ちゅるゆーかの頭の中を晒すブログ

ちゅるゆーかの頭の中

出会わなければよかった人などないと笑います。

自分探し

【たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私を攫つて行つてはくれぬか】

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俵万智さんのエッセイでこの歌が紹介されていて、河野裕子さんを知りました。それから気にはなっていたのですが、エッセイ集を図書館で見つけたので読んでみました。
「わたしはここよ」。
読んでいて、すごくそれだー!と思った部分があったので、引用してみます。



『自分は何者なのか。それは誰にもわからない。けれど、歌をつくっているうちに、どうにも言い表しようのないものと思っていた自分の不安に輪郭がついてくるのがわかる。自分という人間の輪郭が見えかけてくる。』



皆そうなのだなと思いました。
表現することに救われる一面もあるのでしょうが、それより、表現することで自分と対峙する。
自分と向き合う術が、俳句だったり短歌だったりエッセイだったり小説だったり、もしかしたら絵や音楽かもしれない。そんな表現することで、自分と向き合おうとするんだなって思います。



文章を書いていると、イライラやもやもやが、なぜその形を取っているのかが見えてくるような気がします。
どうしてその物事にイライラするのか。どうして私がその出来事に疑問を持ってしまうのか。何にひっかかっているのか。
文字を入力していくうちに思いがけない言葉が出てきて、本当はこう思っているのかと自問自答して、思い直して、打ち直しているうちに違う考え方があると気付いて、書き終わった満足感よりも気付いた満足感、何かを捉えた満足感が大きいのです。



『わたしとはこのようなこころの形をしていたのか。呆気にとられ、愕然とし、励まされ、納得し、拒否し、嫌悪しながら自分の居場所が見つかったことに安心もし、自信がつく。』



私は私だけれども、私は常に私じゃない自分自身を探しているような気もします。
その手段が私にとってはエッセイとかそんな風に呼ばれるものなんじゃないかって今は思っているので、こうして書き続けることを選んでいます。



本の中で、『最近私はこういう歌を作った』と紹介されている歌がすごく好きです。


【風に向かひ風に屈みて歩みつつむかし老女だつたやうな気がする】


私、自分の中の老女を探し続けて表現しているのかもしれないです。

愛、愛

やっと小雨が降り出してきた。
朝から振りそうで振らない天気。そういう天気が一番嫌い。降るなら降るで、バーっと降ってカラッと晴れて欲しい。


愛愛とさっきからテレビで連呼されていて、胡散臭さしかない。私は愛する時は愛なんて連呼しないから。まぁ、愛してるって叫びながら愛する人もいるかもしれないから、これでいいのかも。
色々ありそうだからまた書いてみなきゃ。



歌人河野裕子さんの「わたしはここよ」に書いてありました。
『自分は何者なのか。それは誰にもわからない。けれど、歌をつくっているうちに、どうにも言い表しようのないものと思っていた自分の不安に輪郭がついてくるのがわかる。自分という人間の輪郭が見えかけてくる。わたしとはこのようなこころの形をしていたのか。呆気にとられ、愕然とし、励まされ、納得し、拒否し、嫌悪しながら自分の居場所が見つかったことに安心もし、自信がつく。』



安心しました。皆そうなのだなと思いました。
書くことによって救われる。
……あぁ、癖でですますが出て来る。



愛、愛。はいはい。それでいいよ。私は愛した人に告白すら出来ずに終わったから、愛してるって言った方がいいよねやっぱ。友達にもようやく言えるようになったから、まだまだ修行しなきゃ。
お風呂入ろ。

とりあえず、今日。

日記みたいに書いてみることに決めた。
今まで書いていたみたいな投稿は、時々していかなきゃたぶん自分が保てないですが、でも、これからは、もっと等身大に書くことを増やしてみようと思います。これまで背伸びしてなかったって言ったら嘘になるので。とりあえず、ですます調をやめてみようかなって。



飽き性の私のことだから、この書き方もいつまで続くか正直分かんない。
まぁでも、それでいっか、って思ってる。とりあえず、続けたいって思った自分の気持ちだけ大事にしたい。



今日は頂きものの魚を刺し身にした。手が魚くさい。
包丁を入れながら、これまで幾つの命が私のために犠牲になったんだろうって思った。私は幾つの命の上に立っているのだろうって。
何万じゃきかないだろうな。
私は、生きなきゃいけない。



これまでブログを書く時は、トークノート以外は全部ですます調だったから、こんな風に書いていると、本当にこれ投稿していいのかなって思えてくる。
でもそのうち慣れるでしょ。

S先生へ

こんにちは。S先生。突然なんですが、私に一年前送ってくださったメールを覚えてらっしゃいますか。
論文ですかと突っ込みたくなるようなあの長いメールに私は結局返信をしなくて、それが引っかかっていました。自分の中での折り合いをつけるために、とにかく、どんな形でもいいから返信を書いてみようと思ったのでこれを書いています。



あのメールには本当に衝撃を受けました。というか、ぶっ飛びました。

既に作り上げられている思考の枠組みに収まりきらない新たな「情報」と遭遇することで、自分自身の中にある種の「軋み」や「違和感」が生じる場合があります。その時、「軋み」や「違和感」の持つ意味を問い直し反芻する姿勢を持続できた者だけが、自己の思考の枠組み自体を再構成するきっかけを掴むことができるのです。ちゅるはそうした思考回路を持っている稀有な存在だ。


先生が私を高く評価してくださっていることは知っていました。まぁ先生もそれを伝えようとしてくださってたので当たり前の話ですが。
けれど、ここまでとは思わなかった。それが、正直な感想でした。
私には自分のことをそんな風には思えなくて。先生がどこを見てそう感じたのかも分からなくて。

だから、自分の中に生じた「軋み」や「違和感」にこだわり続けなさい。


先生。『自分の中に生じた「軋み」や「違和感」』って何ですか。私は『思考の枠組み自体を再構成』してるんでしょうか。
私の中のスタンダードと世の中の社会常識が、いつも引き起こす不協和音は、いつか私を育ててくれるのですか。
不協和音は嫌いです。小さな頃から、変わっていると言われてきました。それを直そうとして失敗し続けてきました。自分が間違っているのだと信じてきました。



不協和音に耳が痛くて、頭が痛くて、他人と合わせられない自分はどこか欠陥があるのだ、と思わざるを得ないこの世界で、一人で闘わなければならないと心を痛めたこともありました。

誰が何と言おうと、そんなことは一切気にしなくていいから、自分の思うままに進んで行きなさい。
ちゅるの未来を遮るものはなにひとつありません。未来は果てしなく開かれています。


未来は開かれているでしょうか。世界は私を受け入れるほど広いでしょうか。
先生は、私よりも私のことを見透かしているのですか、私のことを買い被りすぎているのですか。
私には分かりません。私には分からないことだらけです。未来は、私に優しいでしょうか。



手紙だからこの際、言い辛いことも言ってしまいます。
これからも、私を信じていてください。私は私のままでいいと言ってください。これからも、私を教え諭してください。
私は毒を吐きながら先生からたくさん吸収して、そんな私を先生が面白がって、私がうんと大人になって、先生が歳をとって、そんな年月を重ねていつか、先生が見たことのない世界を私の肩越しに見せる。そんな夢を見ています。



先生に買い被ったと後悔させないように、頑張ってみたいです。先生が私を信じてくださるように、私も私を信じてみたいです。
これからも、私の先生でいてください。



ちゅるゆーか




P.S.
S先生自身がもし、もしもこれを実際に読まれたら、あぁメールの文章と実際の言葉遣いが著しく乖離しているあいつか、とすぐに分かるでしょうから、そうですね、雑用しますので許してください。メール待ってます。

評価の順番

先行者優位という言葉が嫌いです。



noteがバブルのように流行った時、先行者優位という言葉をたくさん見かけました。
早く始めなよ、という意味も込められていたのかもしれません。でも、私は違和感しか抱けなかった。
先行者が有利であってはいけない、一番遅く参加した人であってもその人に才能がありさえすれば一番に認められるべきだと思います。
チャンスは平等っていうのも幻想だと思いますが、でも、その幻想に現実は限りなく近付いていくべきです。



年功序列、という言葉と似たものを感じるのです。というか、限りなく同類だと思っています。
早く就職したものが上に。早く始めたものが有利に。
年功序列なんてくだらない、そう言っている人たちが先行者優位なんて言っているのに違和感を覚えました。
能力や才能は、時間なんて超えると思うのに。

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本当は先行者優位であって欲しいですよ、noteの世界もブログの世界も。だって、私よりずっと後に始めた人で素敵な文章書く人たくさんいるんですもん。
ため息をついてしまう文章、憶えてしまうほどおすすめ表示されるアイコン、みるみる増えていくフォロワー数。私は嫉妬深いから、自分より才能がある人なんだと分かってはいても、何となく心がチクリとする。
それが、例えばこの人は私よりもnoteを早く始めたからなんだ、と理由がつけられれば私はきっと安心します。私の才能やその人の能力とは関係のないところで完結出来るから。
自分の才能のなさを、認めずに済むから。それはちっぽけなプライドと大きな自尊心を傷付けずに済むから。



それでも、自分を逆の立場に置き換えた時、私は自分自身に一番残酷になります。
一番早く始めたつまらないもの、一番遅く始まった面白いもの。私は迷うことなく後者を取りますし、前者にどんなに今までのストックがあったって構うものか、と思います。
確かに、前者には『早く始める』という才能があるのかもしれない。でも私が求めるのは、『素晴らしいものを生む』才能。
私が前者であった時、私自身を選ばれてもきっと嬉しくありません。だって、私の欲しいものは『素晴らしいものを生む』才能なのですから。



『早く始めて素晴らしいものを生む』、それは確かに先行者優位でしょう。先行者は大きな存在です。それでも、『始めるのは遅いけれど素晴らしいものを生む』人と等しく評価されるべきだと思います。
市場とか集客とか収益とか、そんなことを私が気にしていないからかもしれません。



でも、いつやって来た人も等しくここを楽しめるように、私は先行者という立場を捨てたい。捨てられないのなら、せめて、後行者というレッテルは貼らずにおきたい。
いつ投稿されたものであっても、何より私が楽しむために。
先行者優位なんて、大嫌いです。

仏壇と未来

最近、仏壇に手を合わせると亡くなった祖父の顔を思い出します。

祖父が生きていた頃、私や妹が仏壇に手を合わせるのを、とても嬉しそうに見ていました。私はそれを、決まりというか伝統というか、そんなものを守っているのが嬉しいんだなと思っていました。でも、祖父が亡くなって、なんとなく、祖父の気持ちが分かるようになりました。

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祖父は戦争に行って、生きては帰れないだろうと覚悟していたのだそうです。一度は自分を死ぬものだと考えた祖父にとっては、死ぬことはそんなに怖くなかったのではないか、そう、勝手に予測します。

けれど、自分が死んだ後のことは自分には分かりません。未知への不安があったのではないかと思うのです。そう考えた時に、私たちが仏壇に手を合わせるのに安心したんだろうと思い至りました。



祖父は自分が死んだ後のことを考えていたのだと思うのです。遠くない将来に、自分が死ぬこととそしてその後のこと。その時に、仏壇に手を合わせる孫の姿に、安心していたのだろうと思うのです。
自分が死んだ後も、きっとこうしてくれる。そう、嬉しかったのではないかと思うのです。



死ぬことへの恐怖は誰しも多少はあるのでしょうが、自分に手を合わせてくれる人が一人でもいると思えたら、少しは安心できる気がします。祖父は自分がいない未来ときちんと向き合って、手を合わせる孫に希望を見い出せたのかなと思えたら、少しは私も孝行が出来たのだろうと嬉しくなりました。



私が死んだ後、私に手を合わせる人はほとんどいないでしょう。私は結婚しないし子どもも産まないから。
自分が手を合わせているからか、確かにちょっと寂しい気分になります。そして、手を合わせる人を増やせなくてごめんなさいと、ご先祖に対して申し訳ない気持ちも少しあります。

それでも、私は私なりに自分のいない未来と向き合っていきたいなと、そんなことを考えた、お盆です。

許される空

昔から、空が好きでした。空というよりは、空の青く、果ての見えないところが好きなのです。
川が好きなのは、最近気付いたのですが、おそらく、空と同じで果てが見えないからなのでしょう。海も、同じ理由。列車やバスや、速度の遅い乗り物が好きなのも、果てに辿り着くのに時間が掛かるからなのかもしれません。

果てがないことに、自由を感じるのです。果てがないのは、自由だと思えるのです。これを辿って行っても、ゴールがないんだと思えると、目指さなくていいことに安心します。

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目指すことに、取り憑かれているような気がするのです。私の周りだけなのでしょうか。
一番になること、トップクラスであること。目指すことも大事なのでしょうけど、そうでなくても生きやすいことが大切だと思うのですが。



空を飛ぶ夢は、自由になりたいという願望の表れだと聞いたことがあります。
私は空を飛ぶ夢を見たことはないですが、空も海も青いので、青は自由な色だと思えます。

だから私は青が好きなのでしょう。気が付けば、周囲の人に呆れられるほど、手に取るものは青色です。
許されたい、自由でありたい、もしかすると私はそう思ってそう思って、空が恋しいのかもしれません。



目指さなくていい、目指すべき場所もない、そんな自然を見ると安心します。許されている、そんな気がします。私は別に許されなくても生きていけるはずなのに、それを望んでしまうということもおかしな話なのですが。

もしかしたら、私は許されたいのでしょうか。何を?何から?
生きていることを、空から?

だとしたら、私は、許されるために空を見上げるのでしょうか。



空が好き、というよりも、空がこわい、のかもしれません。

会いに行くんだ、会いに行く

なんとなく、今日は書く気がしなくて、今も書く気がしないのですが、書かないと負ける気がする……と勝手に思ってしまったので書き散らかしてみることにします。
誰も興味もない個人的なこと。



大学のある街に、二泊三日弾丸旅行へ出掛けることになりました。
なりました、っていうか出掛けることにをしました、というか出掛けなければなりません、というか。



詰め込みました、予定。

一日目、午後に着いて、予防接種を受ける。終わったら繁華街に移動して友達と遊んで夜ご飯。その日は漫画喫茶(一晩1,500円ほど)に泊まって、翌朝は美容室へゴー。2時間ほどみておいてください、と言われたカットと縮毛矯正が終わったら、午後から大学へ行ってゼミの先生に顔出しして休学延長願いを教務入試課へ提出。お世話になった先生のところにもチラッと顔出しして、また繁華街に戻って友達と飲み。三日目の午前中は……他の大学にいる先生のところに顔出そうかなと思ってますが、昼はまた繁華街戻って友達とご飯。午後から帰ってきます。



メインは予防接種です。A型肝炎B型肝炎狂犬病の三回目がまだなんですよね。30,000円……命には変えられない。高い。
でも痛いんだろうなぁ。注射嫌いだなぁ。
こちらでも出来るんですけど、二回目に受けた際に母子手帳を忘れてその代わりにと貰った紙をなくしてしまい……記録がきちんと残っているところで受けた方が安心だということで、日程を合わせました。



私は地元の町よりも、大学のある街の方がずっと慣れていて動きやすいです。
バスにも乗り慣れているし、街も歩き慣れている。繁華街が大きいから漫画喫茶も居酒屋も美容室も喫茶店も、全部揃っていて不自由しない。
何より、街の雰囲気が大好き。人も優しいし、言葉も好き。

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皆、会いたい人は私に会いたがってくれる。
それが嬉しくて、今からとても楽しみです。一週間後、お土産どうしよっかなー、とかそんなこと考えてるのも楽しい。
会いたい人に、会いに行く。私は、幸せ者です。

ビビリの気持ち

ビビリです。とは時々書いているものの、そう言えば具体的には書いてないよな、とふと思ったので書いておきます。



小さい頃から、お化けや妖怪や幽霊の類がとても怖かったです。
暗い部屋が怖くて、明るくても部屋の隅が暗いと怖くて、昼間でも怖かった。

夜寝る時に、あの頃、妹と私と母親が並んで眠っていたのですが、二人がすやすやと眠っているのが信じられなかったです。寝付きのすこぶる悪い私は二人が寝てしまったあとも起きていて、少しの物音に、魔女が来たのかもしれない、お化けかもしれない、と怖くて怖くて、布団を頭からかぶって、それでも想像を止められなくて怖くて。

トイレもなかなか一人で行けるようにならなくて、小学校の中学年くらいまで、親を起こしていた気がします。



昼間でも、親の姿が見えないと、人さらいに攫われたのかも、鬼に食われたのかも、とそんな想像ばかりしていました。



怖い話は大の苦手で、学校の怪談でさえ今も怖いです。夜中の鏡は覗き込むのに勇気がいるし、夜道には恐ろしいものがたくさん潜んでいる気がします。

小学生の時、中学生になったらきっと怖がりじゃなくなると信じていて、中学生になると高校に入ったら怖がりでなるなると信じるしかなくて、高校生になった時、私は一人暮らしが出来るのかと不安になりました。



結論から言って、私は今でも、暗い場所や夜が怖いです。
ちょっと怖い見た目の人がいると、あの人は拳銃を隠し持っているかもしれない、さっと車に乗せられるかもしれない、なんて悪い想像がすぐに頭に浮かんでしまいます。
寝る前に物音がすると、泥棒か強盗か、とすぐに考えてしまい、怖くて眠れなくなります。
それを警戒と呼べば多少はいいのかもしれませんが、要するに、必要以上にビビリなのです。

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ビビリがいけないとは思いませんが、心の平安がなかなか訪れないのは心に多少の負担を強いていると感じます。
そのお陰で、もしかしたら回避できている危険も多いのかもしれません。でも、少しは、暗い所を楽しんでみたいなぁと望んでしまうのです。
あぁ、ビビリって、なんなんでしょうかね。

彼と学びたい

「勉強しておけば良かったって気付くのがな、早い人は良い大学に入って良い会社に入って幸せになるねん。遅い人は良くない大学に入って、良くない会社入って結局貧しい人生送ることになるねん」

とタイの空港で後ろに座っていたお父さんが息子に説教していました。



貧しい人生って……そういう単語、まだ使う人いるんだーってびっくりしました。それは他人に決めてもらうことじゃない、ってどうして教えてあげないんですかお父さん。
大学名だけで生きていくことなんてもう出来ないでしょうよ。こんな時代ですよ世界と同じように私たちだって変わっていかざるを得ないんですよ。東京大学出て引きこもりやってる人、うちの近所にいますけど、自宅警備の良い会社に入社したとそういう解釈になるんですかそれは。

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じゃあ最終学歴が農業高校卒で農業してて、結婚して家庭持って子どもも二人いるけどその家庭は裕福でなかったら、そんな人生は貧しいということなんですか? うちの父親はそんなこと思ってないと思いますよ。
好きな仕事して、何だかんだ言いながら妻と二人で出掛けたり家族でテレビ見たりして、毎日家族揃って安いビール飲みながら夜ご飯をゆっくり食べる。自分は幸せだとあの人は信じてる。そしてそれを間違っていると言う権利は誰にもないはずだし、お金はたくさんあるけれど誰も信じられないということも、悲しいことだと思いますよ私は。



勉強しておけばよかったって気付いて、それからでも勉強を始める人は成長し続けられる。気付いても、もう遅いと諦めてしまう人は成長が止まる。
私だったらそう教えますけど。



海外旅行先で、世界見に来て、変化し続ける世界の中の変化について行けていないことを教えるのはナンセンスなんじゃないの、と私はその高校生の男の子をとても可哀想に思ってしまいました。いえ、それも私の考えの押し付けなのでしょう。彼も、父親と同じことを考えているのかもしれない。



でもね。
大学名で縛られるほど世界は狭くない。学び続けずに生きていけるほど世界は広くない。
ただ、彼にそう伝えたいなって思ってしまいました。