくなります。
私は冷たいのです。今は疎遠だとしても、一度は仲良くなった人と連絡が取れなくなることに何の寂しさも感じません。関係をリセットすることに躊躇いもなく、むしろ楽しみにさえしています。
私は冷たいと思います。人を選ぶことにも自分が選ばれないことにも哀しさをおぼえることがありません。繋がりに楽しさをおぼえることもありません。



私は根本的な部分で、他人を信じられないのだと思います。
他人を信じられなくて繋がりを信じられなくて、今あるものしか大事に出来ない。少し離れれば捨ててしまうことも厭わない。
だからアカウントを作り直せなくて、友達以外にも見つけられてしまうFacebookは嫌いで、匿名でリアルでの繋がりのない、いつでも止められるnoteは居心地が良いのです。
でも敢えて言うのなら、私は私と同じ重さで向き合ってくれる人を求めていて、そういう意味では他人にものすごく期待をしているのです。



他人との関係を大事に出来ないのではなく、大事にしていない私は、きっといつか大きなしっぺ返しに遭うと思います。

彼らの現実と私たちの闇

大学のゼミの同期生が、卒業旅行に行って帰ってきました。
私は休学して来ているマレーシアとインドネシアで、入ったままのグループラインの大量の通知を迷惑に思いながら眺めていました。

同期が行ったのは南国。そして飛行機の関係で韓国。その卒業旅行の報告がゼミのブログに投稿されていて、溢れた写真の一枚に、こんなコメントがつけられていました。

「韓国の闇が写ってます……」



問題の写真は、駅構内での写真なのですが、よく見ると確かに、小さく物乞いの姿が写っていました。
ああ、これは闇と呼ばれるのか。不思議な気持ちになりました。



インドでは、彼らはいて当然の存在でした。道路端や列車の中や人混みの中、彼らは自分の存在を主張していました。
人で溢れる観光名所では、五体不満足大会という言葉が頭に浮かんでしまう、そんな人たちが器を差し出していました。思わず目を背けてしまうような、そんな光景も人も目にしました。
彼らは「闇」なのでしょうか、彼らは隠されるべき存在なのでしょうか、彼らは存在を許されないのでしょうか。



いつの間にか、私は彼らを、「現実」と心の中で呼んでいました。
日本という社会では巧妙に隠されているだろう現実。生きたいと、彼は全身で叫んでいました。自分は生きるのだと、彼女の目は私を見据えていました。明日も生きてやるのだと、あの子は私を睨みつけていました。

彼らは、彼女らは、あの子たちは、私かもしれなかったし、私かもしれないし、私になるかもしれない存在でした。彼らは正面から、私を試していました。「現実」という巨大なものを纏いながら。



手を差し出したい人が、きっと日本にもいるだろう。そう思いました。助けてくれと言えないだけの人が、きっと日本にもいるだろう。そう思いました。餓えて死ぬことを選んだだけで、そうならなかった人が日本にいる。そう思いました。


大量の汗の匂いのする列車の中で、
「世界はまだまだ貧しいだろう」
と言ったおじさんに、日本にもまた違った形の「現実」があると、英語もタミル語も出来ない私は伝えることが出来ませんでした。



誰もが何かを学びとるというインドで、私は現実を知りたくくて見たくなくて、インドの広さに圧倒されていました。
ただ思いました。もし私が、明日食べるものに困ってあらゆる手段がなくなったら、私は彼女たちになるだろうと。生き延びてやると叫ぼうと、そう思いました。



物乞いは韓国の闇かもしれません。でも、それがないことをただ誇ることも日本の闇かもしれません。
私は卒業旅行には、行かないと思います。

中島みゆき Concert「一会」2015〜2016 劇場版

必ず死ななければならないのなら、いっそ今死にたい。
見終わって余韻に浸りながら、そう思ってしまう映画でした。



ファン以外は見ないであろうこの劇場版のコンサートを、私は「中島みゆき」という存在の作り出す世界に入り込んで見ていました。
見ていたというよりも、「中島みゆき」と向き合っていました。あの人と二人の世界に、私はいました。



中島みゆきを「」で括ったのは、音楽プロデューサーの瀬尾一三さんが、この映画の公開記念トークショーで「彼女の創作方法は皆目知りませんし、知りたくもないです。」と仰っていたからです。
この発言は本当にその通りで、私もそうです。知りたくないものが多いです。あの人が「中島みゆき」として完成されている存在にしか私は惹かれません。

作られていても虚構でも幻でも構わない。私はプライベートの64歳の中島美雪さんには興味がありません。ウィッグを付けて化粧をして、ものすごいオーラを纏って表現の限りを尽くして歌う「中島みゆき」。そんな存在が私は好きです。



こういう考え方は、酷なことかもしれません。私は「中島みゆき」の完璧を求めているから。
けれど、もし中島美雪さんが「『中島みゆき』を演じることを辞めたい」と言ったなら、私は心からお礼を言って祝福します。「中島みゆき」という存在をこの世に作り出してくれてありがとうございました。それだけで十分過ぎるほどです。そう言って笑顔を見せたいです。



そういう意味で、この映画の中で「中島みゆき」は完璧でした。

オーラを纏い、演じるように歌う、あの人は完璧でした。優しく言い聞かせるような歌い方から最後の部分だけドスを効かせて問い掛けられた時、ぞっとしました。『阿壇の木の下で』の途中で「中島みゆき」が舞台の中央で女神に見えた時、ハッとしました。『流星』を歌う演技力にうっとりしました。
最近のアルバムは聞いていないから、知らない曲も多かったのですが初めて聞く曲にも容易に入り込めました。
声も本当によく伸びていて、掠れもしなければ伸ばしが足りないこともありませんでした。伸びて伸びて艷やかで表情豊かで、まるで芝居を見ているかのような表現力のある声。完璧でした。



中島みゆき」がマスメディアに姿を現す度に、ファンであることを誇りに思います。この魅力を知っているかと自慢してまわりたくなります。
生きていて良かったです。
そう思えるものに出逢えただけで、私は仕合わせです。

書くなら捨てる

超有名作家であるところのEさんのエッセイが家の本棚にあったので読んでみたら、絶句するほど面白くありませんでした。
そんな文章を読んだところで時間の無駄と考えているので3ページで止めたのですが、その旨父親にこぼしたところ、
「エッセイは捨て身でないと面白くない」
とのコメントを頂きました。

曰く、
「気取った頭だけのエッセイなんて面白くも何ともない。私生活も全て曝け出せる捨て身の覚悟がないとエッセイなんて書けないのだ」
と。



その時は父親のコメントも、ふんふんなるほどね、くらいにしか思わなかったのですが、私の中に居座り続けてじわじわ何かを広げていて、ちょっとした答えが見つかりそうです。


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最近、「好きな文章を書く人」が減っていっています。
すごく悲しくて、やり切れない気持ちになってしまうのですが、「好きな文章を書く人」の文章が『すごく好き』から『あんまり好きじゃないかも』になってきて、「好きな文章を書いていた人」になっていってしまう。何だかそんなことが多いんです。しかも楽しみにしているネット上の人に。



ずっとずっと好きだったHさんも、何だか最近の文章は面白くない。
読むたびに笑い転げていたMさんのブログも、最近は全然笑えない。
楽しみにしていたTさんのエッセイ漫画も、最近は違和感を覚えるようになってしまって読むのを避けてしまう。



……あぁ、この人たち、皆面白い文章に人気が出て、人気者になって、私も一緒に喜びました。当たるべき場所にスポットが当たったと。
それなのに、スポットが当たった後では、注目されたあとでは、捨て身の文章がないのです。批判を避ける微妙な言い方やワンクッション置く言い方。違ったじゃないですか、そう言いたくなります。
もし「好きな文章を書いていた人」に会ってしまったら、言ってしまいそうです。
昔の、はっきりした言い切りの文章や小気味の良いぶった切り方や、自分本位な感じが好きでした。と。



まぁ、今の文章が好きか昔の文章が好きかだなんて、単なる私のわがままでしかありません。
でも、それでも、やっぱり捨て身かどうかはエッセイを書く上では欠かせないものなのではないかと思います。捨てて捨てて、それでも晒せる人の文章が、読みたい。そして、捨てながら書いてみたい。
そんなことをネットの文章の中で思う冬です。

人生と旅、旅と人生

「旅は人生だ」という言葉がある。


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旅くらいで人生は変わらない。常々そう思っている。

私が自分自身の成長を感じるのは、非日常な旅のワンシーンではなく日常生活を丁寧に重ねていく中でのことだ。
旅でどんなに劇的なシーンが繰り広げられても、それはその場で足踏みを繰り返すようなものだと感じる。そこの地面を固めるだけだ。前に進むのではなく。



旅は、所詮旅だ。それを日常にするなら成長も変化も自分に望めると思うけれど、非日常としての旅は人を子どもにしてしまう気がする。というか、非日常は常に、人を子どもへと還してしまうから非日常としての価値がある。

旅くらいで人生は変わらない。外弁慶が加速したり、海外の物価に詳しくなったり。それでいったい何が変わるのか。何かが見えるのか。
私には、大学に戻った自分が変わらないことがなんとなくもう見えている。



旅を成長だと考えたい気持ちは分かる。私もそう思いたいから。
けれど人は非日常では成長できない。人が歩を進められるのは日常を繰り返す中でのことだ。結局一番すごいのは、旅に出た先で出会う人たちと同じ、きちんとした日常を繰り返せる人々だ。



「旅は人生だ」。「人生は旅だ」。名言ぽい言葉だ。

でも私はそうは思わない。旅は、あくまでも人生の一部だ。

人生は旅ではない。日常だ。旅は人生ではない。その一部だ。日常を繰り返して重ねていく人生の、旅はその一部であり全てではない。
それをきちんと自覚していないと、旅に囚われてしまう気もする。



旅に限らず、ある何かを全てだと考えてしまうと、好きでいるはずのそこに囚われていつの間にか苦しくなる。何度もそれを経験してきた。
だから、あくまでも。世界は広いと。そう自覚していることは大事だ。それを守ればきっと世界は私の味方だ。
そして、 見ている世界は広い世界の一部分でしかないのだと感じるために。

私は旅をしているのかもしれない。

膨らむ思い出と膨らまないガム

とても久しぶりにガムを噛んでいます。最後に噛んだのがいつだったのか思い出せないほどです。
最後に噛んだのはいつだっけ、誰に貰ったんだっけ、と思い出そうとしていたら、懐かしいような記憶が蘇ってきました。


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小さい頃、フーセンガムで風船が上手く作れませんでした。妹はとても上手でそれが悔しくて、ガムを噛むたびに何度も挑戦して失敗していました。
上手く風船を作れなければ子どものままのような気がして、ムキになって練習していました。それでも全然出来なくて、どうして私は出来ないんだろうって少し落ち込んだりなんかして。
プラスチックの入れ物に入った、小さな丸いガムの粒。風船にしたくても出来なかった小さな希望たち。



私は不器用な子どもで、実技と名のつくものは全て出来ませんでした。逆上がりも跳び箱も持久走も、ミシンも料理も25メートルクロールも。
あの頃の私は怯えていました。
ガムで風船を作れない大人はいないんじゃないか、逆上がりは出来て当然のことなんだ、跳べなければ走れなければ大人になって困るんだ、ミシンが扱えないと一人前と認められないんじゃないか、包丁が完璧でないと馬鹿にされるんじゃないか。
出来ないといけない、と言われるのが辛かったです。出来なければ大人になって困る、そんな圧力が辛かったです。



未だに私は逆上がりも出来ないし、跳び箱も持久走も苦手です。ミシンはセットの仕方すら忘れてしまったし、料理は自分が食べられればいいかなというレベル。25メートルクロールは、4年生の時に特訓があって何とか出来るようになりました。
今小さな頃を思い出して、「出来なくてもいいよ」と言ってくれる大人がいてくれれば、どんなに私は未来に夢を持てただろうと考えます。
「出来ないことに向かう努力は大切だけれど、出来なかったからといって大人になれないというわけじゃないんだ」って、今となっては当たり前のことを言い聞かせてくれる大人が欲しかったです。



出来ないことはあってもよくて、それが埋められなくとも得意なことを伸ばしてプラマイゼロに出来るように。
今の私はそう私自身を励ましています。
それを言ってくれる大人にもしあの時出会っていれば、もっと怯えずに大人になることを受け入れられたかもな、ってちょっと思います。
そう、私は、大人になることすら怖くなってしまいました。



その恐怖を潰すために、今の私は、膨らませられないガムを噛みしめるのかもしれません。

今日の夢@2016/10/02

スマホを落としました。拾い上げたらスマホは全体にまんべんなくひび割れていて、硬いはずのスマホがグニグニ曲がりました。
あーまたやっちゃったなぁと思いました。それでも問題なく使えて、しばらくはこれでいこうか、とグニグニスマホを曲げながら考えていました。



その後かどうかは分からないのですが、私はあるゲストハウスにいました。どこの国のどこの街なのか、全然覚えていません。
壁にもたれて、私ともう一人の日本人男性が座っていました。広い部屋の真ん中には大きな真四角の柱があって、その左横の椅子にはベトナムで知り合ったTさんが座っていました。
その更に奥の壁側の椅子に、もう一人知らない中年の日本人男性が座っていて、その人とTさんは仲が良いのか知り合いなのか、喋ったり肩を叩き合ったりしていました。



私は私の横にいる男性と話したり、ぼんやりとTさんを見ていたりしていました。
中年男性はTさんと話しながら、時折勝ち誇ったような目でこちらを見ていて、それに気付いて私は、もうTさんにメールを打つことはないのかなぁと思っていました。



その辺で、目が覚めました。



今改めて思い出して思ったのですが、Tさんの顔、全く見知らぬ人の顔でした。
それなのになぜTさんだと思っていたのか。ゲストハウスにあんなに広くて何もない空間はないはずなのになぜゲストハウスの設定だったのか。あんなにひび割れたのになぜスマホは使えたのか。



謎だらけです。
さて、Tさんにメールしてみましょうか。

生まれついての嫉妬

都会に、東京に、羨ましさを感じる。
『イベントが○○であります』という案内を見るたびに、はいはいはい東京ですね、と思う私は性格が悪いなぁと思う。
要するに、何かイベントが開催されると聞いてその日のうちに行こうと決めて、仕事終わりにふらっと行ける、そんな環境にある人が羨ましい。



私が東京に行くためには、飛行機か新幹線に乗らなければならない。
空港に向かうのに1時間半。飛行機も1時間半かかる。安くあげようとLCCを使うと、成田空港から都内に行くのに1時間半。
新幹線だと、まず駅に行くまでに1時間強。それから乗り換えはスムーズにいくと考えて6時間半。
……目眩が。



日本の中心は、一年毎……とまでは言わないから五年か十年ごとに各都道府県を巡っていったらどうかと考えてみる。今は北海道、次は青森でその次は秋田、みたいな。非現実な妄想をするとちょっと楽しい。
たまたま生まれついた場所でイベントに参加できないなんておかしいだろって思う。文化的に公平なんてとても言えないはずだ。



田舎は生活費が安いなんて幻想だと、地元に帰るといつも考えてしまう。
他所で野菜が値上がりすると、地元産の野菜もしっかり値上がりするし、競争が激しくないから物価も安くならない。土地や家賃は安いけれど、それは不便だからだ。車の維持費や飛行機代や新幹線代やバス代やフェリー代がかかる。
噂は一瞬で広がり、高校の選択の幅は狭く、最低賃金はワーストから数えるくらいなのに生活のために車を持たざるを得ず、交通費は高く、男尊女卑が根強い。
それが私の地元。



田舎には田舎の良さがあるって言う人もいる。でもそれは住まないからでしょ?って思う。「空気がおいしい」「時間の流れがゆっくり」なんて、住まないから楽しめることだと思う。
空気がおいしいことより時間の流れより優先していることがあるから都会に住んでるんでしょ?って思う。私だってそう。そんなことより優先させたいことがある。



話題の美味しいお店も、テレビで紹介された店も、今流行っている映画が見れる映画館も、毎月イベントの参加者を募集するバーも、私の地元にはない。吉野家すき家もパルコもGUもネットカフェもドンキホーテも、大きくなるまで知らなかった。
どこへ行くにも車を出してもらわないといけないから、あまり自由に遊びに行くなんてしたことがない。



……読んでいてあまり気持ちの良い文章ではないですね。勝手にヒートアップしてしまったので、この辺でやめます。
大学のある街はちょっと都会です。すごく楽しくて便利。
就職はもっと都会でしたい。交通網が発達していて給料は高くて何でもどこででもすぐ買えて、何にでも参加しやすい都会で。